2025/09/08

ローランの歌(2)

主な登場人物

フランク王国側

    シャルルマーニュ - フランク王国の王、カール大帝。

    ローラン - 物語の主人公。シャルルマーニュの甥。フランク王国の辺境伯。十二勇将のひとり。愛剣はデュランダル。勇猛だが、騎士としての矜持が災いし、十二勇将を破滅へと導く。

    オリヴィエ - 十二勇将のひとり。ローランの親友。

    テュルパン - ランスの大司教

    ガヌロン - ローランの継父。フランク王国を裏切り、ローランを死に追いやる。結局、裏切りがばれて、彼自身も一族もろとも処刑された。

 

サラセン帝国側

    マルシル王 - イベリア半島を支配するイスラム王国の王。

    ブランカンドラン - ヴァルフォンドの城主。知謀優れた男で、マルシル王の信頼を受けている。

    バリガン - エジプト王、マルシルの味方

 

史実との比較

基本的に778年のロンスヴォーの戦いをめぐる歴史的事実を元にしているが、物語と歴史の事実が異なる部分もある。例えば、歴史上では戦う相手がバスク人とガスコーニュ人であったのに対し、詩の中ではイスラム教徒に変えられている。その他にも、多くの点で恣意的に歴史とは違えられたところがあるとされる。ただし、イスラム勢力である後ウマイヤ朝との争いは史実で、『ローランの歌』でもアブド・アッラフマーン1世の戦闘の勝利を賞賛している部分がある。

 

これは、11世紀という十字軍の時代に、イスラム教徒に対抗するキリスト教徒を勇気づける役割をこの歌が担っていたからであり、歴史的事実とは異なるとはいえ中世の騎士道精神を示す典型的な例になっていると考えられている。

 

11世紀後半までには、現代のローランの歌は出来上がっていた。しかし、伝説によってふくらまされた部分が大きくなって、歴史的な考察は殆ど姿を消していた。例えば、この戦いの時点でシャルルマーニュは36歳であるが、歌の中では白髭を垂らし終わりなき戦いに長けた人物とされている。

 

シャルルマーニュの伝記作者であるアインハルトは、シャルルマーニュの同時代の人物で伝記作者のみならず、顧問役としてシャルルマーニュの王子のルイ1世につかえた人物である。アインハルトは、スペイン遠征からフランスへの帰国の途に就いたシャルルマーニュ軍の後衛が、軽装備で有利な地点から襲ったバスク人のために殲滅の悲劇にあったことを伝え、戦死した将の一人としてブリタニア辺境伯(Brittannici limitis praefectus)フルオドランド(Hruodland)の名を挙げている。

 

史実では、そもそもシャルルマーニュがイベリア半島に赴いたのも、後ウマイヤ朝に抵抗するムスリム勢力への加勢であり、サラゴサを包囲はしても攻略することなく退却している。アインハルトの著作には、ロンスヴォー峠という名前ではなく、ただピレネー山脈の峠とのみ書かれている。さらに歴史的には十二人の勇将の名も、当然ガヌロンの名前も確認されていない。

 

フランク王国年代記(Annales regni Francorum)にも、シャルルマーニュの後衛部隊の虐殺やロンスヴォーという記述はなく、歌には登場するマルシル、バリガンという名前も出て来ない。改訂版には、バスクのゲリラ軍がシャルルマーニュの後衛軍ではなく、全軍と戦ったという記述がみられる。

 

また、十二勇士は常に同じ12名ではなく、いくつかの伝説によればシャルルマーニュの親友にして、最も信頼できる戦士であった。彼らのことをパラダンもしくはパラディン(Paladin)と呼ぶが、この名称はパラティーヌ(宮中伯)と同義で、イタリア語のパラティーノからの借用例であると思われる。

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