思想
イブン・スィーナーは因習に縛られない考えの持ち主であり、同時代の学者であるビールーニーと書簡を通して自然科学の諸問題を議論していた。彼の父のアブドゥッラーフはイスマーイール派を信奉しており、イブン・スィーナー自身はイスマーイール派に入信しなかったが、その思想には共感を示していた。
イブン・スィーナーは、王侯貴族にも気兼ねなく話しかける大雑把な性格であり、禁欲的な聖人とは対極にある世俗の愉しみをよく知る人間だった。自身の世俗的な生活と尊大さが反感を買ったこともあって、イブン・スィーナーの思想は多くの論争を引き起こした。しかし、イブン・スィーナーは敬虔なイスラム教徒であり、保守的な神学者や法学者からの批判を避けるため、信心を示すペルシャ語の四行詩をしたためた。また、人間の霊魂、神、天体の霊魂の間に共感があると考え、その繋がりを強化するには礼拝などの宗教的行為が有効であると説明した。
後世のイスラム世界の学者のうち、ガザーリーらはイスラーム神学の立場から、イブン・ルシュドはアリストテレス主義の立場から、イブン・スィーナーの哲学に批判を加えた。しかしナスィールッディーン・トゥースィーを初めとする学者は彼の思想を支持し、照明学派やイスファハーン学派などのイスラーム哲学の諸派や、イスラーム神学やイルファーン(神秘主義哲学)に影響を及ぼした。
その思想はキリスト教世界にも紹介され、13世紀のスコラ学の発展に多大な影響を与えた。
哲学
イブン・スィーナーはアリストテレスを哲学、ガレノスを医学の師とし、アラビア医学の体系化に努めた。医学のみならず、史上初めてのイスラーム哲学の体系化、アリストテレス哲学の明快な紹介がイブン・スィーナーの哲学面での功績として挙げられている。彼は形而上学を頂点とする学問体系を構築し、代数学を数学の一部に含め、工学と計量学と機械学を幾何学に含めていた。
特に「存在」の問題について大きな関心を寄せ、独自の存在論を展開した。外界も自身の肉体も感知できない状態で自我の存在を把握できる「空中人間」の例えを用いて、存在は経験ではなく直観によって把握できると説明した。この空中人間説は形而上学ではなく、自然科学によって説明がされている。
存在を「このもの」と指示できる第一実体、「このようなもの」としか言えない普遍的な第二実体に分けたアリストテレスと異なり、イブン・スィーナーは非抽象的な捉え方をした。彼は存在を「不可能なもの(mumtani)」「可能なもの(mumkin)」「必然的なもの(wajib)」に三分する独自の区別を打ち出し、この区分はスコラ学者やイスラーム哲学者の受け入れるところとなった。
イブン・スィーナーはこの3つの区分、本質を構成する要素と存在の関連性を哲学の基礎としていた。また、存在を本質の偶有であると考え、1つの本質が個々の事物としての存在を獲得するために他者に原因を求めた。イブン・スィーナーは、最終的に全ての存在の原因を「第一原因」に帰着させ、神こそが「第一原因」であるとみなした。新プラトン主義の流出説を用いることで、神の超越性を確保し、さらに創造者である神と創造物を明確に区別する線を引き、汎神論と異なる立場をも確立した。
アリストテレスが認めていなかった流出論を主張するなど、彼の思想はアリストテレス主義から数歩踏み出していたものであったため、しばしばよりアリストテレスに近い思想のイブン・ルシュドと比較される。しかし、思想の根本ではアリストテレスの思想を継承していた。後進のトマス・アクィナスよりもアリストテレスの手法に忠実であり、そのためにアリストテレスの思想をイスラム文化に根付かせることができた。
イブン・スィーナーの存在の研究は弟子のバフマンヤール・イブン・アルマルズバーンらに引き継がれ、モッラー・サドラーら後期イスラーム思想家が発展させた。
医学
イブン・スィーナーは、医学を自然学から派生した学問と見なし、医学を障害を取り除くことで本来の機能を回復させる技術と考えていた。彼は自著において健康と病の原因を究明し、結果に応じて健康の保持と回復の手段を決定する必要があると述べた。
イブン・スィーナーは医術の実践よりも理論面を得意とし、臨床医学に必要とされる知識を『医学典範』にまとめ上げた。イブン・スィーナーは、ギリシャの医学者ガレノスの理論を継承し、時には批判を加えながらも発展させたが、解剖学の分野など時代的な制限からガレノスと同じ誤りを犯した部分も存在する。イブン・スィーナー独自の発見としては、新たな薬草、アルコールを使った腐敗の防止、脳腫瘍と胃潰瘍の発見などが挙げられる。
ガレノスだけでなく、イブン・スィーナーは哲学の師であるアリストテレスの説いた四大元素説を理論医学に応用するなど、彼の理論を『医学典範』において活用している。しかし、哲学と医学の領域、役割を明確に区別しており、他の医学者にも自らの領分を守るよう戒めた。また、ガレノスやアリストテレスら西方世界の医学論のほかに、イブン・スィーナーの医学論は古代インド医学の流れも汲むとする意見もある。
イブン・スィーナーは、古代ギリシャ世界の影響を受けながら音楽理論を研究し、健康の保持には音楽が最も効果的であると考えるに至った。『アラー・ウッダウラのための学問の書』内の音楽論を述べた部分では、ペルシア語を使って初めて音楽の調子を表記した。イブン・スィーナーの音楽論の基礎は当時、実際に演奏されていた音楽にあった。
イブン・スィーナーは、医学論を人間の行動の研究にも適用したことから心理学の開拓者の一人にも数えられ、『医学典範』の中で精神療法を実施したことを述べている。彼は恋煩いを治療する名医としても知られ、当時の医学の手法に従って恋煩いにかかった患者の脈を計り、脈拍数に乱れがあることを確認した。しかし、精神に属する「理性」と脳のはたらきを関連付けようとはしなかった。
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