2007/08/30

2007世界陸上観戦記(前編)

 地元開催でいつも以上に活躍が期待された、男子ハンマー投げの室伏、男子200mの末續、400m障害の為末が相次いで「敗退」した。勿論、勝負の世界だから勝ち負けは付き物だが、地元開催という有利な条件で期待が大きかっただけに、個人的にはレース後のインタビューで、口を揃えて「一生懸命、頑張りました・・・」と言うのが、どうにも気に食わない。

 

一生懸命に頑張ったのは、どの選手も同じ事である。そんな事くらいは、小学生でも観ていれば解りきっているのだから、今更強調しても意味がない。

 

「一生懸命、頑張ったから悔いはない」で終わらせてしまっては、この先の進歩も望むべくもない

 

一生懸命頑張ったのに何故、期待通りの結果を残せなかったか?」の自己分析を期待しているのだが「一生懸命、頑張りました・・・」で俯いてしまったり「悔いはない」と開き直られたのでは、サッパリ意思が伝わって来ないのである(競技直後のインタビューで、そこまでの分析を求めるのが酷かもしれないが)

 

大きな期待を背負いながら、それに応えられなかった現実を真摯に受け止め、課題にしっかりと向き合っているのだろうか?

と思えてしまうのだ。

 

しかしながら考えてみれば、マスコミの論調では「日本、惨敗」と言う事になっているが、本当にそうなのか?

 

元々、期待が大き過ぎたのだ」という側面も、否定できない気がする。その背景には確かに、それぞれ室伏の2004年アテネ五輪「金」、為末の2001年世界選手権「銅」、末續の2003年世界選手権「銅」といった実績はあったとはいえ、正直言ってどれもが出来過ぎだったり、他の有力選手が不調だったりという幸運によって齎されたものであり、誰一人としてコンスタントにメダルを期待できるような、トップに位置しているとは言い難いのが現実である。

 

現に「金メダル」を期待された室伏などは、決して不調だったのではなく、自己最高記録を叩き出しているのだ。それでも結果は6位なのだから、そういった意味では寧ろ彼らには「実力通りの妥当な結果」なのだ・・・と言えるのかもしれない。

 

ましてや女子走り幅跳びの池田や、男子走り高跳びの醍醐などは、それぞれ2006アジア大会で「金」と「銅」を獲得したとはいえ、元々現状では「アジアレベルの選手」に過ぎず、世界のトップとはまだまだ勝負にもならない実力にして、マスコミが無駄に騒ぎすぎるのである。

 

余談ながら「あり得ないですねー」を連発する、TV解説者のボキャ貧ぶりには呆れた。勝負事において「あり得ない」などというセリフは、全盛期のC・ルイスやF・ジョイナーのような圧倒的な実力を備えた怪物が予選落ちしたり、熱さにトチ狂って逆走したような場合のみに限定して、使用されるべき言葉である。

 

そんな中で、10年以上に渡って日本の陸上界を黙々と引っ張ってきたばかりでなく「アジアの希望の星」として輝き続けてきた男子100mの朝原の号泣は、どんな言葉にも勝る千金の重みがあったと言えよう。

 

 それにしても毎度の事だが、スタジオのサルと元バカアナのオバサンは、何のために存在しているのか?

 

特に「陸上オタク」のサルに至っては、ホスト役の立場を忘れて一人でポーズばかり取ったりはしゃいでいるのは、煩いばかりでなく見るにも耐えない。録画を録って、平日は深夜に観戦していたワタクシは、言うまでもなくスタジオ映像の部分は、まとめて早送りである。

 

そろそろTV局も少しは頭を使って、番組の構成を見直してはどうなのか。何度も繰り返すが「スタジオ映像」などは、まったく無用の長物なのだ。

 

世界陸上」の中継なのだから、スタジオの無駄な中年コンビのド素人解説などを垂れ流している暇があるのなら、意味もなくカットしている他の競技の中継をすべきだ。我々視聴者が期待しているのは、このような「くだらないスタジオ映像」などではなく、世界を代表するトップアスリートたちの戦いなのである。

 

毎度、売れないタレントに依存するくらいしか脳のないTV局は、足りない脳みそを使って無駄な構成を考える必要はまったくない。ただただ、漫然と競技を映し続けていた方が、よほど視聴者のニーズに合っているし、それはTV中継の権利を獲って代表放送をしている立場にあるものが、果たさなければならない義務なのだ。観ていればわかるように、女子棒高跳びのイシンバエワは別格だとしても、世界のトップアスリートたちは下手なタレント風情なんぞよりは、遥かに絵になる人々なのである。

 

それにしてもイシンバエワの存在感は、あらゆる意味で群を抜いていた。女優顔負けの美貌だけでなく、アスリートとして完璧に鍛え上げられたサイボーグのような美しいプロポーション、そしてあの底知れぬ実力である。彼女にとっての最大の敵は「待ち時間」であり、予選の試技の間タオルをスッポリ被って寝ているのはお馴染みの姿になったが、出番がやって来るまで2時間も待たなければいけないのだから、出番が来るまでのモチベーションを維持し続けるのは大変な事だろう。

 

勿論、実際には寝ているわけではなく、時折タオルを持ち上げて戦況を確認したり、観客の反応などを敏感に聞き取りながら状況を把握し、戦略を練っているのだと言われているが、立ち上がっただけであれだけの注目を浴びるのは、世界広しと言えども彼女くらいなもので、ブブカ以来かそれ以上の大スターである。

 

あの、女子テニスのシャラポワでさえ「ロシアでは平均レベルのルックスだから、欧米ほどの人気はない」と訊いた事があるが、確かにイシンバエワを筆頭にしたロシア女子選手団の美形揃いなのには、驚くほかはない。


※余談ながら、男子3000メートル障害決勝で表彰台を独占したケニア三選手が、みな同じような顔に見えて識別できなかったのはワタクシだけか? ( ´艸`)ムププ

2007/08/28

横審など要らん

  横綱審議委員会の委員長が、朝青龍のモンゴル帰国を容認する発言をしたという。

 

一体、この人物は正気なのか?

 

朝青龍の「モンゴル・サッカー疑惑」については、既に触れて来ているのでここでは繰り返さないが、謹慎中ながらモンゴルに帰りたがっている朝青龍本人と、なぜかは知らないが(買収されたか?)執拗にモンゴル帰国を勧める医師らに対し、帰国は断固認めないとする理事会という対立の構図が続いていた。

 

言うまでもなく、この謹慎期間中にモンゴル帰国を認めるような事は、絶対にあってはならない。そもそも「骨折」と偽って巡業を休みながら、モンゴルならバレないだろうとばかりに高を括ってサッカーをやっていたのが、この騒動のそもそもの発端なのだから、今度は「モンゴルで謹慎」と偽って、向こうでまた何をやらかすかわからないのは、自明の理である。

 

大相撲関係者は、どうしてこんなにも簡単かつ明々白々な事すら、理解できないのだろうか?

 

もし、モンゴル帰国を認めるというのなら、最低でも複数の監視員チーム(勿論、親方衆クラスの)による24時間交代の見張りをつけるなどして、日本に居る時以上に厳重な監視下に置く事が絶対条件であり、数度に渡って「親方失格」の烙印を捺されて続けて来たアサシオ豚が同行などは、もっての外である。

 

勿論、そんなバカゲタ人件費を割くよりも、そもそも「モンゴル帰国」の意図が、まったく理解できない。本当に治療をするのなら、どう考えても日本の方が遥かに適しているはずだから、日本の目を逃れて羽目を外そうと企んでいるとしか、考えられないのである。

 

それにしても報道を見る限りでは、朝青龍は今回の騒動によって想像以上に、かなりのショックを受けているようだ。身から出た錆とはいえ、ここまで来ると一人の人間としては幾らか同情する気持ちもなくはないが、正直たかだかこんな程度の事でそれほどのショックを受けているような事からして、明らかに「横綱失格」と言わざるを得ない。

 

横綱には「品格力量」が必要とされるが、それとともに「心技体」の充実がなければいけないのは、これまた言うを俟たない。今回の騒動を通して見た朝青龍は「品格」だけでなく「心(精神)」の方も、オハナシニならないくらいに横綱に相応しいレベルからはかけ離れて、非常に幼稚だった事を露呈した。

2007/08/27

ベートーヴェン 交響曲第2番(第4楽章)


第4楽章

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 今思ったのだが、モーツァルトの「ハフナー」交響曲の冒頭と、この楽章の冒頭は似ていないだろうか。

 それはともかく、この曲では意表を突く主題が、何気なくいろいろな旋律に続いていく様が痛快である。聴く上で判断すると、第2、第3主題がある。形式上では調性を見てどちらかが第2主題と判断されるわけであるが、聴く人にとっては、どうでもよい。ともかく主題が3つあるように聞こえるわけで、豊かな表情を持った楽章である。しかし残念ながら、第1楽章ほど面白くはない。

 

 ベートーヴェンは強い癇癪持ちであったようで、何かあれば手近なものを投げる習性があったようです。その暴れ方は、前述の「汚れ熊」の熊部分にかかるほど、手のつけられないものだったようです。

 

ベートーヴェンからレッスンを受けていた弟子には、楽譜を破かれたり肩に噛み付かれたりした者もいるのです。そのためか、ベートーヴェンに師事したのは貴族子弟や音楽家の卵といった、ベートーヴェンの指導に耐えられるような人材だけだったようです。

 

ベートーヴェンは「野獣」と呼ばれるほどの、強い癇癪を持っていたと言われています。集まりで、ピアノの演奏を求められても頑として弾こうとはしなかったり、若手音楽家が演奏を間違うと烈火のごとく怒り、怒号を飛ばしたりしたというエピソードがあります。ベートーヴェンは、音楽で身を立てることを常に求められてきたので、音楽を仲間うちの会合で披露することや、真面目に音楽に取り組まないことに対して不快感を示すほどに、非常に神経質であったのです。


 傍若無人、或いは破天荒とひと言で片付けてしまうのは容易いが、要するにベートーヴェンにとっては作曲が人生の総てであり、その障害となるものはすべからく躊躇なしに排除して行く、というのが一貫したポリシーであったのだろう。その結果が周囲に齎す迷惑などは、あまり考えなかったのではないか。

2007/08/26

ベートーヴェン 交響曲第2番(第3楽章)


後に自身の手によって、ピアノ三重奏用に編曲された(1805年刊行)。これは、当時の庶民にとってオーケストラを聴くことは高価であったため、作品を手軽に家庭で楽しめるようにする必要があったためだと思われる。

 

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さらに、第3楽章はメヌエットからスケルツォへと変貌を遂げていますが、これもベートーベンの交響曲を特徴づけるものです。

 

確かに、ベートーベンは初期ソナタの時からメヌエットではなくてスケルツォと記す作品を書いていました。しかし、そう書かれていても、実際は通常の3部形式のメヌエットの域を出るものではなかったので、途中でメヌエットともスケルツォとも記すのをやめている作品もありました。

 

しかし、ここでは、自信を持ってスケルツォと記していますし、音楽もまたそれに相応しいものに進化しています。

 

中間部のトリオは、主調のニ長調で書かれていてメヌエット的な穏やかさを残してはいますが、それでもフォルトとピアノを突然に交代したりすることで、歌謡性を前面に押し出したメヌエットとは異なる音楽を構築しています。

 

とは言え、それでも3番とそれ以降の作品と併置されると影が薄くなってしまうのが、この作品の不幸です。

 

もっと聞かれてしかるべき作品だと思います。

 

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 第3楽章

 雰囲気としてはスケルツォが確立しているが、形式としてはまだまだ型にはまったままのものである。そういうことで見劣りがしているのは事実である。旋律的にもそれほどナニというところがないのがつらい。

2007/08/25

ベートーヴェン 交響曲第2番(第2楽章)

 


形式的には、未だにフランツ・ヨーゼフ・ハイドンの枠組みの中にあるが、作曲技法としては第1番よりも更に進歩しており、第1楽章序奏の規模が拡大し重要性が増していること、動機労作がより緻密になり、ソナタ形式楽章におけるコーダが第二展開部としての様相を呈し始めていることなどが指摘される。楽器法の面でも、木管楽器(特にクラリネット)の活用や、チェロとコントラバスを分割して扱う手法が顕著になっていることが注目される。初演の際の批評では、奇を衒いすぎていると評された。

 

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2楽章のラルゲットの美しさも、ここに至るピアノソナタの緩徐楽章で試行錯誤を繰り返してきた結果が実ったものではないでしょうか。

 

18世紀のピアノは楽器の限界もあって、どちらかと言えば歯切れの良いテクスチャが主流だったのですが、それをベートーベンはレガートでカンタービレすることに腐心していました。このラルゲットで聞くことのできる美しいロマン性は、第1番の交響曲では聞くことが出来なかったものですし、そこには「歌う」事への試行錯誤が結実していると言えます。

 

確かにベートーベンが、最もベートーベンらしいのは驀進するベートーベンです。

交響曲の5番やピアノソナタの熱情などがその典型でしょうか。

しかし、瞑想的で幻想性あふれる音楽もまたベートーベンを構成する重要な部分であり、その特徴が一つの形として結実したのが、このラルゲット楽章なのです。

 

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第2楽章

 クラリネットを主役にした最初の交響曲であろう。おだやかな主題は、まだまだ古典派の枠の中である。この楽章の旋律線は、初期のピアノソナタに似ている。旋律そのものでも、ピアノソナタ「田園」に似ているのは有名な話である。結果として素朴ないい曲になっていて、交響曲第1番と比べても、断然こちらの出来がよい。

皇居東御苑

皇居東御苑は、東京都千代田区の皇居の東側に付属してある広さ約21ヘクタールの庭園。宮内庁の管轄。皇宮警察がある。当地は、かつての江戸城の本丸・二の丸・三の丸跡に位置し、少し離れた場所の西の丸を含めた、この範囲のことを江戸城といった。緑豊かな雑木林に日本庭園や皇室関連の施設、江戸城の遺構などが残されている。戦後、特別史跡に指定され、1968年から一般に公開されるようになった。


 

かつての江戸城の本丸などがあった場所で、明治時代から戦前までは宮内庁や皇室関連の施設があった。戦後の1960年に閣議決定により一般公開される運びになり、1963年に特別史跡に指定、1968年から一般公開されるようになった。苑内は庭園のほか、歴史的な史跡も見ることができ、国内のみならず海外からの旅行者も多く訪れる。

 


ü  三の丸尚蔵館…宮内庁所管の美術品、絵画など貴重な品々を展示している。1993年開館。入館料は無料。

ü  宮内庁書陵部庁舎…40万点に及ぶ皇室の古文書と、全国に存在する陵墓の管理を行っている。

 

ü  宮内庁楽部庁舎

ü  桃華楽堂…香淳皇后の還暦を祝い、1966年に建てられた音楽堂。

ü  同心番所…同心が江戸城へ登城する大名の供を監視した。以前は、この番所の前に橋があり、御三家を除くすべての大名・役人は、ここで乗り物から降りて徒歩で本丸へ登った。

ü  百人番所…本丸・二の丸へ続く大手三之門を警護していた門。鉄砲百人組と呼ばれる甲賀組・伊賀組・根来組・二十五騎組の同心100人が、昼夜交代で警護に当たった。

ü  大番所…本丸へと通じる中之門警備のための詰所。大番が詰めていた。

 

ü  諏訪の茶屋

ü  富士見櫓…現在のものは明暦の大火の後(1659年)に再建されたもの。江戸城の天守は、明暦の大火で焼失した後に再建されることがなかったので、それ以後、江戸城のほぼ中央に位置していた、この富士見櫓を天守の代わりにした。

 

ü  松の廊下跡

ü  天守台(江戸城天守跡)…本丸の北端に位置している。最初の天守は1607年に完成し、このときの天守台は少し北にあった。3代将軍家光が大改修を行い、最終的な完成をみたのは1638年。このとき、現在の天守台ができた。天守は、外観5層、内部6階建てで、天守台を含めた高さが58mであり、天気が良ければ房総半島からでも見ることができたという。しかし、明暦の大火で焼失してしまい、再建策もあったが、家光の弟である保科正之(会津松平家藩主)の反対により再建は延期され、それ以後天守は建設されなかった。

2007/08/24

ベートーヴェン 交響曲第2番(第1楽章)


交響曲第2番 ニ長調 作品36は、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの書いた2作目の交響曲である。

 

概要

断片的な着想は第1番作曲中の1800年に遡り、1801年から本格的な作曲が開始されている。18023月には完成されたと考えられ、180345日、ウィーン近郊アン・デア・ウィーン劇場で開かれたベートーヴェン作品のみの演奏会で、ピアノ協奏曲第3番、オラトリオ『オリーヴ山上のキリスト』とともに初演された。

 

この作品が作曲されたのはベートーヴェンの持病である難聴が特に悪化した時期であり、180210月には「ハイリゲンシュタットの遺書」も書かれているが、作品内に苦悩の跡はほぼ見られない。エクトル・ベルリオーズは「この交響曲は、すべてがにこやかだ」と評している。

 

http://www.yung.jp/index.php

2番の交響曲を特徴づけるものの一つは、第1楽章の冒頭に長い序奏を持つことです。

それが深い感情を表出するようになるのは、後年のベートーベンの一つの特徴となっているのですが、ここでも軽い悲劇性が滲み、その終わり近くで登場するファースト・ヴァイオリンによる急速な下行句は強い印象を与えます。

 

その下行句に続いて弦楽器が勢いよく第1主題を提示するのですが、それもまた18世紀の交響曲にありそうでなかったスタイルです。

 

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 もし交響曲第2番を残した後でベートーヴェンが没しても、この曲で彼の名は歴史に残るだろう、と誰かが解説で書いた。なるほどその通りだろう。「英雄」交響曲が生まれなかったら、それ以後の交響曲の歴史は全く違ったものになり、その中で目立っていたであろうからだ。

 

およそ1800年以後シューベルトが現れるまで、交響曲はベートーヴェンのもののみが生き残っているだけなのであるからだ。しかし現実は違うのだ。「英雄」は世に生み出され、交響曲第2番はじつに目立たない存在になってしまったのである。

 

 しかし、この曲は決して地味ではない。第1楽章はエネルギッシュであり、第2楽章はおだやかではあるが芯はあり、第3楽章は諧謔性がほどよくブレンドされ、第4楽章は快活さでめまぐるしいかと思えば流麗でもある。私は大好きだ。

 

交響曲第2番

 第1楽章

 序奏が長く内容が豊かであることの説明をしたくなるが、やはりアレグロであるソナタ形式主部に耳が行ってしまう。この第1主題とそれに続く部分は、交響曲第1番より荒々しい。ということは、モーツァルトやハイドンとは比較にならないほど荒々しいのである。誰もこのことに言及してくれない。なぜなら「英雄」の第1楽章の方が、もっともっと豊かで荒々しいからである。

 

 第1主題の後半に出てくる、バイオリンによる目が回るほどの急降下からして、それまでの曲とは違う何かを持っている。そして第1主題がもう一度演奏されてからのフォルテの部分、すなわち第2主題が現れるまでの荒々しさが聴きものだ。息をつかせぬ爆走は、この曲にすでに現れているのだ。「英雄」交響曲に至る道程の証しが、このようなところにあるのだ。展開部も再現部も、基本的な荒々しさは失われていない。そのために第2主題が現れたときのすがすがしさよ。しかし、すぐにフォルテになってしまうのだ。ベートーヴェンは、とにかく「男らしい」のである。

 

 この曲ではコーダが白眉である。これも別ページで書いたから示すのみに止めるが、ベートーヴェンのコーダはクラシック音楽の世界では熱血さで突出した存在なのである。「熱情」「ラズモフスキー第3番」交響曲第5番、「第7」「第9」「エグモント序曲」「レオノーレ序曲」、これだけ並べてコーダの熱気を思い出した場合、他の作曲家は彼の足元にも及ばないのである。

2007/08/22

野球はやっぱり面白い


 高校野球の決勝戦が行われた。

大会前のドロー(組み合わせ)を見てズバリ、密かに決勝の顔合わせを「帝京vs広陵」と予想していたワタクシにとって、広陵(広島)の勝ち上がりは予想通りだったが、対する佐賀北はまったく予想外のノーマークだった(恐らくは、ワタクシだけではなかったろう)

ともに一回戦から登場した両チームであるが、過去センバツでは3度の優勝、全国大会でも2度の準優勝の名門・広陵が、初戦で昨年まで三年連続で決勝を戦った強豪・駒大苫小牧(北北海道)を九回の逆転劇で破ると、二回戦から準々決勝までの3試合に大勝を重ね、準決勝では春夏連覇を狙う常葉菊川(静岡)を接戦の末に下すなど、優勝候補に相応しい堂々たる勝ち上がりっぷりだった。

一方、佐賀北の方は過去の実績だけでなく、大会前の評判も殆どゼロというところからスタートしたが、開会式直後の第一試合に勝つと二回戦では宇治山田商と、延長15回引き分けの末に再試合を戦った。実のところ「佐賀北」の名が、一気に浸透したのはここからであったろう。

その勢いに乗ったか、準々決勝では優勝候補の一角・帝京(東東京)と延長13回を戦って、大方の予想を覆す勝利を飾った勢いで、決勝まで駒を進める。

そうして、迎えた決勝。佐賀北に勢いは感じたものの、実力的にはやはり広陵が上であろうというのが、ワタクシ(のみでなく、恐らくは殆ど)の見方であった。

その決勝は予想通りの展開で、7回を終わった時点で-というスコアだけでなく、佐賀北は僅かに1安打しか打てずにチャンスらしいチャンスすら、まったく作れない。

(広陵が最も苦しんだ初戦の駒大苫小牧戦や、準決勝の常葉菊川との戦いが、事実上の決勝戦だったんだろうな・・・)

と思ったとしても無理はないような、力の差を感じさせるた展開だ。

これで終わっていれば、捻くれもののワタクシがわざわざここで「白球の青春」を採り上げるべくもないが、そのワタクシも(そして、恐らくは誰もが)まったく予想していないドラマが、ここから待ちうけていた。

2007/08/17

ベッリーニ オペラ『ノルマ』 (Norma)(Act2)


ロマーニは当時パリ・オデオン座で公開され始めたばかり(初演1831416日)の舞台劇「ノルマ」にオペラ化の可能性を見出し、同年720日頃から台本作成を開始したと考えられている。ベッリーニがほぼ完成した台本を受領したのは彼の書簡によれば91日であり、そこからわずか3か月のうちに、この名オペラが完成したことになる。

 

2

1 - ノルマの住居の内部

2 - イルミンスルの神殿

あらすじ

時と場所は紀元前50年頃、ローマ帝国支配下にあるガリア地方。

 

2幕第1

ノルマは2人の息子と心中しようと試みるが、子供の寝姿を見るとそれは果たせない。アダルジーザが住居に現れ、自分はポリオーネと別れる決意を固めたと話し、ノルマには

「子供たちの素晴らしい母親として生きて欲しい」

と説得する。ノルマとアダルジーザは互いの友情を確認し、有名な美しい二重唱が歌われる。

 

2幕第2

ポリオーネがアダルジーザの提案を拒否したと聞いたノルマは、怒りのあまり祭壇の銅鑼を3度打ち鳴らし戦争開始を合図する。ポリオーネがアダルジーザを連れ去ろうと神殿に闖入、捕われた、との報せが入る。群集がポリオーネを引き立てて参集する。

 

ノルマは

「この男を殺す前に、尋問して共犯の巫女の名を明らかにする」

と述べ、人々を一旦立ち退かせる。

 

ポリオーネと2人きりになったノルマは

「アダルジーザを忘れるという約束と引換えに、お前の命だけは助けよう」

と言うが、強情なポリオーネは取り合わない。ノルマは

「裏切り者の女の名がわかった。火刑台の準備をしろ」

と、人々を再び招集する。

 

ポリオーネはアダルジーザの名が明かされることを怖れるが、ノルマは

「裏切り者は私です」

と人々に宣言する。

 

衝撃を受けたポリオーネは、ノルマへの愛に再度めざめ

「貴女は素晴らしい女性。自分はそれを知るのが遅すぎた」

と許しを請う。

 

ノルマは、父オロヴェーゾに2人の子供の助命を懇願、オロヴェーゾは、ためらっていたが受け入れる。ノルマは従容と火刑台に向かう。

2007/08/16

ベッリーニ オペラ『ノルマ』 (Norma)(Act1)


『ノルマ』 (Norma) は、ヴィンチェンツォ・ベッリーニが作曲、1831年に初演された全2幕からなるオペラである。

 

主役を歌うソプラノ歌手にとって最も難度の高いオペラの1つと考えられており、過去にはローザ・ポンセル、ジーナ・チーニャ、ジンカ・ミラノフ、マリア・カラス、ジョーン・サザーランド、モンセラート・カバリェなどが得意とした。

 

ソプラノのアリア「清らかな女神」(Casta Diva, カスタ・ディーヴァ)は特に有名であり、リサイタルなどで単独で歌われることも多い。

 

原語曲名:Norma

台本:フェリーチェ・ロマーニ、アレクサンドル・スーメの同名の舞台劇による

演奏時間:約2時間20分(各幕約80分、60分)

初演:18311226日、ミラノのスカラ座にて

 

作曲の経緯

ベッリーニはまだ30歳の若さであったが、前作「夢遊病の女」(La sonnambula, 1831年)の成功により、当時イタリア最高のオペラ作曲家としての名声を固めつつあった。その頃、財政的困難から低調な公演活動を余儀なくされていたスカラ座が起死回生の策として、「夢遊病の女」を生んだトリオ、すなわち作曲家ベッリーニ、台本家ロマーニ、主演(ソプラノ)ジュディッタ・パスタによって1831 - 1832年のシーズン開幕を飾ろうとしたのがこの作品である。

 

なお、これは既に名ソプラノとされていたパスタのスカラ座デビューであり、その点でも興行上の話題性は高かったと考えられている。ポリオーネ役にはこれまた著名なドメニコ・ドンツェッリ、アダルジーザ役には後に同じベッリーニの「清教徒」を初演するジューリア・グリーシが配され、当時の最高峰歌手陣を揃えた初演となった。

 

25場。

 

前奏曲

1幕 

1 - ドルイド教徒の神聖な森

2 - ノルマの住居の前

 

1幕第1

前奏曲に続いて、舞台はドルイド教徒の森。オロヴェーゾに率いられた一団が、ローマからの解放を願う祈りを捧げて去る。物陰から現れたポリオーネは同行するフラヴィオに、自分のノルマへの愛はもはや醒めたこと、今では若きアダルジーサを愛していることを告げ、ノルマがそれを知れば復讐があるだろう、と恐れおののく。入れ替わるように再びドルイド教徒たちがノルマに率いられて現れ、儀式を行う。ここで歌われるのが有名なシェーナとカヴァティーナ『清らかな女神』である。

 

人々はローマへの怒りに燃えているが、ノルマは蜂起を許さず、実は自らがローマ総督ポリオーネを密かに愛し、2人の息子までもうけた苦しい胸のうちを独白する。一同は去るが、これもまたローマ人に対する背徳の愛に悩む若きアダルジーザが独り残る。そこにポリオーネが現れ、一緒にローマへ逃げよう、と情熱的に説得、初めは拒絶していたアダルジーザも遂には従うことを約束する。

 

1幕第2

ノルマがクロティルデの援助の下、密かに2人の子供を育てる住居にアダルジーザがやって来る。慌てて子供達を隠すノルマに、アダルジーザは、巫女には禁じられた恋愛をしてしまった悩みを告白する。お互いに同じ男性を愛しているとは知らないノルマは彼女を赦す。そこに偶然ポリオーネが現れ、2人の女性は初めて状況を理解する。ノルマは、アダルジーザには罪はなく、全てはポリオーネの不実のせい、と激しい非難を加える。恋の修羅場の三重唱。

2007/08/09

リスト パガニーニによる大練習曲


『パガニーニによる大練習曲』は、ニコロ・パガニーニの『24の奇想曲』と『ヴァイオリン協奏曲第2番』に基づいてフランツ・リストが作曲(編曲)した作品である。作曲1838年、改訂1851年。サール番号 初版S.140 改訂版S.141。献呈クララ・ヴィーク嬢。

 

概要

パガニーニの『24の奇想曲』やヴァイオリン協奏曲の中から6曲を抜粋し、ピアノに編曲したものである。初版は非常に演奏困難な技術を多く要求される事で知られ、13度の和音や、非常に早いパッセージで連続する10度の和音等、手の大きさそのものを要求する部分も多いが、改訂版ではそれらの大部分は削除された。

 

一般に演奏されるのは改訂版であり、初版を『パガニーニによる超絶技巧練習曲』、改訂版を『パガニーニによる大練習曲』(単に『パガニーニ練習曲』ということもある)と呼んで区別される。

 

『ラ・カンパネッラ』は特に抜粋されて演奏されることが多く、リストの曲の中でもっとも有名な作品の一つである。

2007/08/08

リスト 超絶技巧練習曲


超絶技巧練習曲(フランス語:Études d'exécution transcendante, サール番号:S.139, ラーベ番号:R.2b)は、ピアニスト、フランツ・リストの作曲したピアノのための12の練習曲である。2度にわたる改訂が行われている。原題は「卓抜した演奏のための練習曲集」というほどの意味である。

 

構成

すべて異なる調で書かれている。2曲組で同じ調号の長調と短調(平行調)とし、2曲ごとに調号のがひとつずつ増えていく。この事とタイトルから、初版と第2版とでは全ての調性を網羅しようとしていたが、結局断念して12曲に落ち着いたと考えられる。初版と第23版では曲順が異なる。第1番と第9番を除き、第2版と第3版とは小節数が異なる(ただし、第1番と第9番も若干音形が異なるものの、第2版と第3版とは本質的に差はない)。

 

以下は第23版の構成である。特記したもの以外は第1版の曲を改作したもの。テンポの変更も記す。

 

    ハ長調『前奏曲』(Preludio) – Presto:演奏時間は約1分と非常に短い。

    イ短調 - Molto vivace a capriccio → Molto vivace

    ヘ長調『風景』(Paysage) - Poco adagio

    ニ短調『マゼッパ』(Mazeppa) - Allegro patetico → Allegro:特に有名。この曲だけは独立曲を経て、リストがオーケストラのために改作した同名の交響詩 (S.100) もある。また1小節目からffとアルペジオで始まる所謂「マゼッパ旋律」は第1稿には存在せず、指示記号もpのレガートだった。

    変ロ長調『鬼火』(Feux follets) - Equalmente → Allegretto

    ト短調『幻影』(Vision) - Largo patetico → Lento

    変ホ長調『英雄』(Eroica) - Allegro deciso → Allegro:第2版で新しく書き下ろした。序奏は『ロッシーニとスポンティーニの主題による華麗な即興曲』Op.3, S150(1824年頃)から取った。小林秀雄は、本曲を書いたのはリストがどうしても『変ホ長調のエロイカ』を入れたかったからだ、と述べている。

    ハ短調『死霊の狩』(Wilde Jagd) - Presto strepitoso → Presto furioso

    変イ長調『回想』(Ricordanza) – Andantino

    ヘ短調 - Presto molto agitato → Allegro agitato molto

    変ニ長調『夕べの調べ』(Harmonies du soir) - Lento assai → Andantino:第1版の第7曲を移調・改作。

    変ロ短調『雪あらし』(Chasse-neige) - Andantino → Andante con moto

 

2版にはタイトルはまだついておらず、『マゼッパ』の題がついたのは1840年の改作からである。また第2版のみつけられる愛称ではあるが、シューマンが特に第6番、第7番、第8番の3曲を以下のように評した。

 

「嵐の練習曲、恐怖の練習曲で、これを弾きこなせる者は世界中探してもせいぜい10人くらいしかあるまい。へたな演奏家が弾いたら、物笑いの種になる事だろう。」

 

特に演奏困難な第2稿

2稿の「24の大練習曲」については、良く演奏される第3稿に比べるとはるかに難度が高い。しかし、演奏効果は第3稿の方が高いという見識が一般的なので、第2稿がコンサートで演奏される事はほとんど無いに等しい。ピアニストクラウディオ・アラウ、ピアノ教師ゲンリフ・ネイガウスの2人ともが「演奏不可能」との見解で一致している。

 

ロベルト・シューマンの音楽エッセイ集『音楽と音楽家』には、1837年時点での「24の大練習曲集」についてのエッセイが収められており、内容は以下のようになっている。

 

「前にも言った通り、この曲は巨匠による演奏で聴かなければならない。できる事ならば、フランツ・リスト自身による演奏がいいだろう。しかし、たとえリストが弾いても、あらゆる限界を超えたところや、得られる効果が、犠牲にされた美しさに対して、充分の償いとなっていないようなところでは、耳障りな箇所がたくさんあるだろうと思う。しかし何はともあれ、来るべき冬の彼の到着は、心から待ち遠しい。」

 

つまり、第2稿はリスト本人の技術をもってしても、十分な表現力をこめた演奏は非常に困難ではないかとシューマンが考える程の難易度という事である。但し、このエッセイはシューマンがリストによる演奏を聴く前に書かれたものである。