2025/09/13

朱子学(5)

明治時代

朱子学の思想は、近代日本にも影響を与えたとされる。

「学制」が制定された当時、教科の中心であった儒教は廃され、西洋の知識・技術の習得が中心となった。その後、明治政府は自由民権運動の高まりを危惧し、それまでの西洋の知識・技術習得を重視する流れから、仁義忠孝を核とした方針に転換した。

 

1879年の「教学聖旨」、1882年「幼学綱要」に続き、1890年(明治23年)、山縣有朋内閣のもと、『教育勅語』が下賜された。明治天皇の側近の儒学者である元田永孚の助力があったことから、『教育勅語』には儒教朱子学の五倫の影響が見られる。

 

また、1882年(明治15年)に明治天皇から勅諭された『軍人勅諭』にも、儒教の影響が見られる。『軍人勅諭』には忠節、礼儀、武勇、信義、質素の5か条の解説があり、これらは儒教朱子学における五常・五論の影響が見られる。この「軍人勅諭」は、後の1941年(昭和16)に発布された『戦陣訓』にも強く影響を与え、第二次世界大戦時の全軍隊の行動に大きく影響を与えた。

 

後世の評価

日本思想史研究者の丸山眞男は、徳川政権に適合した朱子学的思惟が解体していく過程に、日本の近代的思惟への道を見出した。但し、この見解には批判も寄せられており、少なくとも江戸時代の朱子学人口は徐々に増加する傾向にあり、儒学教育の基礎作りとしての朱子学の役割は変わらず大きかった。江戸時代には『四書』また『四書集注』、『近思録』といった朱子学関連の書籍は数多く出版されてよく読まれ、朱子学は江戸時代の基礎教養という役割を担っていた。

 

基本文献

『四書集注』

朱熹が『大学』『中庸』『孟子』『論語』の「四書」に対して制作した注釈書。『大学』『中庸』には「或問」が附されており、特に『大学或問』は朱子学のエッセンスを伝えるものとされる。

 

『近思録』

北宋四子の発言をテーマ別に抜粋したもの。朱熹・呂祖謙の共編。朱熹は、本書は四書を読む際の入門書であると言い、日本でも『十八史略』や『唐詩選』と並んでインテリの必読書として普及した。のちに宋の葉采・清の茅星来や江永らによって注釈が作られた。

 

『伊洛淵源録』

朱熹編。伊洛(二程子のこと)の学問の由来を明らかにするために、周敦頤・程顥・程頤・邵雍・張載やその弟子たちの事跡・墓誌銘・遺書・逸話などを集めた本。

 

『周子全書』

明の徐必達が周敦頤の著作を集めたもの。周敦頤の著作はほとんど残されていないが、『太極図』『太極図説』『通書』に対して朱熹が「解」をつけたものが残されており、これらが収録されている。

 

『河南程氏遺書』

朱熹が程顥・程頤の発言を整理したもの、加えて『程氏外書』もある。ほか、『明道先生文集』『伊川先生文集』『周易程氏伝』『経説』、そして楊時編『程氏粋言』もあり、これらをまとめて『二程全書』という。二程の発言は、どれがどちらのものか混乱が生じている場合があり、注意が必要である。

 

『周易本義』

朱熹による『易経』に対する注釈。易数に関する研究書の『易学啓蒙』もある(蔡元定との共著)。

 

『書集伝』

『書経』の注釈だが、朱熹の生前に完成せず、弟子の蔡沈によって完成した。

 

『詩集伝』

朱熹による『詩経』に対する注釈。

 

『儀礼経伝通解』

「礼」に関する体系的な編纂書で、朱熹の没後にも継続して編纂された。より具体的な冠婚葬祭の手順を明示する『家礼(文公家礼)』もある。

 

『五朝名臣言行録』

朱熹が、北宋の朝廷を担った名臣たちの言動を検証する歴史書。ほか、『三朝名臣言行録』『八朝名臣言行録』もある。

 

『資治通鑑綱目』

司馬光『資治通鑑』を朱熹が再検証した歴史書。

 

『西銘解』

張載の『西銘』に対して朱熹が注釈をつけたもの。

 

『朱子語類』

朱熹と、その門人が交わした座談の筆記集。門人別のノートが黎靖徳によって集大成され、テーマ別に再編成された。当時の俗語が多く見られ、言語資料としても価値が高い。

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