○「其御刀之(そのみはかしの)云々」。
書紀には
「日本武尊は尾張まで還って、すぐに尾張氏の娘、宮簀媛を娶り、月を越えて逗留したが、近江の膽吹山(いぶきやま)に荒ぶる神があると聞くと、剣を解いて宮簀媛の家に置き、徒歩で出かけた」
とあり、尾張国風土記には
「熱田の社は、昔日本武命が東国を巡検して還る時、尾張連らの遠祖、宮酢媛命を娶ってその家に宿り、夜厠に行こうとするとき、身に着けた剣を桑の木に掛けて置いた。ところがそのまま忘れて部屋に戻り、はっと気付いて取りに戻ってみると、剣は不思議な光を放っていて、神のようだったので取ることができなかった。
そこで宮酢姫に
『この剣には神の気がある。私の形影(みかげ)として奉斎しなさい』
と言った。
そのため社を立て、田レ郷爲レ名也(郷の名とした)」という。【「田郷」の「田」は、「由」の誤りだろう。】
熱田縁起には
「宮酢媛の家に還って、・・・長い間とどまっていた。ある夜中に厠へ行く時、厠の傍に桑の木があったが、佩いていた剣をその枝に掛けて用を足し、出る時にそのまま忘れて寝室に戻った。だがふと目を覚まして気づき、取りに行こうとしたところ、その桑の樹は照り輝いていた。だがその神の光を恐れずに持ち帰って、媛に桑の木が光っていたことを話した。
媛は
『あの桑の木には怪しいことなんてありませんわ。剣が光っていたのでしょう』
と答えた。
そのまま黙って寝た。その後宮酢媛に
『私はいったん都へ帰るが、必ずあなたを正式の妻に迎えましょう』
と言い、剣を授けて
『この剣を宝物として、私の床の守りにしなさい』
と言った。
その時傍に仕えていた大伴建日臣が忠告して
『この剣はここに留めるべきではありません。というのは、聞いたところによると氣吹山(いぶきやま)に暴悪な神がいるそうです。この剣の気なくしては、その毒害を防ぐことはできないでしょう』
と言った。
日本武尊は言挙げして
『なあに、どんな悪神でも、この足で蹴殺してくれるわ』
と言った。
ついに剣をそこに留めて道を上り、氣吹山に到った」とある。
また「日本武尊が突然死んだ後、宮酢媛はかつての約束通り独り寝の床を守り、神剣を安置していた。その光は日のようで、雲酢着聞(この言不明)、もし人が剣に祈りたいと言えば、直ちに感応して影響を及ぼした。
その宮に宮酢媛は親族や旧知の人たちを集めて相談し
『私はもう年老いた。最近は黄昏も明け方も区別ができない。目が見えなくなる前に、社を造る場所を占い定めて、この神剣をお遷ししようと思う』
と言った。
衆人は感じ入り、その社の地を定めた。そこには楓の木が一本あった。自然に燃え上がり、水田の中に倒れた。火は消えたのに、水田にはなお余熱が残っていた。そこで熱田社と名付けた」、書紀の神代巻に
「・・・これを草薙劔という。今は尾張國吾湯市(あゆち)村にある。熱田の祝部らが奉斎する神がこれである」、またこの巻(景行天皇)にも
「初め日本武尊の身に着けていた草薙横刀は、今は尾張國年魚市(あゆち)郡の熱田の社にある」
という。【吾湯市、年魚市は愛智郡にある。和名抄に「あいち」とあるのは訛ったのだ。万葉などにも「年魚市」とある。熱田は、あるいは「年魚市田(あゆちだ)」が縮まった名ではあるまいか。
書紀の天智の巻に
「七年、沙門の道行が草薙剣を盗み、逃げて新羅へ向かったが、道の途中で風雨に逢って迷い、仕方なく引き返してきた」、天武の巻に
「朱鳥元年、天皇の病について卜ったところ、草薙剣の祟りだった。そこですぐに尾張国の熱田の社に送って安置した」
とある。
熱田縁起には、上記の沙門道行は「ついに斬刑に処せられた」とある。ある書物には、この剣は沙門道行が盗み出したものの、ついに持ち逃げすることができず、もとに帰ってからは帝の宮に納めて置いたとある。とすると、その時から朱鳥元年までは、帝京で祭られていたのだろう。】
延喜式神名帳に「尾張国愛智郡、熱田神社【名神大】」、古語拾遺に「その草薙劔は、今尾張国の熱田の社にある。まだ禮典に与っていない」【また「・・・ましてや草薙神劔は、これも天璽であり、日本武尊の凱旋の年から、尾張国熱田の社に留め置かれ、外賊が盗んで逃げたが、国境を出ることができなかった。神のもので霊験あることは、これを見ても分かる。とすれば奉幣の日には、同じように敬って行うべきであるのに、長い間それが欠けたままになっている。その礼を修めずにいることは、漏れたことの一つである」とある。ここで言っているのは、上記の「まだ禮典に与っていない」ということである。これは月次・新嘗などの奉幣に与っていないことを言う。
その後「弘仁十三年六月、尾張国熱田の神に従四位下を授けた」、「天長十年六月、尾張の国にいる従三位熱田の大神に、正三位を授けた」、「嘉祥三年十月、尾張国熱田の神に正三位を授けた」、「貞観元年正月、尾張国正三位熱田の神に従二位を授けた」などの記事がある。このうち天長十年の進階は、誤りがあるだろう。
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