2018/04/06

イワレビコ命とイツセ命(1)

イワレビコ命とイツセ命が東へと向かっている途中で、亀の甲羅に乗って釣りをして、袖を振っている人に速吸門(ハヤスイノト)で出会いました。

 

「あなたは誰ですか?」

と聞くと

「わたしは国津神です」

と答えました。

 

「あなたは、海の道を知っていますか?」

と尋ねると

「よく知っています」

と答えました。

 

イワレビコ命とイツセ命の兄弟神が、その亀に乗って釣りをしていた人に

「わたしたちに仕えないか?」

と尋ねると

 

「お仕えしましょう」

と答えました。

 

その人に竿を差し渡して、兄弟神の船へと引き入れました。

そして「サオネツヒコ」という名前を授けました。

この人は大和国造の先祖です。

 

太歳甲寅冬十月

その年(太歳甲寅)の冬10月の5日。天皇は自ら、皇子たちと船の先導を連れて、東へと向かいました。まず、速吸之門(ハヤスイノト)にたどり着きました。そのとき一人の漁人(アマ=漁師)がいて、小舟に乗っていました。天皇(スメラミコト)はこの漁人を呼び寄せて、尋ねました。

 

「お前は誰だ?」

 

答えて言いました。

「わたしは、国津神(地祇)です。名は珍彦(ウズヒコ)といいます。曲浦(ワニノウラ)で魚を釣っています。天神子(アマツカミノミコ)が来ると聞いて、迎えに来ました」

 

また天皇(スメラミコト)は尋ねました。

「お前は、私を案内できるか?」

 

答えて言いました。

「案内しましょう」

 

天皇(スメラミコト)は命じて、椎の木の竿(=船のオールのことか?)の先を渡して、皇船(ミフネ)に招き入れました。そして海の導者(ミチビキヒト=先導)となりました。このことにちなんでこの海人を椎根津(シヒネツヒコ)といいます。

椎は「辭毗(シヒ)」と読みます。

 

この人物は倭直部(ヤマトアタイラ)の始祖(ハジメノオヤ)です。

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