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【魔法のパンの木】
ラオミキアクの孫、ミラッドはバベルダオプ島沖にあるンジブタル島に住んでいました。彼女の家の庭には魔法のパンの木があり、空洞になったその幹は礁湖まで通じており、海で大きな波が起きると、自動的に幹から魚が降って来たのです。優しいミラッドは、そうして手に入れた魚を都度都度、村人にも分けていました。
ところが、彼女のパンの木を羨ましがった村人達は悔しさのあまりに、ある日のことシャコ貝の斧で、その木を切り倒してしまったのです。その瞬間、幹の中からは大量の海水があふれ出てきました。水はとまらず、とうとう島は海の底に沈んでしまったのです。今でも、透明な礁湖を覗くと、その幹が見えるということです。
【亀の時間】
パラオでは、女性達は亀の甲羅から作った特別な貨幣を使っていました。昔は亀の習性が あまりよく知られておらず、この貨幣は大変貴重なものでした。
とある新月の夜のこと、ペリリュー島の青年とアラカベサン島の少女が、ンゲルミス島で逢い引きをしていました。彼らは、そこで夜を明かしていたのです。ところが朝、少女が気が付いて見ると彼女のスカートの一部が引きちぎられており、また彼女が寝ていた場所から浜の方に向かって亀の這った跡がついていました。とりあえず、その日は椰子の葉で新しいスカートを作り、彼氏とはまた満月の夜に遭う約束をして別れました。
二度目の約束の日、彼らは大きな亀が浜を上がってくるのを目撃しました。よく見ると、亀の足に絡まっているのは、この前ちぎられたスカートではありませんか!
このことがきっかけで、パラオの人々は亀が卵を産んだ後、大体二週間で元の場所に戻ってくるという亀の習性を知ったのです。
【石になった婦人】
コロール島のンゲルミド村に、バイと呼ばれる男性だけの集会所で夜通しいったい何が行われているのか、大変に興味を持った女性がいました。女性がこういうことに興味を持ったり、あまつさえバイに近づいたり中に入ったりすることはタブーとされていましたが、だめだと言われれば言われるほどに我慢ができなくなり、とうとうある日の深夜、子どもを連れ灯りをかざして森を抜け、こっそりとバイの側までやって来たのです。そして、そうっと中をのぞき込んだその瞬間、彼女は子どももろとも石になってしまったのでした。その石は、現在でもコロールに残っているそうです。
【パラオの起源】
太古の昔、とある島に住む夫婦に一人の息子が生まれました。その子は驚くべき速さで成長し、またもの凄い量の食べ物を食べたため夫婦二人ではとうてい養いきれず、
村中で養っていました。彼の成長は止まらず、村では彼の身体を覆って雨露をしのぐための特別なバイまで建てました。ところが、彼はどんどんどんどん大きくなり続けて、バイよりも大きくなってしまい、やがて島中の全ての食料を食べ尽くしてしまったのです。
困り果てた村人達は相談し、彼を殺してしまうことに決めました。母親は泣きましたが、このままでは村中の人々が死んでしまうことを考えて村人達に従いました。そして、村人達は大きな斧で彼の身体を斬りつけました。その切り離された体のそれぞれが、今のパラオの起源なのです。彼の脚はアンガウル島になり、かかとはペリリュー島に、胴体はバベルダオプ島、頭はカヤンゲル島という具合です。そして腕や手足の指が、残りの小さな島々になったということです。
【テバングの伝説】
レケシワルは、妻メルデラドと暮らすために故郷ンジワルを出て、ンゲルンゲサンに出てきました。2人にはテバングという息子がいましたが、メルデラドは若くして死んでしまったために、レケシワルは男手1つで息子を育てました。テバングは成長し、やがてンゲルンゲサンで妻を見付けます。ところが、この妻は義父のレケシワルと折り合いが悪く
、テバングに父親を追い出してしまうよう頼んだのです。レケシワルは故郷のンジワルに戻りますが、昔の知り合いはもうおらず年老いた身では自分を養うのもままならないため、「バイ」に身を寄せて近所の人達に養ってもらいました。
その頃、テバングはテバングで困った問題を抱えていました。友人と協力して、森から大きな木を切り出してカヌーを作ったものの、カヌーがタロ田にはまりこんでしまい、押しても引いても動かなくなってしまったのです。テバングは神官のところに相談に行きましたが、神官は「これは父レケシワルを追い出した報いである」と言ったきり取り合ってくれません。テバングは妻に、「俺は、これから父さんを迎えに行って来る」と言い、ンジワルに行って父親に詫びをし、家に戻ってくれるよう頼みます。
レケシワルは戻ってくると男達に言いつけて、カヌーを取り出すためのチャントを詠わせました。するとカヌーはするすると滑り出し、浜まで運ぶことができたのです。それ以来、人々は老人を敬い、みんな仲良く暮らすようになったということです。
【ヤップの石貨】
大昔、カロリン諸島のヤップ島の人々は航海を得意とし、遠距離航海も平気でした。そんな船乗り達が、パラオの南250キロの「ロックアイランド」の洞窟の中に、加工するのに最適な石灰岩質の岩脈を発見したのです。
彼らはこの岩を用いて、大きな円形の貨幣を作成しました。有名なヤップの石貨です。何世紀にもわたってヤップの人々はカヌーに乗った男達をこの島まで運び、石貨を切り出してヤップまで運んで帰ったのです。
石貨の価値は、石灰岩の模様の美しさだけでなく、1つ1つの石貨が無事にヤップに持ち帰られるまでの並々ならぬ苦労の度合いで量られました。実際、運搬中に嵐に出会うとしばしば人々は命を落としましたし、苦労して作り上げた石貨は一瞬のうちに海の底に沈んでしまったのです。今でもロックアイランド沖には、こうした不慮の事故で海底に沈んだ多くの石貨が見られるそうです。
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