2017/04/23

アナクシマンドロス「ト・アペイロン (無限定)」



 タレスはミレトス市の人でしたが、このタレスに続く人たちが出てきます。

彼らを総称して「ミレトス学派」という言い方がされます。

タレスに続いた人というのは、タレスの仲間とも弟子といわれるアナクシマンドロス(BC610頃~550頃)です。

彼はタレスより14~5歳年下で、タレスと同様ミレトスの人でした。

 彼の業績は一般には、タレスの「」という言い方に変えて「ト・アペイロン」というものを持ち出し、これは「水が原理としては限定性をもっていて、不適当である」という指摘であった。

そこで「無限定」を意味する「ト・アペイロン」というものを言ってきたのだ、と説明される。

 この「ト・アペイロン」を、かつてそうされたように「無限定的なもの」と訳すと、何か抽象的な実体を言っているように誤解されてしまうので、最近では殆ど訳さず原語のまま「ト・アペイロン」と示しますが、つまりかなり自然的・具体的なものなのです。

要するに、まだ区別というものが生じる前の、何か自然物すべてを含み込んだ一つなるもの、といった感じのものです。

それが私たち存在世界の「初めの姿」だと言うわけです。

 こういう言い方をしてきたのは、であったとしたらなぜ水から火が生じるのか説明できない(なぜなら、水は火を「消す」ものであって、火を生み出すとは観察されない)からでした。

もちろん、この「最初のもの」が、他の具体物であるわけにもいきません。

なぜなら、もし「火」だとしたら、もはや水という要素は蒸発してなくなってしまっているでしょう。

 そこで、そうした「火」とか「水」とかの限定が生じる前のものでなければならない、という意味合いで「ト・アペイロン」というものを言いだしたと考えられます。

 ここで大事なのは「こうした吟味・批判を加え、新たな答えを提出する」という態度そのものです。

私たちにとっては「水」であれ「ト・アペイロン」であれ、いずれにしたって「バカバカしい答え」だと思えます。

しかし繰り返しますが、これらは「世界というものを、まともに考え始めた最初」なのです。

それ以前は「神様の仕業」として説明する仕方しかありませんでした。

このように、世界を理性で納得できるように説明しようとする態度が大切なのです。

これがギリシャ精神なのであって、ギリシャ思想が排斥されていた中世にあっては、再び神話の世界へと逆戻りしてしまいました。

 今日のような考え方は、ギリシャ思想が復活したルネサンス以降にやっと再発して、神話的考えと戦いながら苦労惨澹ここまで来たものなのです。

もしギリシャに彼らが生まれず、あるいは復活しなかったら、人類はまだ「神様の仕業」として世界を理解していたであろうことは間違いありません。

なぜなら現代でも、まだ神話的に理解する人もたくさん存在しているからです。

 一方、アナクシマンドロスの批判はまだあり、タレスが十分説明していなかった「生成の原因」についても言及していきます。

すなわち、この「かたまり」は永遠に動いているのですが(あとで触れますが、彼ら、ないし殆どのギリシャ人にとって、世界はそのものとして生命を持った生き物なのです。

物質は生命のない、ただの「物」であるという考え方も存在はしましたが少数意見で、これはまた近代に特徴的な考え方です)、そうこうしているうちに、その運動のせいで、何やらの「生みだすもの」が生じた、といってきます。

これは生物学的には「胚芽」のようなものでしょうが、彼の説明の仕方は天文学的なので「渦巻き星雲」をイメージした方が良いです。

 ここに「」と「湿」、「」と「」という要素が生じてくると言います。

たしかに渦巻き星雲だとすれば、そんな要素が生じてこなくてはならないようです。

それは回転しているうちに突然大爆発を起こし、火の球となって散り、太陽や月、その他の星々となったと言います。

何やら現代天文学のビックバンと同じ考えで興味深いです。

そして、彼はこの「冷・湿・熱・乾」の四つの要素で、存在の生成を説明していくことになります。

 しかし、その「冷・湿」とか「熱・乾」とかは「性質」ではないかと思われるかも知れませんが、この当時は「物」と「性質」という厳密な区別はありません。

性質も、それ自体として存在なのです。

彼の存在物の生成の仕方を説明しますと「暖か」で「湿った」ものの中に生命が生じ、それゆえ始めの生物は魚のようなものであり、鱗をもった外皮に覆われていたが、やがて年月を経て、そこから陸に上がってくるものが出てきた。

人間もその一部であって、初めは魚であったものから生じてきたのだ、ということになります。

これも、現代の進化論と同じ発想です。

 どこから、こんな考え方を引っ張り出したのかよく分からないのですが、観察が大きな要素になっていることは確かです。

それは、例えば陸地が海の乾燥によって生じてきたということを、内陸から発見された化石などで説明していることからも実証できますし、人間の幼児は長期の保護期間を必要とするということから、初めからこんな存在の形態をしていたのでは生き延びられる筈もないから、人間は初めは他の形態をしていたものから派生してきたものだろう、と推測しています。

いずれにしても、ただの神話的説明とは次元の異なった説明です。

0 件のコメント:

コメントを投稿