思想
トマスの最大の業績は、キリスト教思想とアリストテレスを中心とした哲学を統合した総合的な体系を構築したことである。かつてはトマスは単なるアリストテレス主義者にすぎないという見方もあったが、最近の研究ではそのような見方は否定されている。
トマスはアヴィケンナやアヴェロエス、アビケブロン、マイモニデスなどの多くのアラブやユダヤの哲学者たちの著作を読んで研究し、その著作においても度々触れている。そこから、トマスは単なる折衷家にすぎないとの見方も根強いものがあったが、現在では、「存在」(エッセ)の形而上学がトマス的総合の核心であり、彼独自の思想である点に見解の一致があり、その存在をどのように解釈するかによって、様々な立場に分かれるとされている。
全体的にみれば、トマスはアウグスティヌス以来のネオプラトニズムの影響を残しつつも、哲学における軸足をプラトンからアリストテレスへと移した上で、神学と哲学の関係を整理し、神中心主義と人間中心主義という相対立する概念の、ほとんど不可能ともいえる統合を図ったといえる。
トマスの思想は、その死後もトマス主義として脈々と受け継がれ、近代の自然法論や国際法理論や立憲君主制にも多大な影響を与えただけでなく、19世紀末におきた新トマス主義に基づく復興を経て、現代にも受け継がれている。
神学
トマスの生きた時代は、十字軍をきっかけにアラブ世界との文物を問わない広汎な交流が始まったことにより、東ローマ帝国皇帝ユスティニアヌスの異教活動禁止のため、一度は途絶したギリシア哲学の伝統がアラブ世界から西欧に莫大な勢いで流入し、度重なる禁止令にもかかわらず、これをとどめることはできなくなっていた。また同様に、商業がめざましい勢いで発展し都市の繁栄による豊かさの中で、イスラム教徒であるとユダヤ教徒であるとキリスト教徒であるとを問わず、大衆が堕落していくという風潮と、これに対する反感が渦巻いていた。
トマスは、このような時代背景の下、哲学者アリストテレスの註釈家と呼ばれていたアヴィケンナやアヴェロエスとは、キリスト教の真理を弁証する護教家として理論的に対決する必要に迫られていた。またトマスは、同様にアビケブロンのみならず多くのユダヤ人思想家とも対決をしなければならなかった。トマスは、アリストテレスの存在論を承継しつつも、その上でキリスト教神学と調和し難い部分については、新たな考えを付け加えて彼を乗り越えようとしたのであり、哲学は「神学の婢」(ancilla theologiae)であった。
アリストテレス自然哲学とキリスト教神学の調停
アリストテレス自然哲学による二元的宇宙像は、地上界の出来事には必然的に天上界が作用するという考え方の基本となった。この考え方には
「地上界のあらゆる出来事は、天上界の動きによって予め決まっている」
という運命決定論と、逆に天上界の運行がわかれば未来を予測できるという占星術が含まれていた。この「自然が自身の法則性にのっとって自律的に振る舞う」という古代ギリシャ自然哲学の世界観は、神による奇蹟を認めるキリスト教とは相容れなかった。
キリスト教会は、400年の第1トレド教会会議で占星術の排斥を決議し、さらに561年の第1プラガ教会会議でも占星術を公式に否定した。その後、ヨーロッパでは古代ギリシャ哲学の書物は、イスラム圏に流出したもの以外は教会の書庫の奥に眠ることとなり、その内容は次第に忘れ去られていった。
ところが12世紀ルネサンスの過程で、イスラム圏からの流入によって、ヨーロッパの知識人たちはアリストテレス自然哲学を知ることになる。そしてアリストテレスの自然哲学が大学で教育され西欧の知識階級に浸透してゆく過程で、二元的宇宙像とそれに基づく占星術は一般の人々を広く魅了して浸透していった。キリスト教は一方的な禁止や弾圧では、アリストテレス自然哲学を抑えきれなくなっていった。トマスは、その危機に直面したキリスト教神学を救った。
問題は
「アリストテレスの二元的宇宙像では、天上界が地上界のどこまで影響を及ぼすのか」
ということだった。
トマスは
「物体としての天体は物体としての人間の身体には作用するが、非物体としての人間精神や意志には直接作用することはない。」
と解釈して、キリスト教神学とアリストテレスの自然哲学を調停した。
彼の神学思想は、死後一時異端と判断されたが、1322年に復権してキリスト教世界で公式に認められ、14世紀中期に正統神学の地位を確立した。
一方で、トマスのおかげで、アリストテレスなどによる古代ギリシャ自然哲学は、公に研究できるようになった。これによるアリストテレス自然哲学などの研究は、17世紀のいわゆる「科学革命」へとつながっていった。
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