2020/10/07

ゲルマン人の時代 ~ ローマ帝国(15)

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ゲルマン人の時代へ

西帝グラティアヌスは、ヒスパニア出身の名将テオドシウスを次の東帝とした。後にキリスト教を国教とする、テオドシウス1世である。

 

382年、テオドシウスのもと、ローマ帝国は西ゴート族との講和に成功する。またテオドシウスは彼らをトラキアに定住させ、年金支給と引き換えに傭兵として雇った。当時、ローマ帝国では人口が減少していたので、徴兵し時間をかけて訓練するよりも、こうして即戦力を得た方が遥かに得策だったのである。

 

この政策は、小作人を兵として取られたくない大土地所有者や、文官や司教を目指す多くのローマ市民に広く受け入れられた。こうしてローマ軍の主力は、ゲルマン人にとって代わられていくのである。

 

そして次世代へ

領土を4つに分けたり、キリスト教を認めたりと色々妥協をして生計を立ててきたローマ帝国だが、4世紀後半にもなると諸々のガタが来た。

 

392年 キリスト教が国教になる

394年 テオドシウス1世が東西ローマ帝国を再統一

395年 ローマ帝国が東西に分裂

 

帝国は移民に荒れ狂い、古代ローマからの宗教も否定し、そうして真っ二つに分割された。

 

東ローマ帝国の初代皇帝はアルカディウス。西ローマ帝国の初代皇帝はホノリウス。二人ともテオドシウスの息子。共に父親頼みの超無能。

 

476年 西ローマ帝国が滅亡。ゲルマンの傭兵隊長オドアケルによる。

時の皇帝は「都市ローマを建てた人物」と同じ名のロムルス。つまり、ロムルスが建てた都市国家は、帝国となりロムルスの時に滅んだということになる。

 

480年 生き残った西ローマ皇帝が暗殺される。西の帝国は名実ともに滅亡。

他方、東ローマ帝国は、その後独自の文化を開花させ、ギリシャチックなローマ帝国として、1453年までの約1000年間におよぶローマの栄光を実現する。東ローマ帝国は、9世紀に入るまでヨーロッパ唯一の「帝国」であり続け、先進文化圏としての地位にあり続けた。また東欧世界の成立に深く関与し、その土台となる。

 

他にも800年のカールの戴冠や、962年のオットーの戴冠によって西ローマ帝国の後継者(という設定)である神聖ローマ帝国が現れた。神聖ローマ帝国は、ローマの権威や文化を継承し(たつもりらしい)、ローマ帝国とカトリック教会、そしてゲルマン民族による独自の文化圏を形成し、西欧の前身となった。

 

ローマ帝国は滅んでも、その遺産は欧州の財産として残り続けるのだろう。

 

ローマ帝国の後継者たち

ローマ帝国、ないしその後継者を自称した国家は少なくない。ここでは、その代表的な例をまとめることとする。

 

西ローマ帝国

395年の分割後の西側。東側に比べ文化水準が低く、経済基盤が弱いため長生きはしなかった。東ローマ帝国に蛮族へ売られたから、ともされる。東西分割(395年)後、暗君が続いたのも痛い。

 

フランク王国

800年にカール大帝が、ローマ教皇より西ローマ皇帝として任命される。だが、これは「教皇がローマ皇帝位を与える」という既成事実を作りたかった教皇側の一方的な都合による。事実、カール自身は「皇帝にされると分かってたら、無視して行かなかったのに」とか言っている。のち三国に分割。

 

神聖ローマ帝国

西ローマ帝国(正確には、三分割した東フランク)の後継。イベリア半島(スペイン&ポルトガル)と西北アフリカを除き、初期の頃は領土が類似。しかし実際はゲルマン部族連合だったり、ドイツ領邦の集合であったりとローマ帝国とは程遠い。

 

東ローマ帝国 / ビザンツ帝国

395年の分割後の東側。ギリシアやエジプトなどのヘレニズム文化の遺産、オリエントの経済基盤を持つことから、西側よりも長生きした。キリスト教化された、ギリシアチックなローマ帝国。

 

オスマン帝国

トルコ=イスラーム国家。1453年に東ローマ帝国を滅ぼす。以後、ビザンツ文化を継承し「東ローマ帝国の再興者」と何度か自称する。ある意味で神聖ローマ帝国と同じ、第3のローマである。第一次世界大戦に沈む。

 

モスクワ大公国 / ロシア帝国

婚姻により東ローマ帝国と血縁関係をもち、その権威の継承を主張。また東ローマ帝国のギリシア正教会も継いだ。第3のローマと自称し、今日のモスクワにおいても、その標語を留めている。ロシア帝国は1917年まで続いた。

 

フランス帝国

ボナパルト朝。ナポレオン・ボナパルトによる。神聖ローマ帝国に、とどめを刺した張本人。皇帝を国民に選ばせるという点においては、ローマ帝国か。建前でも、一度は三頭政治体制になっているあたり、ナポレオン本人もカエサルを意識していたのではないかと思われる節がある。然し、一度目は悲劇だが二度目は喜劇だった。甥っ子もゲルマン人に負けたし。

 

イタリア王国

ローマを持ち、本土はイタリア、我こそはローマ帝国の後継者、ローマの栄光を現代にと、ドゥーチェが頑張ったが第二次世界大戦で敗戦。

 

アメリカ合衆国

ローマ帝国をもとに出来たらしい。一応、合衆国大統領には元首政期のローマ皇帝の面影が見られる。

めちゃくちゃ多い……。

 

なお、この中でローマ帝国からの正統な連続性を有しているのは、すなわち正式な継承国は東ローマ帝国と西ローマ帝国のみである(395年の分割統治)。神聖ローマ帝国は西ローマ帝国を、ロシア帝国は東ローマ帝国の後継をそれぞれ自称したが、当然ながらそれら2国のローマ帝国からの連続性は皆無である。

 

このように後継を称する国が多いのは、ひとえにローマ帝国が偉大であったからであろう。

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