2024/04/28

イスラム教(8)

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他宗教との関係

一般的には「剣か、コーランか」(戦争か、改宗か)と言う言葉で例えられるように、自らの主張を非常に暴力的に押し付けるイメージで見られる場合が多い。しかしこの言葉には続きが有り、実際には「剣か、コーランか、人頭税か」であって、たとえイスラム教徒の支配に下った国の民であっても、人頭税(ジズヤ)と言う別税を支払いさえすれば自らの宗教を信じ、その戒律に従い続ける権利が認められた。

 

そのため様々な制約はあったものの、イスラム王朝下のインドにおいてもヒンズー教は発達したほか、エジプトのコプト派、イラクのネストリウス派などのヨーロッパでは迫害されたキリスト教派、イランのゾロアスター教などの古代宗教も現代まで生き延びることが出来た。しかもその人頭税さえ、実際には商業推進のため免除される場合が多かった。

 

それでも多神教に対しては「コーラン以前の段階」と看做すことも多く、そのため古代仏教の一大拠点であったナーランダ大学を破壊するなどのことも時には有った。しかし、自分達と同じく「旧約聖書」を聖典とするユダヤ教徒、キリスト教徒のことは「啓典の民」と呼び、一定の尊重を示し続けた。そのため、キリスト教からの改宗者の子弟を中心としたイェニチェリ軍団は、後にオスマン・トルコを事実上で支配し、キリスト教圏では迫害されていた時代にも、イスラム圏のユダヤ教徒は安全に生活を送ることができた。

 

その反面、キリスト教徒は一貫してイスラム教を邪教として敵視し続けてきた。例えば中世欧州文学の名作として名高い「ローランの歌」は、イスラム教徒への侮蔑と罵詈雑言に満ち、近世フランスにおいて編まれた百科全書派の辞書にも「ムハンマド=有名なならず者」との表記が見られ、ほかにもムハンマドが黒ヤギに女性の上半身を接ぎ木したような外見のバフォメットという悪魔にされるなど、近代以前のヨーロッパの出版物においては様々な形で「異教徒」への悪意を見ることが出来る。

 

加えて、エルサレム奪回の名目の下に行なわれた十字軍においては、実際の現場では商取引など戦争以外の様々な交流が行なわれたにもかかわらず、それを知らない一般民衆の間では「異教徒」であるイスラム教徒への憎悪が様々な形で煽られることとなった。その当時から受け継がれて来た『あいつらは狂信的、暴力的』との偏見は、イスラム圏を植民地として支配下に置いた時代の優越感と入り混じりながら、現在まで続いているとされる。

 

またユダヤ教徒とは、中世から20世紀の半ばまでの非常に長い期間にわたって互いに良い関係を続けてきた。しかし第一次世界大戦の最中、当時パレスチナを支配していたイギリスが「バルフォア宣言」(1917)によってユダヤ人、「フサイン=マクマホン協定」(1915)によってアラブ人(パレスチナ人)の双方に、「/人◕‿‿◕人\ボクと契約して魔法少女味方になってくれたら、君の望み通りパレスチナをあげるよ」と囁いてしまった。それ以来、どちらにとっても非常に重要な聖地であるエルサレムを含むこの地域の帰属を巡り、両者の確執は一気に激烈なものとなってしまった。そのどちらも一歩たりとも引くことの出来ない険悪な関係は、未だに修復の目処が立たない。

 

ちなみに、イギリスはイスラム圏の東側でも似たようなことをしており、植民地化したインドの住民が自分に歯向かうことのないよう、ヒンズー教徒とイスラム教徒との対立を煽り続ける「分断統治」を徹底して行った。そのせいで、現在でもイスラム圏とヒンズー圏の間では比較的、確執の起きやすい緊張した関係が続いており、特にインドとパキスタンにおいては、どちらも核武装国であることから、その動向に世界の注目が集まっている。

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