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ローランの歌:La Chanson De Roland
あらすじ
フランク王シャルルマーニュ(カール大帝)の甥ローランは、スペイン遠征から引き揚げるフランス軍のしんがりをつとめた。しかしサラセンの大軍に襲われ、親友オリヴィエとともに玉砕する物語である。ロンスヴォーの戦い(Roncevaux、スペイン語:ロンセスバーリェス Roncesvalles)。
この話は、次の史実に基づいて創作された。778年、シャルルはスペインのサラゴサを攻撃するが陥落しない。そのうち本国でサクソン人が蜂起し、やむなく撤退を決意した。帰途についたフランス軍がピレネー山中に差しかかった時、バスク族の待ち伏せに会い、しんがり部隊は全滅した。
この敗退は、シャルルの生涯の中で最も重大な事件であった。フランスで作られたこのローランの歌は、善なるキリスト教徒が悪なるイスラム教徒を徹底的に打ち負かすストーリに置き換わり、ヨーロッパ全土で莫大な人気を博した。
ガヌロンの裏切り
われらが大帝シャルル王は、まる7年、イスパニアにあって異教徒の街を攻め、これを平定した。残るは山間の街サラゴサ(Zaragoza)のみ。サラゴサのマルシル王は、とりあえず降伏することとし、莫大な財宝と人質の提供を申し出てきた。
大帝は重臣たちと、この申し出を検討する。ローランは信用できないと反対するが、ガヌロンや他の重臣は賛成し、サラゴサに使者を出すことになった。ローランは使者の役目を申し出るが許されず、「では、義父ガヌロンを!」と推挙した。ガヌロンは「危険な使者に選ばれた」と、ローランを深く恨んだ。
ガヌロンは、サラセンの迎えの使者ブランカンドランと一緒にサラゴサに向かった。二人は、ローラン憎しで意気投合する。そして、サラゴサ王マルシルにフランス軍を破る秘策を教える。フランス軍の強さはローランと親友のオリヴィエがいるからで、彼らを後衛に配置して集中的に攻撃すれば破ることができる。
ガヌロンはサラゴサの鍵と大量の財宝、20人の人質を連れて帰り、和平が成立した。
マルシル王の追撃
フランス軍は進軍ラッパを鳴らして引き上げを開始、ガヌロンの陰謀でローランたち12人の勇士と2万の軍勢が後衛に配備された。
サラゴサ城内には3日で40万の軍勢が集まり、マルシル王は追撃を開始した。まず、サラセン12人衆10万の軍勢が迫ってきた。オリヴィエは未曾有の大軍を見て
「ローランよ、角笛(オリファン)を吹き給え。大帝の軍は返り来るべし」
と進言する。
しかし、ローランは「それは武門の恥!」と断り、手元の兵力で迎え討った。
大僧正チュルパンは
「死せば殉教の聖となって、いとも尊き天国に御座を得ん」
と将士を祝福する。
フランス勢は、一斉に立ち上がる。ローランは駿馬ヴェイヤンチーフにまたがり、名刀デュランダルを手に敵勢に突っ込む。
ローランと12人の騎士は、サラセン軍を次々と討ちとる。戦闘すさまじく敵味方入り乱れて戦い、フランス軍は10万の敵を打ち破った。その時、マルシル王が新たな軍勢を率いて打ちかかってきた。多勢に無勢、フランス軍の12勇士も次々と倒れ、残りは僅か60騎となった。
フランス軍の奮戦
あまりの損害に、ローランは角笛を鳴らそうとする。今度はオリヴィエが「今頃吹くのは、それこそ恥」と制止した。大僧正は「吹いても手遅れ、さりとて吹かぬよりはまし」と諭した。
ローランは角笛を吹く。その音色は30里離れた大帝の耳に届いた。馬首をめぐらさんとする大帝をガヌロンは制止する。大帝は怒りガヌロンを裏切り者として逮捕、ローラン救援に向かった。
ローランは戦場にとって返し、奮然と打ち戦う。見ればかなたにマルシルあり、威風堂々、フランスの諸将を次々と討ち取っていく。ローランはマルシルに斬りつけたれば、その右の拳を切って落とす。続いてマルシルの息子ジュルファルーの首をも打ち落とす。マルシル軍は怖れをなして退却する。
マルシル退却のあとに、その伯父マルガニスがエチオピア軍5万を率いて現れる。
「いよいよ殉教の時至る。敵に一泡吹かそうぞ!」
と叫んだローランは、敵陣に跳り入る。
マルガニスは、オリヴィエの背後から撃ちかかり胸を突き刺す。オリビエは、深傷を負いながらマルガニスの脳天を切り裂き、「今生後世の別れなるぞ!」と叫んで果てた。
ローランの最後
フランス勢はことごとく討ち死し、生き残れるは大僧正チュルパンとローラン、ゴーチエの3人のみ。3人は大軍の中に飛び込み、めったやたらと斬りまくる。サラセン勢は怖れをなし近寄る者なし。敵勢は遠くから投げ槍、銛(もり)、鏑矢(かぶらや)を射かける。集中攻撃でゴーチエが倒れ、チュルパンも、4本の槍を浴びる。
ローランは、最後の力を振り絞って角笛を吹く。それに6万騎がラッパで応えた。サラセン軍は怖れをなし退却した。ローランは死を悟り、名剣デュランダルを敵に渡さないよう、岩にはっしと斬りつける。しかし、さすが名剣、刃こぼれ一しつしない。刃を折ることかなわず、ローランは息絶えた。
大帝はロンスヴォーの戦場に到着、敵と味方の死骸累々と横たわり、足踏み入れる余地だになし。大声でローランやオリビエの名を叫べど返事なし。大帝は逃げまどうサラセン軍を見つけ追撃した。
大軍の激突
サラゴサに逃げ帰ったマルシルのもとに、エジプトのバリガン王の援軍が到着した。瀕死のマルシルは、イスパニア全土を差し出すから仇を討ってくれと懇願する。
一夜明けて、大帝は戦場の累々たる死骸の中にローランと12人衆の遺体を発見する。その嘆きは深く、10万のフランス将士もみな地に臥して慟哭す。その時、バリガンの軍勢が現れる。大帝は愛刀ジョワユーズとビテルヌの盾を持ち、名馬タンサンドールにまたがった。フランスの10万騎も一斉に突撃する。
敵味方の軍勢は雲霞のごとく、その隊伍は整いて美し。間をへだつるに、山なく、谷なく、陵もなく、森もなければ、林もなく、兵を伏するよすがなし。両軍、平原のまっただ中にて遭遇す。
両軍入り乱れての激しい戦いが始まった。そして大帝とバリガン王との一騎打ちが始まり、激戦の末に打ち負かす。
ガヌロン処刑
ついに、アラビア勢は敗走、フランス軍は追撃してサラゴサを占領した。そして、異教の住民を改宗させたが王妃のみが改宗せず、捕虜としてフランスへ連れ帰った。
フランスに帰った大帝は、ガヌロンを裁判にかける。ガヌロンは重臣で一族も多く、助命する意見が大勢を占めた。一人、チエリーが異議を唱え、ガヌロンを処刑すべきと主張した。チエリーはガヌロンの一族と決闘してこれを破り、裁きは確定。ガヌロンは八つ裂きに、その親族も全員処刑された。
サラゴサの王妃はキリスト教に改宗し、ジュリアーヌと改名した。