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809年にハールーン・アッラシードが亡くなると、地方の統制がきかなくなり、エジプトやイランのアミール(地方の行政官)が独立し始めた。そして10世紀になると、イスラム世界には3人のカリフが並立するようになった。
スペイン(後ウマイヤ朝):アッバース朝に追われたウマイヤ朝のアブド・アッラフマーン1世はスペインに渡り、756年に後ウマイヤ朝を建国した。王はカリフを名乗った。
チュニジア(アグラブ朝):アッバース朝の将軍イブラーヒーム・イブン・アグラブがアグラブ朝をおこした。アグラブ朝はシチリア島へ侵攻した。ファーティマ朝に倒される。
エジプト(ファーティマ朝):ファーティマ朝は、チュニジアにおこったシーア派の王朝で、909年にアグラブ朝を倒し、エジプトに進出した。この王朝はカリフを名乗った。1169年サラディンによって滅ぼされる。
イラン(サーマン朝):874年、ブハラ(ウズベキスタン)にスンニ派のサーマン朝ができる。955年にアフガニスタンのガズナで自立したガズナ朝に滅ぼされる。
イラン(ブワイフ朝):シーア派がブワイフ朝(932~1055)を建国。946年にバグダードを占領し、カリフから大アミールの称号を受ける。セルジューク朝に滅ぼされる。
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エジプトも、やがてアッバース朝から自立します。エジプトにできたイスラム王朝は三つ覚えればよい。ファーティマ朝、アイユーブ朝、マムルーク朝です。
1,ファーティマ朝(909~1171)首都カイロ
ファーティマというのは、ムハンマドの娘の名前です。建国者がファーティマと第四代正統カリフ、アリーの血筋を引いていると自称しているので、こう呼ばれています。
だからシーア派の王朝です。アッバース朝はスンナ派ですから、対抗上都合がいい。スンナ派のカリフなどは認めませんから、ファーティマ朝の君主はカリフという称号を名乗りました。
イスラムは一つという理念があったので、それまでもアッバース朝に対立する政権ができてもアミール(将軍)くらいの称号で満足していた。アッバース朝のカリフがいるのに、カリフを名乗るのはタブーだったんですが、それを平気で破ってしまった。
日本でいえば、天皇家が二つできた南北朝のようなものです。
しかし、一度タブーが破られてしまったらそのあとはあまり抵抗がないもので、ファーティマ朝の君主がカリフを称したすぐあとに、イベリア半島にあった後ウマイヤ朝のアブド=アッラフマーン3世がカリフを自称しました。
この時点で、イスラム世界に、アッバース朝、ファーティマ朝、後ウマイヤ朝と三人のカリフが出現したことになります。