2026/09/07

陽明学(3)

『大学』の再解釈

この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)

宋明理学におい、て四書は非常に重視された経書である。このうち、『大学』は、宋以後著しく経書中の地位が上昇し、且つ朱子と王陽明で解釈が著しく分かれた。以下、主な朱子学との相違を記す。

 

テクスト

朱子学:朱子は大きく『大学』を改訂した。朱子以前より『大学』は文章や字句が並べ間違えられ、あるいは抜けていると言われていたが、それを改めたのが『大学章句』である。『大学章句』は程顥・程頤のテクスト批評を継承し、朱子が完成させたもので、脱落したと思われる箇所は朱子が書き足している。

 

陽明学:王陽明は朱子学以前のテクストをそのまま使用した。ただし、王陽明の序を付したものを『古本大学』という。

 

「大学」という言葉の意味

朱子学:大学を「大人の学問」と規定する。大人は成人の意である。

陽明学:小人に対する大人、すなわち「君子の学問」と規定する。小人は徳の無い者の意である。

 

三綱領の「親民」

三綱領とは『大学』における三つの総括的な主題で、『大学』はこの主題を説明するためにあるといってもよい。その二番目にあたる「親民」の解釈をめぐっても、朱子と王陽明は大きく異なる。

朱子学:朱子は「親」を「新」と読み替え、「民を新たにす」、つまり「自分自身の明徳を明らかにした君子が、他者にまでそれを及ぼし革新する」の様に解した。

陽明学:王陽明は素直に「民を親しむ」と読む。

 

八条目の「格物致知(かくぶつちち)」

八条目とは三綱領の細目で「格物」「致知」「誠意」「正心」「修身」「斉家」「治国」「平天下」の八つである。

朱子は読書・修養によって聖人の高みに至るとし、三綱領に置かれた「格物致知」に根拠を求めた。つまり、「物に格いたる」(事物に即して理を極める、格=至)とした。

一方、王陽明は、この部分を再解釈し「物を格ただす」(物=事、格=正)とした。朱子においては「知」は道徳知と知識知が未可分であったが、陽明は専ら道徳知として理解する。「事」とは心の動きである「意」の所在であって、「知」とは良知を指す。「格物致知」を、「意」を正すことにより良知を発揮することとしたのである。端的に言えば、心の不正を正すと王陽明は再解釈した。

 

「誠意」の重視

朱子学:朱子学で最も要とされたのは、上記の「格物致知」である。

陽明学:陽明学で最も要とされたのは、「誠意」である(「大学の要は、意を誠にするのみ」)。ただし陽明学の観点から言えば、意が誠ならば良知は致されており、また物も格されている。つまり「物を格し、知を致す」とは「意を誠にする」ことである。

 

陽明学が開いた地平

聖人観の変化

この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)

宋以後、「聖人、学んで至るべし」と言われるように、聖人は読書・修養によって人欲を取り除いた後に到達すべき目標とされるようになる。つまり理念的には、あらゆる人が努力次第で聖人となる道が開かれた。ただ読書などにかまける時間が多くの人々にあるはずもなく、実際にはその道は閉ざされたままだったといえる。

 

しかし陽明学では心以外の外的な権威を否定するため、もう読書などは不可欠なものとは認められない。むしろ万人に平等に、そしてすでに良知が宿っていることを認めていこうとする。王陽明のある弟子の「満街これ聖人」(街には聖人が充ち満ちている)ということばは、端的にこのことを表現していると言えよう。陽明学にあって聖人となれる可能性があるのは、読書人のみならず普通の庶民にも十分あるとされるのである。朱子学との連続性を考慮するならば、宋以後における聖人の世俗化の動きが、明代中葉・末期に至ってひとつの頂点を迎えたといえる。

 

人欲肯定への道を開く

この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)

心全体を理とするならば、その内にある欲望のみを否定することは原理的にできない。王陽明自身は「天理を存し人欲を去る」という朱子学的な側面を捨てきってはいなかったが、下で述べるように、その弟子達は人欲を自然なものとして肯定していくのである。よく知られているように明代中期以後、急速に貨幣経済が浸透する。軽々に思想と経済の間の因果関係を結論づけることはできないが、陽明学における人欲の肯定が、発展著しい商業経済にとって時宜に適う思想であったことは間違いない。

 

経書の地位低下

この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)

心を外的な規範から解放した結果、六経などの経書を尊び学ぶ姿勢が減退していくことになる。王陽明自身は「吾が心に省みて非なれば、孔子の言といえども是とせず」と言い切ってはいても、未だ経書への姿勢は謙虚さがあった。しかしその弟子、就中高弟と言われる者でも、生涯に読んだ経書は四書だけといわれる人が陽明学派から出てくるようになる。かくして経書はその聖性を減じていき、六経は単なる歴史に過ぎないという解釈が生まれた。これは清代考証学の一派である黄宗羲ら浙東史学から章学誠を経て、章炳麟へ受け継がれていった。

 

朋友関係の重視

この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)

陽明学の一派は、講学といわれる研究会を好んだことで知られる。派内の交遊が壮んであることは、「五倫」(父子・君臣・夫婦・長幼・朋友)の中でも特に「朋友」という人間関係を重視する姿勢を生み出した。すなわち極めて同志意識・連帯意識が濃厚であった。本来、朋友以外の四倫は上下関係を基礎におくものであるが、朋友に限っては水平方向の人間関係である。それを重視するということは、儒教的価値観に一石を投じるものであった。