2019/07/18

日代の宮二之巻【景行天皇二】(6)

口語訳:さらに道の奥に入り、荒ぶる蝦夷たちを退治し、山河の荒ぶる神たちを平らげて、都に還る時、足柄の坂本で食事をした。その時坂の神が白い鹿に姿を変えて、側にやって来た。そこで飯の残りの蒜の切れ端で打ったところ、目に当たって死んだ。その後坂の上に登り、嘆いて「吾妻はや」と言った。そこでその国を「あづま」と言うのである。

 

悉(ことごとに)は「「山河荒神」というところまで掛けて言う。

 

○蝦夷は「えみし」である。名の意味は、体毛が多いことを鰕(えび)に喩えたのだ。【「び」と「み」は通う。蝦夷と書くのもそのためである。また「蝦」の字は「鰕」と通用する。書紀には「蝦蛦」とも書かれている。「蛦」の字は、他の意味があるわけではない。「蝦」の字に倣って、何となく虫偏を付けたのだろう。続日本紀では蝦狄とも書いてある。【「えみし」の「し」の意味は考えつかない。】後には訛って「えびす」と言う。また後には「えびす」という語を「夷」、「戎」などの訓に用いて、蝦夷を「えぞ」とだけ言うようになった。「えぞ」と言うのは「えみし」とは違った語源を持つのか、それともやはり「えみし」から派生したのか、定かでない。「えぞ」という語は古い書物には見えない。中昔頃に登場した言葉である。この国を漢籍では毛人国と言っている。

 

敏達紀に「蝦夷の魁帥(ひとごのかみ)綾糟(あやかす)」という名を出して、「魁帥は大毛人(おおえみし)を言う」とある。これは、蝦夷の魁帥(首領)はすべて大毛人と言うというのか。】書紀の神武の巻の歌に「愛濔詩烏毘ダ(イ+襄)利、毛毛那比苔、比苔破易陪廼毛、多牟伽毘毛勢儒(えみしをひだり、ももなひと、ひとはいえども、たむかいもせず)」【「蝦夷は手強く、一人が百人に当たると世の人は言うけれども、手向かいすることもできず討たれてしまった」ということである。】

 

この歌は、倭の八十梟帥たちの勇猛さを蝦夷にたとえて言っている。【八十梟帥が蝦夷そのものだと言っているのではない。】蝦夷は特に勇猛な人々だからだ。蝦夷は皇国の人とは、姿も考え方も違っており、元来別の人種のようである。その国は今も「蝦夷嶋」と言っているように、皇国とは海を隔てた外国で、住んでいる領域が異なる。だが上代から、その国の人は陸奥の北辺に渡って来て住み着いた者が多く、【彼らの本国は五穀なども成らず、たいへん生活の苦しい土地であるが、陸奥は産物が多いから、移り住む者が多いのである。】

 

次々に子孫を生み、陸奥の中程までも広がり、皇国人と雑居していた。書紀に「二十五年、武内宿禰を遣わして、北陸と東方の諸国の地形、人々の暮らしぶりを検察させた。

二十七年に武内宿禰が戻って

『東方に日高見の国というのがあります。その国人は男女みな結髪・文身して、たいへん強悍であります。これを総称して蝦夷と呼んでいます。土地は肥沃で、たいへん広い国です。討って取るべきです』と報告した」【日高見の国とは、どこであれ広く平らな地を言う。ここは陸奥にそういう地があると言うのである。延喜式神名帳によると、桃生郡に日高見神社というのもある。

 

ところでこの文に「その国人は男女みな」とあるのは、陸奥国の人はみな蝦夷だというように聞こえるが、そうではない。本来の陸奥人は、みな皇国人なのだが、その中に混じっている蝦夷どもはみな、という意味だ。文の書き方がまずくて、紛らわしくなっている。書紀はひたすら漢籍の書き方を真似ようとするので、かえってこうしたまずい書き方になっていることが多い。前述のように、蝦夷は本来人種が異なるから、皇国の領域にそうした者が混じっているはずがない。そういうことがあったなら、後世にも陸奥に蝦夷が住んでいそうなものだが、今はいないのでも、本来住んでいた土地でないのが分かる。また多賀城の古碑に「蝦夷の国界を去ること百二十里」とあるのは、ある人の説で、「百二十里とは今の二十里だから、桃生郡のあたりになり、仙台の封域の中央辺りになる」と言ったが、確かにそうである。これも蝦夷が混じって住んでいる領域の限界を言っている。そこから向こうは本来の蝦夷の国というわけではない。】

 

「四十年、東の蝦夷たちが盛んに背いて、辺境を騒がせた。天皇は群卿に『今東国が騒がしく、暴神が盛んに起こり、また蝦夷どもがみな背いて、人々を脅かしている。誰を遣わして平定したら良いだろうか』

と諮った。・・・

 

天皇は斧鉞を日本武尊に授けて

『私は、東夷たちは性質が荒く、暴力で他人の生活を犯すことが当然と思っていると聞いている。村には長がなく、邑に首というものがない。互いに領域を侵し合い、互いに盗み合う。山に邪神、里には姦鬼がおり、ちまたを遮り道を塞いで、人々を苦しめる。その東夷のうちでも、蝦夷というのが最も手強い。男女が雑居して暮らし、父子の別をわきまえない。冬は穴で暮らし、夏は巣に住んでいる。毛皮を着て血を飲み、兄弟も互いに疑う。山に登ることは飛ぶ鳥のようで、草原を走るのは獣のようだ。恩を受けても直ちに忘れ、恨みを持てば必ず報復する。常に頭髪の中に矢を隠していて、刀を衣の中に潜ませている。時には徒党を組んで辺界を犯し、時には農作物の収穫を狙って人民から盗む。討てば草に隠れ、追えば山に入る。そのため昔から王化に浴していない。』云々」

 

【ここに「農作物の収穫を狙って人民から盗む」とあるので、陸奥の人が蝦夷でないことが分かる。蝦夷はたいへん勇猛だったので、皇国の人民から掠奪し、ところによってはその一帯を支配したこともあったのだろう。】

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