2016/07/14

禊『古事記傳』


口語訳:さらに左の目を洗ったところ、天照大御神という名の神が生まれた。次に右の目を洗ったところ、月読命という神が生まれた。次に鼻を洗ったところ、建速須佐之男命という神が生まれた。この条で八十禍津日神から速須佐之男命まで、合わせて十四柱の神は、禊ぎによって生まれた神である。於是洗左御目時(ひだりのみめをあらいたまいしときに)。これは既に述べた十一柱の神が生まれた後のことである。だから書紀には「その後左目を洗ったときに云々」と書いてある。【つまり、目や鼻を洗ったのは、前記の水底、中、水上での禊ぎは終わった後のことである。】
たぶん目や鼻を洗っている最中に生まれたのでなく、洗い終わった時点で生まれたのであろう。それで「洗う」をすべて「あらいたまいし」と読んでおく。

天照大御神(あまてらすおおみかみ)は「てらす」と読む。万葉巻十八【三十三丁】(4125)に「安麻泥良須可未(あまてらすかみ)」とある。【ただし「てる」と読むのも間違いではない。神名帳には「あまてる」神社も多く見える。】これは天を照らすというのでなく「てる」を延ばして「てらす」と言うのが古言の活用法であって【「立つ」を「立たす」と言うのと同様である。】

天照というのは天にいて照り輝く意味であり、高光るというのと同じである。【三代実録元慶四年、藤原基経を太政大臣に任ずる宣命で「朕我食国乎、平久安久天照之治聞食須故波、此大臣之力奈利(あがオスクニをたいらけくヤスケクあまてらしオサメきこしめすユエは、このオオキミのちからなり)云々」とあるが、これはこの大神になぞらえて、天皇が天下を治めることも「天照」と言った珍しい例である。】「大」の字を延佳の本でみな「太」に改めているのは、さかしらの間違いである。【伊勢ではすべて「太」の字を書くので、それを正しいと誤解したのである。しかしこの記の諸本、書紀にもすべて「大」の字を書いてあり、その他の古い書物もすべてそうなっている。】普通は「」の字を省いて大神と書いているが【大神と書いて「おおんかみ」と読んでいる。「おおんかみ」は「大御」が音便で訛って言うのである。物語などで「御」の一字を「おおん」と読むのも、元は「大御」のことで、今の俗語でも「おみ誰それ」と言うのも同じだ。これを重言(御神の御が重なっている)とするのは間違っている。】

万葉、続日本紀、祝詞などにもたいていは大御神と書いている。【御を「み」と読み、神の「か」は清んで読む。】書紀には「ここに共に日の神を生み、名は大日孁貴(おおひるめのむち)、一書に天照大神と言い、また一書には天照大日孁尊」とある。【ここで「天照大神」を「一書に曰く」として挙げたのは間違いである。「またの名は」とあるべきだ。というのは、この後はすべて天照大神という表記であるから、一書の説ではない。一書の説とするなら、前後を書き誤ったのだろう。師の説では、「大日女貴の女(め)は『み』に通い、『もち』が縮まったのである。月夜見の『見』と対を成す語だろう。貴の字は適当でない」と言った。これについて、今宣長が思うには、書紀の訓注に「おおひるめのむち」というのは、元は「おおひるむち」であり、後代の人がさかしらに「めの」の二字を加えたのではないだろうか。この他、どの本を見ても「ひるめの命」、「ひるめの神」などとあって「ひるめのむち」とは書いてない。だから「おおひるむち」と言うのは「むち」がつまり「め」に当たるのである。】

一書には「天照大神と名付ける」とあり、一書には「大日孁尊(おおひるめのみこと)という」ともある。万葉にも「天照日女命(あまてらすひるめのみこと)」と歌った例がある。この大御神は、現在目の当たり世の中を照らしている空の太陽である。だから月と日は、この禊ぎによって初めて生まれたのである。【これより前には、月日はなかった。なのに世の識者たちが、月日は天地の始めから自然にあるものと思い、天照大御神と月読命をそれとは別として説を立てるのは、どんな書物に書いてあるのだろうか。ただ漢籍の理屈に囚われた私説であって、甚だしく古い伝えに背いている。月と日が初めからあるのだったら、ここで生まれた神は何の神だというのか。日の神とあるのを、なお太陽ではないと曲説しても、書紀にも「日月既に生まれ」とあるのをどうする。ひたすら外国の理説のみを信じて、このようにはっきりと月日の生まれた次第を記された、御国の古い伝えを信じないのは、ひどい邪説ではないか。漢人がいわゆる陰陽の理なるもので万事を説明するのは、みな誤りだということは、一之巻でも詳しく述べた。

もし本当に陰陽ということがあるなら、この大御神は左の目から生まれて、日の神であるから、男神でなければならないのに女神であって、反対に右の目から生まれた月の神が男神であるのはどうしたことか。陰陽の説が真理でないのは、これだけを見ても明白だ。これを強いてその説に適合させようと、あれこれ曲げて言うのなどは言うに足りない。弘仁私記にも、陰陽の理が真実に合わないことをさまざま論じているのは、なおその理を中心として言っているから、みな取るに足りないが、その中で「漢家の風儀は、日本の故事、史書に書かれたこととみな異なっていて、比べたり合わせたりすることはできない」と書いているのはよい。すべて陰陽の理を説くのは漢家の風俗であるから、御国の古伝に合うはずがないのである。

また最近、天照大御神を男神だと説く人があるが、みな独りよがりのこじつけで、漢の理にへつらったものであって、言うに足りない。ところが伊勢の人、龍氏は「日の神、月の神は、人の顔があって体に光明を帯びている。外典で説くような『陰陽の精』ではない。仏経にいう日天子、月天子である。この二天子は人の形をしており、仏会(ぶつえ)に来臨して説法を聴いたのである。今、神書を説くものは日神、月神は空に懸かる日月だと、それぞれ別の解釈をしているが、私は古人がそういう説を説いたことを聴かない。誰が信じようか」と言う。この説は仏教に溺れて、日天子・月天子と言い、仏会に来臨して、などと同じように誤っていて、やはり言うに足りぬ説であるが、世人が漢籍の説に溺れていることは理解している。この人が月日は陰陽の精でないと理解したことは、仏教を知っているからであろう。このことを考えるにつけ、世の学者たちが、皇国のいにしえの書物の力によって、外国の説の誤りを見つけられないでいるのは返す返す残念でならない。】

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