2026/07/22

君主論(1) ~ マキャベリ(3)

『君主論』(伊: Il Principe, イル・プリンチペ)は、1532年に刊行されたニッコロ・マキャヴェッリによる、イタリア語で書かれた政治学の著作である。

 

歴史上の様々な君主および君主国を分析し、君主とはどうあるものか、君主として権力を獲得し、また保持し続けるにはどのような力量(徳、ヴィルトゥ)が必要かなどを論じている。その政治思想から、現実主義の古典として位置づけられる。

 

沿革

マキャヴェッリがフィレンツェ共和国で失脚し、隠遁生活中の1513 - 1514年に完成したと考えられており、1516年にウルビーノ公ロレンツォへの献上文を付してフランチェスコ・ヴェットリ( Francesco Vettori )に託された。写本で読まれ、マキャヴェッリの死後、1532年に刊行された。

 

著作には表題はついておらず、友人ヴェットリへの手紙の中で「君主体制」に関する本を書いたと述べているため、『君主論』(Il Principe)と呼ばれるようになった。

 

構成

献辞と、26の章からなる。

 

献辞 - ロレンツォ・デ・メディチ殿下に捧げる

1 - 支配権の種類とその獲得方法

2 - 世襲の君主権について

3 - 複合的君主権について

4 - アレクサンドロスによって征服されたダレイオス王国では、アレクサンドロスの死後、その後継者に対して反乱が生じなかったのは何故か

5 - 征服される以前、固有の法に従って統治されていた都市や君主国をどう支配すべきか

6 - 自己の武力と能力とで獲得した新しい君主権について

7 - 他人の武力または幸運によって得た君主権について

8 - 極悪非道な手段によって君主となった場合について

9 - 市民の支持によって得た君主権について

10 - どのようにすべての支配者の力を測定すべきか

11 - 教会の支配権について

12 - 軍隊の種類と傭兵について

13 - 援軍と自己の軍隊とについて

14 - 軍事に関する君主の義務について

15 - 人間、特に君主が称讃され、非難される原因となる事柄について

16 - 気前良さとけちについて

17 - 残酷さと慈悲深さとについて、敬愛されるのと恐れられるのとではどちらがよいか

18 - 君主は信義をどのように守るべきか

19 - 軽蔑と憎悪とを避けるべきである

20 - 砦やその他君主が日常的に行う事柄は有益かどうか

21 - 尊敬を得るためにはどのように行動したらよいか

22 - 君主の秘書官について

23 - 追従を避けるにはどうしたらよいか

24 - イタリアの君主達はどうして支配権を失ったのか

25 - 人間世界に対して運命の持つ力とそれに対決する方法について

26 - イタリアを蛮族から解放すべし

 

内容

『君主論』は全体で26章から成る著作である。

 

1章において「君主政体にどのような種類があるか」と挙げ、その一つ一つについてを続く第2章から第11章までで解説する。第12章から第14章までは、いかなる君主政体においても必要となる軍備について述べる。第15章から「臣民や味方に対する君主の態度と政策がどのようにあるべきか」と、本来の意味での君主論に移る。マキャヴェッリはチェーザレ・ボルジアに理想的な君主の能力を見ている。第24章からは現実のイタリアに目を向ける。

 

当時、イタリアは多くの小国に分裂し、外国の圧迫を受けて混乱の最中にあったが、イタリア統一への願いから「統一を実現し得るのはいかなる君主か」を論じ、メディチ家への期待を述べて論を終える。

 

君主の統治

マキャヴェッリはまず国家の政治体制から共和国と君主国に大別した上で、君主国に議論を限定することから始める。

 

そもそも君主国の統治を行う場合、より容易なのは世襲の君主国である。なぜなら世襲の君主ならば、既に定められた政策を維持して不測の事態に対処するだけで統治は事足りるからである。この場合には、君主は平均的な能力さえ持てば国民にも好感を持たれ、たとえ侵略に遭ったとしても奪還が可能である。

 

しかしながら、全く新しい君主国を建設する場合には、さまざまな問題に直面することになる。なぜならば、君主は国家を建設または獲得する上で不可避的に国民に何らかの被害を与え、そのことによって反乱が発生するからである。征服によって領有した地域の住民の言語や風習、制度などが征服者のそれらと異なる場合、統治にはさらに深刻な困難が生まれると分析する。このような国民との対立を解決する施策としては、征服した地域における旧君主の血統の根絶、支配地域の法体系や税制の維持、征服者が本拠地をその地域に移すことや、移民を兼ねた部隊の派遣を提示している。

 

このような、君主国における民衆の心理の分析を踏まえて、その対処については

「覚えておきたいのは、民衆と言うものは、頭をなでるか、消してしまうか、そのどちらかにしなければならないことである」

という見解を示している。つまり、君主は領民を被治者としてだけでなく、潜在的に有害な敵にもなりうる存在として認識すべきことをマキャヴェッリは強調している。

2026/07/21

スペインが2度目の優勝(ワールドカップ2026北中米大会)(8)


決勝戦は世界ランク1位(アルゼンチン)と2位(スペイン)、そしてワールドカップサッカー史上初めてヨーロッパと南米のチャンピオンという、まさに「頂上対決」となった。

 

延長前半までは0-0、延長後半にようやく均衡破れスペインが1点を奪うという、スコアだけを見るとまことに決勝に相応しい接戦かのようではあるが、内容的にはスペインがアルゼンチンを圧倒した。

 

何しろシュート数20本のスペインに対し、アルゼンチンのシュートはたったの2本。それも延長後半のロスタイム入るまでは、ただの1本のシュートも打てないまで完封されたように、期待された熱戦には程遠かった。

 

戦前の予想は「アルゼンチンの個人技」と「組織力のスペイン」の戦いになると思われたが、準決勝のフランスと同様、アルゼンチンは120分間でほとんどチャンスらしいチャンスがないまま、なすすべもなく敗れた。

逆に言えば、あの世界屈指ともいえる攻撃力を誇るフランス、アルゼンチンに何もさせなかったスペインは、まさに「無敵艦隊」であった。

 

スペインは、これでウルグアイ、フランスと並ぶ2回目の優勝である。

 

勝つためには反則など何でもありのアルゼンチンとは違い、フェアプレーで優勝したスペイン。グループステージから8試合でわずか1失点と、かつて「カテナチオ(Catenaccio)」と称されたイタリアの堅守速攻サッカーも真っ青の堅守にくわえ、バリエーション豊富な高い技術から繰り出される多彩な攻撃を展開するなど、チャンピオンに相応しい戦いぶりを見せた。

2026/07/17

準決勝(ワールドカップ2026北中米大会)(7)

 

過去最多の48か国が参加し、1か月以上に渡る長丁場となったワールドカップサッカー北中米大会も、いよいよ佳境に入った。

 

48か国の中から勝ち残った4か国は、フランス、スペイン、イングランド、アルゼンチンと、ものの見事なまでに世界ランキング1位~4位の国が揃った。

 

スペイン 2-0 フランス

 

好カードが目白押しとなった今大会においても「事実上の決勝戦」と目された一戦は、思わぬ一方的な展開となった。

 

かねてよりフランスサッカーチームが、どうにも嫌い(フランスが嫌いというワケでは決してないが)なワタクシは、当然ながらスペインに肩入れするところだが、そうはいってもフランスは前々回大会で優勝、前回大会もPK戦の末に決勝で敗れたとはいえ、今大会も「優勝候補筆頭」に挙げられていたのは妥当であった。事実、予選リーグからの6試合を見る限り、まったく付け入るスキがなく「優勝候補」に相応しい戦いぶりだった。

 

ところが、である。

勝負とはまことにわからないもので、ここまであんなにも強かったフランスが、この日ばかりは90分間ほぼ何もさせてもらえず、なすすべなくスペインの前に屈した。

 

勝負事には、実力とは別に「相性」ということがあるらしい。

かつて「サッカー王国」と称されるほど強かったブラジルがフランスを苦手にしていたように、フランスにとってはスペインとの相性が悪いようで、欧州の主要大会を見ても分の悪い相手ではあるとはいえ、ここまでいいところなく終わるとは予想外ではある。

なにしろ、これまで驚異的な攻撃力を発揮してきたエムバぺ、デンベレともに、まったく仕事をさせてもらえなかったのだから。

 

逆に言えば、あの強いフランスをここまで見事に完封してのけたスペインの底力こそは、実に凄まじかったというべきか。フランスに比べ圧倒的な破壊力や派手こそヒケを取るものの、サッカーの原点ともいえるあのパス回しは芸術的な域と呼べる美しさで、あのフランスがボールに触ることすら困難なほど翻弄されたことからも、その技術の高さが改めて証明された。

 

実際、ボールの転がるところに必ずスペイン選手がいるように、まるで相手より人数が多いのではと錯覚してしまうほどであった。

 

アルゼンチン 2-1 イングランド

 

前回優勝国として、今回も当然のごとくに優勝候補に挙げられたアルゼンチンだが、ここまでは予想外の苦戦続きだった。

 

グループリーグはさておき、トーナメント1回戦から楽勝と思われた無名国のカーボベルデに2-1と苦戦したのを皮切りに、2回戦でも「格下」のエジプトに2点リードされながら、後半の土壇場にやっとこさ追いつき、なんとか逆転という薄氷勝利の連続で

「アルゼンチンは、本当に強いのか?」

と、疑わしくなるくらいの迷走ぶりだった。

 

対するイングランドは「サッカーの母国」と称されながら、優勝は60年前に1度のみと「看板倒れ」が定番だったが、今回はともに6得点を挙げてきたハリー・ケイン(ハリケーン?)、べリンガムという強力2枚看板を擁して準決勝に進出。人気先行で期待外れに終わったベッカムが率いた時よりは期待できる陣容だけに、今回ばかりはアルゼンチンにも勝てるかと期待された。

 

アルゼンチンに関しては、これまで「審判買収疑惑」やら、エジプト戦で2点ビハインドから後半30分過ぎから3点奪っての「出来過ぎた大逆転劇」など「疑惑?」満載のせいか、今回はすっかり「悪役」となってしまった感がある。対照的に「60年ぶりの優勝」を念願するイングランドに肩入れしたくなるのは、判官贔屓の理屈から言っても自然の摂理だろう。

 

そして、この試合もまた先制を許したアルゼンチン。今度こそは「真の実力」が問われる展開となったが、結果はまたしても「憎たらしいくらいの見事な逆転勝利」だ。加えてイングランドが誇る2枚看板にもほとんど仕事をさせなかったのだから、さすがにその実力は本物と認めざるを得ない粘り強さというしかない。

 

この結果、決勝は

 

スペインvsアルゼンチン

 

と、誰もが疑いようのない文句なしの「頂上決戦」に決まった。

 

先にも記した通り心情的にはスペイン応援となるし、休養日が1日多い分だけスペイン有利という気がするが、対するアルゼンチンも逆境には滅法強いだけに、どう転ぶかわからない。

ここまで7試合でわずか1失点という鉄壁の守りを見せるスペインの壁を、個人技に長けたアルゼンチンがこじ開けられるかがポイントとなるか。

 

珍しいことに、今大会は準々決勝~準決勝の6試合でPK決着がひとつもなく、文字通り手に汗握る好ゲームが続いているだけに、最後の決勝戦もPKなしですっきり勝敗を決していただきたいものである。

2026/07/13

準々決勝(ワールドカップ2026北中米大会)(6)


 「優勝候補」に挙げられていたフランス(FIFAランキング1位)、スペイン(同2位)、イングランド(同4位)、アルゼンチン(同3位)が、順当に準々決勝を勝ち上がった。

 

フランスの相手はモロッコ。

前回の準決勝に続く再戦となったが、2-0で今回もフランスの勝利。これまで良い戦いをしてきたモロッコも、フランスには完敗だ。

 

スペインは「赤い悪魔」ベルギーに2-1、イングランドとアルゼンチンは、それぞれノルウェーとスイスを相手に延長戦を戦った末、なんとか勝利をもぎ取った。

 

相手は、どれが勝ってもおかしくないような試合巧者だけに、ひとつくらいは波瀾があるかと思ったが、FIFAランキング上位4か国の「4強」が揃って準決勝に勝ち上がるとは、まことにここまで波瀾の少ない大会も前代未聞だ。

 

この結果、準決勝は

 

(1)      フランスvsスペイン

(2)      イングランドvsアルゼンチン

 

に決まったが、ここまで見る限り(1)が事実上の決勝と言えそうである。

2026/07/12

マキャベリ(2)

https://dic.pixiv.net/

概要

『君主論』や『戦術論』『政略論』などで有名な、イタリアルネサンス期を代表する思想家。

政治理論に科学的な手法を持ち込み、政治は宗教・道徳から切り離して考えるべきであるという現実主義的な政治理論を創始したことで、歴史上ではじめての近代的な政治思想家と言われる人物。

 

なお世間では『君主論』で述べられたマキャベリズムの元祖である、という誤解が浸透しているが、後述の生涯から共和制と君主制の両方を体験したことで、どちらの長所・短所も論じており、どちらかといえば理想の政体を決められず悩んでいた『政略論』の方が本音に近い。

 

日本語では「マキャヴェリ」「マキャベリ」「マキァヴェリ」「マキァヴェッリ」など様々な表記が見られる。

 

生涯

1469年、フィレンツェ共和国の法律家の三男坊として誕生。

決して裕福ではなかったが両親の愛情に恵まれ、当時の上流階級の必須教養であったローマ・ギリシャ古典やラテン語等を学んで育つ。

 

当時のイタリアは幾つもの小国に分裂し、それらがさらにフランスやスペインなどの外国の勢力と絡みながら争う、いわば戦国乱世の時代でもあった。当然、マキャヴェリの暮らすフィレンツェも例外ではなく、メディチ家の追放やサヴォナローラの神政と、その失敗などの政治的な動乱を目の当たりにしながら青春時代を過ごす。

 

1498年に共和国政府の内政・軍政を担当する第二書記局長に選出される。さらに「自由と平和のための十人委員会」秘書官・大統領秘書官も兼任。周辺諸国との交渉など、あちこちを飛び回りながら多忙な日々を送る。

 

その頃、フィレンツェにとって生命線の一つであった交易都市ピサが勝手に独立して、コントロール下から離れていることが問題となっていた。

マキャヴェリはピサの再征服を主張し、自ら軍事行動の立案から実行まで関わる。

 

しかし1499年の一度目のピサ侵攻は、兵力として雇った傭兵部隊が再領有目前で勝手に撤退して失敗。1500年の二度目のピサ侵攻には、フランス王から兵を借りて臨みマキャヴェリも軍顧問副官として赴くも、散々フランス軍に振り回されまくった挙句に失敗する。

後年のマキャヴェリの「自国の軍を持つ必要性」や他人の褌で相撲を取ることを考えてはならないという主張は、この経験に基づくといわれている。

 

1502年、チェーザレ・ボルジア率いる教皇軍が、フィレンツェ近くのウルビーノを征服したことでマキャヴェリは使節として派遣され、チェーザレと交渉、和議を結ぶ。

この時、古典を学び諸国を飛び回る中で様々な為政者を見聞きしていたマキャヴェリは、権謀術数に長けるチェーザレの姿に理想の君主像を見出すようになる。

 

1504年、マキャヴェリは自らの経験と考察から、国の根源は傭兵に拠らない軍事力にあると確信、市民兵による『国民軍』の創設を主張・計画する。

貴族や富裕層の中には国民軍創設に反対する者もいたが、それらをはねのけてコンタードの農民を徴兵し、自ら軍部秘書となって国民軍を実現させる。

 

しかし1512年、国民軍はメディチ家の復権を目論むスペイン軍にあっさり敗北。

マキャヴェリは失職に追い込まれた上、反メディチ家と目されて逮捕されてしまう。ジョヴァンニ・デ・メディチが教皇に選出されたことで大赦によりすぐに釈放はされたものの、年収の10年分にあたる保釈金を友人3人に借りて支払っている。

 

こうして1513年以降、当時43歳の若さで隠遁生活を余儀なくされたマキャヴェリは、妻子を連れてフィレンツェ郊外の山荘に移り住み、昼は農業・夜は著述活動に精を出すようになる。

 

彼の執筆活動は政治・歴史・軍事の評論から劇作までに及び、特に喜劇は大好評を博して文筆家としての名声を獲得した。だがそれでも愛国者であった彼にとって公職への執着心は捨てきれなかったようで、『君主論』の執筆の際は、わざわざ官服に着替えてから執筆していたことが明かされている。

 

1516年、フィレンツェ統治者にロレンツォ・デ・メディチが就任すると、マキャヴェリに謁見の機会が与えられ、謁見の場で彼がロレンツォに献上したのが著作『君主論』であった。

『君主論』は「君主たるものが、いかにして権力を維持し、政治を安定させるか」という政治手法を科学的に考察して書き記された謂わば『君主のためのハウツー本』であり、マキャヴェリはこの本を就職用パンフレットとして献呈することで、メディチ家に取り入ろうとしたのだった。

 

結局、この時は成功することがなかったのだが、1520年にはロレンツォの後任者であったジュリオ・デ・メディチ(後の教皇クレメンス7世)に『フィレンツェ史』の執筆を依頼されるなど、公職に就くことはできないまでも、メディチ家政権下において顧問的に扱われるようになる。

 

だが1527年、教皇クレメンス7世(ジュリオ)がローマ略奪の惨事を招いてしまったことで、メディチ家は再びフィレンツェを追放されてしまう。それに伴ってマキャヴェリもまた政権から追放される憂き目に遭い、失意のうちに病で急死した。享年58歳。

 

人物像

その政治思想や著述作品から、一般的には陰鬱かつ冷酷非情な男というイメージを持たれやすいが、私人としては陽気でおしゃべりでお人好し、酒好き・賭博好き・女好き、良き父(ちなみに上記の43歳で失職した時点で5児の父であった)・良き夫という現代にも通じるイタリア人男性のステレオタイプとも言える人間性の持ち主であった。

 

また、隠遁時代には昼間は家族と共にブドウやオリーブなどの農作業をする合間、地元の酒場で農民や職人らと賭け事をして過ごしたという。