シューマンはライン川沿岸を好んで散歩し、9月と11月にはライン川上流に位置するケルンにも足を延ばした。11月12日には、ケルン大司教の枢機卿就任式に列席し、交響曲の霊感を得たという。11月にチェロ協奏曲を完成させると、直ちに交響曲の作曲に取りかかり、12月には完成している。
『ライン』の標題は、シューマン自身が付けたものではないとしても、シューマンがライン川やそれを取り巻く環境に大いに触発され、その音楽もまた関連が深いことは間違いない。極度の躁鬱症だったシューマンが、晩年にライン川に飛び込んだのは有名だが、よほどこの川に思い入れが強かったのか?
「ベートーヴェンの交響曲継承者」はブラームスとなり、その間に位置するシューマンは谷間の花のような扱いを受けているが、こういう作品を聞いてみると確かに方向性が違うことが納得される。
ピアノ曲や歌曲集など「小曲」に持ち味を発揮するシューマンについて「オーケストレーションが拙い」などと言われることが多い。管弦楽の構成で各楽器を独奏で扱うことが少なく、弦楽器と管楽器を重ねて同時に全合奏で演奏させることが多い。
大改訂後に出版された交響曲4番で改訂前に比べ、オーケストレーションは全般的に分厚くなっているなど、シューマンは意図してそのようなオーケストレーションを行っているが、くすんだ響きになって機能的でないとして(人によっては「ピアノ的」、「楽器を重ねすぎ」と称する)、後世に非難の対象となっており、手を加えられることが多い。
第4楽章 荘厳に(Feierlich)
第4楽章は、全体の構成から見ると「間奏曲」のようなポジションにあることは明らかだ。が、この楽章が最も充実した音楽という評価が高い。最後に弦のトレモロに乗り、第1主題が壮麗な姿で復帰してくるところなどはゾクゾクしてしまう。
シューマンの住んでいたデュッセルドルフの上流にはケルンという都市があるが、そこにある大聖堂のゴシック風の壮麗なイメージを元に作曲された。
まずホルンとトロンボーン(ここで初登場)により、ゆっくりとした壮麗なテーマが登場する。 多声部にテーマが出てくるので、聖堂中に響き渡るような宗教的な雰囲気がある。
中間部でも気分は同じだがカノン風になり、最後は金管のファンファーレなども加わりオルガン風の荘重な響きとなっていく。
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