2005/04/07

レスピーギ『ローマの噴水』(ローマ三部作)



 ローマといえば音楽家を始め、古くから芸術家たちの憧れの地である。

イタリア・ボローニャ生まれの作曲家レスピーギは、ローマの持つ歴史と伝統の熱烈な賛美者であり、そこから『ローマ三部作』という傑作が生まれた。

20歳で故郷の音楽院を卒業すると、単身でロシアに渡り「管弦楽の錬金術師」として名高いリムスキー=コルサコフの門を叩き、管弦楽の技法を徹底的に叩き込まれる。レスピーギを語る時に真っ先に挙げられるのは、このリムスキー=コルサコフ直伝の華麗なオーケストレーションである。

最初に作曲されたのは、ローマに居を構えて間もなく完成した『ローマの噴水』である。ローマには「フォンタナ(fountain」と呼ばれる噴水が沢山あり「トレヴィの噴水」などは名物だが、以下の4つの噴水の、それぞれの特徴を巧みに音で表現した。

1.夜明けのジュリアの谷の噴水
2.朝のトリトーネ(トリトン)の噴水
3.真昼のトレヴィの噴水
4.黄昏のメディチ荘の噴水

4つの楽章は続けて演奏され、それぞれの噴水が最も美しく見える瞬間を印象主義的技法を交えながら綴ったものである。

ローマ三部作は、その作曲者の才能が如何なく発揮された作であり、今回紹介する『ローマの噴水』に加え『ローマの松』、『ローマの祭』という3つの交響詩をまとめたものである。それぞれにテーマと作曲年代は違うが、いずれもレスピーギが愛してやまなかったローマをテーマにしている点は共通している。

つまりレスピーギという作曲家は、半生を賭けてローマの風景と歴史を音楽で綴った人だと言っても過言ではないだろうし、事実30代半ばからローマに永住した人であった。

『ローマの噴水』は「ローマ三部作」の嚆矢となった作品である。初演の際には評論家の嘲笑を買ったが、その後は最も有名な交響詩の一例として知られるようになった。

スコアの冒頭の序文には、次のような説明がある。

「ローマの噴水の四つで、その特徴が周囲の風物と最もよく調和している時刻、あるいは眺める人にとってその美しさが、最も印象深く出る時刻に注目して、受けた感情と幻想に表現を与えようとした」

1部 夜明けのジュリアの谷の噴水(伊;La fontana di Valle Guliae
牧歌的な光景にたたずむ夜明けの噴水が描かれ、朝ぼらけのなか家畜が通り過ぎる。

2部 朝のトリトンの噴水(伊;La fontana del Tritone al mattino
トリトンの噴水に近いベルニーニの噴水の彫像に見ることができるような、朝の日差しの中で踊るナイアデスとトリトンが描かれている。ホルンは神々や女神たちが、ほら貝を吹き鳴らす様を示している。

3部 真昼のトレヴィの噴水(伊;La fontana di Trevi al meriggio
ネプチューンの新たな勝利を告げる、凱旋式に導かれて始まる。

4部 黄昏のメディチ荘の噴水(伊;La fontana di Villa Medici al tramonto
よりメランコリーに沈んだような雰囲気を伝えつつ、輝かしい夕焼けが消えていく風景を描く。
出典Wikipedia

2005/04/05

才能の塊

全校生徒を前に、雛壇に上がり

 

「みなさんの応援のお蔭で、最後に一番いい内容と結果を出すことが出来ました」

 

と、相変わらず謙虚で言葉少なに挨拶を終えたみどり。この時に記録したみどりのタイムは、サッカー部エースの自分がスポーツテストで計測した時のタイムより早かった。 同じサッカー部のゴトーも自分より少し速かったが、調子の良い時でもみどりのタイムに及ばない。長距離は苦手なにゃべとはいえ、男子の中でもかなり早い方だった事を考えれば、このみどりのタイムが、女子としてはいかに化け物じみたものかわかる。おそらく男子に混ざっても、確実に10番以内には入っていただろう。

 

しかも、このみどりの場合は中長距離だけでなく、100m12秒台、200m25秒台と、女子としては短距離選手並みのタイムを叩き出しており、走り幅跳びでも当たり前のように毎回5m台を記録していた事からもわかるように、総ての面で傑出していた筋金入りのスポーツ少女であった。

 

カオリとみどり。この2人が『A高』の2大スターとして皆の人気と尊敬を集めたのは、その見事な競技力もさることながら、あれだけの実績を積み重ねながらも終始それを鼻にかけるような、増長した態度がまったく見られなかったことに尽きる。カオリは気の強さが取り沙汰されたように、感情の起伏が激しいところはあったようだが、みどりの方は走っている時の殺気立った雰囲気とは打って変わり

「普段の教室内では、いるのかいないのかさえわからないくらい、大人しかった」

と評されたくらいで、国体入賞という偉業を成し遂げた後も、その態度に些かの変化も現れなかった。

 

多くの事例にみられるように、みどりの才能も子供の頃から傑出していたらしく、小・中学ともに最初の授業で体育教師の熱視線を集めた、というエピソードは有名だった。「教室では、殆ど存在感がない」と言われたみどりだが、ひとたびグラウンドに出れば、その存在感は誰の眼にも際立つものだった。

 

彼女ほど素人目にも明らかに才能を感じさせる存在は、極めて稀である。入学して間もない頃の事を、今でも鮮明に思い出す。

 

「有名な陸上部のノムラというのは、どの女だ?」

 

とサッカー部の練習中にゴトーらと連れ立って、こっそり陸上部の練習を見に行った。無論、中学が別なので、これまで誰も見た事がなかったにもかかわらず、遠目からでも一目で

 

「あれに違いない!!!」

 

と皆で声を揃えたくらい、その才能は圧倒的に輝いていた。

 

多くの部員に混ざり、練習前のアップをしていたところだったが、そんななんでもない動きを見ただけでも、まるで全身がバネのようで並々ならぬ運動神経に3人とも見惚れてしまったのである。

 

「ありゃ、全然モノが違うな・・・」

 

「うむ・・・こんなイナカの公立に置いておくのは、実に惜しい」

 

と、その野生動物のような鋭くもしなやかな体の動きに、同じように見惚れていた。

 

国体で見事な入賞を果たしたみどり。インターハイで活躍した美少女・カオリとは違い、十人並みの容姿に中肉中背(ただし、かなりの筋肉質だが)と、外見はどこにでもいそうな女子高生というタイプだけに、前年のインターハイ後に起こった「カオリ・ブーム」ほどではないにせよ、それでもかなりの注目を集めた。

 

元々、殆ど無名の存在から、インターハイの直前に彗星の如くに現れたカオリとは違い、スポーツ万能のみどりは春の陸上競技会や秋の文化祭の大運動会、さらには前年冬のマラソン大会などでは常に華々しい活躍を見せていたし、スポーツテストでも唯一「特級」を獲得していた事などもあり、当初から知名度は誰よりも高かった。その分、どうしてもカオリほどの鮮烈な印象にならなかったのは、致し方ない。

 

こうしたスポーツの一流選手というと、カオリに代表されるような「気が強く強く負けん気の塊」のようなイメージだが、みどりの場合は内面はともかくとして非常に穏やかな性質だったようだ。カオリと同じく、みどりとも同じクラスになる運に恵まれず、殆ど接触のないままに終わってしまったのは、実に惜しまれる。

 

前年はこの2人、そしてこの年もみどりと同じクラスだったゴトーによると

 

「どっちも、教室ではおとなしいぞー。つーか、まったく存在感がねーと言うべきか・・・」

 

などと繰り返していた。

 

「ヨシノは練習疲れでいつも眠そうにしてるし、授業中は蛻の殻のような感じだな。ノムラは案外に真面目そうだったが、存在感がねーのは似たようなもんだ」

 

と好色オトコらしく、鋭い分析をしていた ( ´艸`)ムププ

2005/04/04

エースの復活(高校生図鑑part21)

インターハイと並ぶ、高校生のスポーツの祭典が国民体育大会(国体)である。

 

サッカー部の場合は、夏のインターハイと冬の高校選手権の二大大会に比べ、国体は「県代表チーム」となるだけに、あまり関係がなかった。同級生で、このクラスの全国大会に出場できる実力となると体操部のカオリ、陸上部のみどり、そしてヨット部のタカミネ御曹司辺りに限定される。

 

3人の中で、これまでピカイチの実績を残してきたカオリは、前年のインターハイで床運動の「銅メダル」を初め、女子総合で入賞。この年のインターハイでも、2年続けてメダルを獲得(平均台の銀)したばかりか、総合でも連続入賞を果たすなど、その美貌とヴィーナスと称された見事なプロポーションも相俟って、存在感は圧倒的であった。

 

そのカオリに、すっかり「主役」の座を明け渡したかに見えたのが、みどりだ。中学時代から、A市の隣町に一つしかない中学では「メチャクチャに足の速い女」で有名だった。

 

中学生のころは短距離の選手だったという事だが、100m200mでは中学生の地区大会で優勝し、陸上の盛んな幾つもの私立校から特待で誘われたという、輝かしい経歴の持ち主であった。

 

『A高』陸上部に入部とともに、中距離に転向。しばらくは勝手が違ったか、2年生までは精々が地区大会入賞くらいで(それでも大したものだが)、全国大会出場までには至らなかった。小・中学の同窓生によると

 

「みどりは運動会の徒競走では、常に1等だったね。それも一人だけ飛びぬけて速かった。ウチの学校の体育祭は、まるでみどり一人のためにやっているようなものだったよ」

 

という証言からもわかるように、速さだけならば相当なものだったろうが、中距離は陸上では「最も難しい距離」とも言われるように、100mから転向したみどりはここでも実力は申し分なかったものの、馴れないレースの駆け引きに苦労させられたようである。

 

美貌だけでも充分に通用する体操部のカオリとは違い、みどりの方はありきたりの容姿だったせいか、当初の注目度では到底カオリの比ではなかった。高校入学後から一気に成長したカオリとは違い、中学時代から注目されていたみどりこそは、最も期待の大きい「天才少女」と言えたが、あまりの期待の大きさに押し潰されたか、怪我にも泣かされ続け2年生までは実力を発揮できぬまま終る。

 

1年生のインターハイは、よもやの県予選敗退。国体に至っては、捻挫で予選出場すら逃す屈辱を味わう。2年生になると体操部のカオリは見事個人総合で入賞、種目別では表彰台にも上がり一躍、スターダムへと伸し上がっていく。

 

一方、みどりの方は、県大会レベルでは入賞の常連となっていたが、満を持して登場したインターハイでは予想に反して入賞を逃すなど、全国大会では活躍できずに終わった。普通であれば、充分に注目に値する戦歴ではあったが、何しろ華やかなカオリの存在感の前に、いかにも蔭が薄かった。

 

この結果を受け、カオリの大活躍と比較して

 

「ヨシノとは違い、ノムラは所詮ローカルレベルだった・・・」

 

との烙印を押された。

 

そしてこの年の結果は、2年連続入賞を果たしたカオリが夏休みの全校出校日に華やかに凱旋し、校内挙げてのフィーバーで迎えられたのに対し、みどりの方はさぞかし内心、悔しい思いをしたに違いなかったが、カオリには笑顔で拍手を送っていた。

 

みどりの不振続きの原因として、度重なる怪我などがあったに違いないだろう。が、言い訳などはひと言も口にすることなく、黙々と練習に取り組んでいたみどりが、ようやく本領を発揮し始めたのは3年生になってからだった。

 

まずインターハイで念願の入賞を果たすと、続いて国体にも出場を決める。インターハイでは、2年続けて入賞した女子体操部のエース・カオリに対し、満を持しての登場は「陸上部の」というよりは「A高体育系全クラブの大エース」みどりである。

 

選考レースの位置づけだった東海大会では、前年の国体で入賞した強敵を破り優勝という、堂々たる実績を引っ提げての登場だ。みどりにとっての夢の舞台、国体。女子1500mは、予選で4組(各10数名)に分かれ、各組の3着までと4位以下の上位タイム者4人が決勝へと進む。前年は、決勝進出を逃すという屈辱に塗れたみどり。この年は予選3組を2位、全体では8位で余裕を残して通過し、決勝へと駒を進める。

 

そして「最低でも入賞」の期待を背に迎えた翌日の決勝は、予選を通過した全国の強豪16人がエントリーしていた。後半まで、入賞圏内ギリギリの8位に着けていたみどりは、ラストスパートで大爆発、目の覚めるような一気加勢のゴボウ抜きを見せた。

 

結果は、惜しくも表彰台は逃したものの、インターハイを上回る順位での入賞となり、(恐らくは)『A高』陸上部の歴史を塗り替える大快挙を成し遂げた。

2005/04/03

coffee time(2) (。 ̄Д ̄)d□~~

 さて、そんな或る日の事・・・書き上げた原稿を新聞社に届けた帰りに名古屋駅近くで一軒の古びた喫茶店を見つけ、なんとなく気まぐれをおこして入る事にしました。普段入る喫茶店は原稿を書くための机を借りるためのものなので、安さ重視でコーヒーの味などは二の次三の次です。そんな具合に拙いコーヒーばかり飲まされ毒された胃が、原稿が仕上がった時くらいはマトモな喫茶店の旨いコーヒーを求める心持が生まれたとしても不思議はありません。

その店は、開発の進む名古屋駅の近くで辛うじて生き残っているといった、いかにも老舗風の古びた風情で、カウンターには60は過ぎていそうな白髪頭のオジイサンが中に、外には奥方らしきオバアサンが控えていました。

(こりゃ失敗したか・・・違う店にするんだった・・・)

と腰を浮かしかけたところに、オバアサンがオーダーを取りにきました。なんとなく損をしたような気分になりながらも、仕方なくコーヒーを注文して窓際の席から外を見ると、色の付いたドアは外からは中は見えなかったのに中からは外が素通しになっていて、家路を急ぐ勤め人や団体ではしゃいでいる学生のような、若者がゾロゾロと引きも絶えません。しばらく待つと

「お待たせしました・・・」

という艶のある若い声とともに、いつの間にやってきたのかOL風の若い女性がコーヒーを運んで来ました。前髪で半分ほど隠れた顔が、中々の美形でした。クラシカルな感じの分厚いコーヒーカップからは、これまで飲んできたどの「高級店」のコーヒーからも経験した事のない、芳しい匂いが立ち昇って来ています。 砂糖壺を開けると今時珍しく小さめの角砂糖が入っており、当時は甘党だったワタクシは2つを落として飲む事にしましたが・・・

(ムムムム・・・これは・・・世の中にこんな旨いコーヒーがあったなんて・・・)

まさに瓢箪から駒、目から鱗とはこの事でしょう。こうなると勝手なもので、それまでは照明を落として薄暗い店内の辛気臭いような雰囲気が、衒いのない老舗の重厚な落ち着きを感じさせ、また客席の多くを 占めていたショボくれたように見えていたサラリーマン族が、苛酷な仕事を終えた束の間の休息を楽しむため重荷を下ろしてノンビリと寛いで見え、また経費をケチって安上がりに済ませようとの魂胆かと思えた珍しい角砂糖までが、本物のコーヒーの味を追求する老マスターの味への拘りの結晶か、とも思えてくるから不思議なものです。要するにそれほど、この店のコーヒーは旨かったのでした。

 その後、十数年の間に「旨い!」と唸ったコーヒーとの出会いは何度かありましたが、香り、コク、切れ味ともに、このコーヒーの勝るような旨いコーヒーには、未だお目(口?)にかかった経験がないくらいです。

(よし!
これからは、この店に通うぞー)

と決意したワタクシは、他の「間借り」の店との一線を画すために、この店では原稿を書かない事に決めました。原稿を書き始め興が乗ってしまうと、中途半端なところで終わらせる事が出来ずにどうしても長居になってしまうため、基本的に老夫妻のみのこの店では、直ぐにブラックリストに載せられてしまいそうであるし、なにより原稿を書いている時はその世界に没頭しているため、コーヒーの味などは殆んどウワの空であったことが理由です。折角の旨いコーヒーだから、頭を空っぽにしてじっくりと五臓六腑に染み渡らせたいものである。 

それから、しばらくはイッパシのコーヒー通になった、幸せな「勘違いの日々」が始まりました。人一倍無精な反面、興味の対象にはトコトン拘る性質のワタクシは、自宅においてもコーヒーメーカーだけでは飽き足らず、コーヒーミルまで買い込んで来て専門店で豆を購入し、一杯一杯挽きながら味わう事になります。 イメージするような味が出ずに試行錯誤を繰り返したものの、やはりあの店のような極上の味を出す事は適わぬままに根気が続かず、数ヶ月も経つと粗大ゴミが増えていく事になります。

そうして自宅では、不味いインスタントコーヒーで我慢しながら、例の店の極上コーヒーを堪能する日々が続き、ガラにもなく大人しくコーヒーを啜っていたのでしたが、ここでもまた例によって妙なトラブルに巻き込まれてしまう事になりました。

その日もいつものように、ノンビリと寛いで極上のコーヒーを味わっていると、ポケベルが鳴り

xxxxxxxx(電話番号)-49

というメッセージが表示され、慌ててカウンターの電話へ飛んでいったものの据えてあるのは古い店らしく、旧式のピンク電話でテレホンカードが使えません。相手は取引のあった東京のプロダクションなので、後になって考えれば店を出て直ぐのところにある公衆電話を使ってテレカで掛ければ良かったのでしたが、それまで滅多になかった49」(至急)のメッセージに対して焦る気持ちが、単純に視界にあったピンク電話に向かわせたのでしょう。手持ちの10円玉を全部入れて電話をしたものの、何せ名古屋から東京だから見る見るストンストンと10円玉が消費されていく。しかも悪い事に、話がまた込み入った内容でした。

さらに悪い事には、相手の編集長というのが元々口下手な上に要領の悪いタイプとあって、手持ちの100円玉を片っ端から両替していって貰ったものの、あっという間に吸収されていく。カウンターでは老夫婦が、時ならぬ両替に追われ大童をした挙句に、遂にレジにあった10円玉が殆んど底をついてしまい、暇な(?)客の注視を浴びるなど、ちょっとした騒動に発展してしまった。

(これだけ迷惑を掛けたら、明日から行き難くなるじゃないか・・・)

と思ったものの、翌々日には何食わぬ顔でまた足を運んでいたけどね。

2005/04/01

愕然(マエストロにゃべpart3)

その身に一身に集まる視線、己の一挙手一投足に反応し忠実に動く、44人のシモベ(?)

 

(うーん、こりゃ辞められん。かいかーん!! (*▽´*) ウヒョヒョヒョ

 

しかも悪い事に『A高』学園祭は一般にも開放されていたから、他校の学生やら近所の一般人やら、それなりの見物で人垣が出来ていたこともあって、すっかり舞い上がってしまい、目立ちたい一心でメチャクチャなパフォーマンスを演じてしまった。

 

しかしバンドの方は、最初から指揮などは当てにしてなかったか、はたまた日頃からの千佳の統率が優れていたのか、素晴らしい演奏を披露してくれた。

 

そして、運命の結果発表!!

 

「クラス対抗ブラスバンド大会。優勝は・・・『威風堂々』のA組に決定!!!」

 

生徒会長タカミネ御曹司の美声が高らかに告げ、リーダー千佳の元に日々特訓を続けて来たメンバーの女学生らは、みな感激の涙に暮れた。

 

「優勝トルフィーは、オマエが・・・」

 

「いいよ・・・にゃべ行ってきて」

 

と千佳に譲られ、タカミネ会長から金色に輝くトルフィーを手渡されたにゃべ。

 

「御曹司よ、祝福コメントをくれ・・・」

 

「うむ・・・クラスとしては悔しい。が、学校としては誇らしい演奏だった」

 

さすがは御曹司!

 

御曹司から褒められ、すっかりご機嫌となったにゃべ。

 

「ナカジマよ、総ては上手く纏めてくれたオマエのおかげだ。あの短期間で、みんながあんなに上手くなっているとは、正直まったく驚いたぜ・・・」

 

と、千佳にトルフィーを手渡すと

 

「フフフ・・・私も多数決を引っくり返してやるからには、それなりの意地があったからね。実のところ私もアイドルなんかより、こういうのがやりたかったから。まあ、アンタの提案のお蔭かな・・・」

 

さすがは気の強い彼女らしく、感涙に咽ぶ女学生の輪の中にあって、一人まったく涙を見せない。金色に輝くトルフィーを誇らしげに胸に抱き、大仕事をやり遂げた後の心底満足げな清々しい表情を浮かる千佳は、今の時代なら写メにでも撮りたくなるくらいに輝いていた。

 

「でも、やっぱり選曲のおかげかな。ポップス系のクラスとは、演奏効果が全然違ってたよね。この曲、とってもいい曲だからみんな好きになったし、好きでなくちゃあんなに続かないよね。アンタが言ってた通り、演奏も凄くやりやすかったし。演奏に関しては、殆どタカシマさんに仕切ってもらったようなもんだったけど、練習の時もみんな見る見る上達していく一体感が実感できて、凄く楽しくてやり甲斐があったよ」

 

猫のように大きな千佳の特徴的な黒目が、ゾクゾクするほど蠱惑的に見えた。

 

今だから言うけど、休憩の時なんか

 

『こっちはもう完璧だけど、唯一の心配はにゃべの指揮だねー』

 

なんてみんなで、アンタのことを笑ってたんだ・・・」

 

「バカヤロ。それよか、オレの指揮はナカナカのもんだったろ?」

 

「そうねえ。まあ今日の指揮は、それなりにサマになってたかな。でも、さっきタカシマさんに訊いたら

 

『大分、マシになったけど、まだまだ全然トーシロの域だな』

 

とか言ってよ」

 

「アイツめ、調子に乗りやがって・・・一発、お見舞いしてやらんと」

 

と千佳と別れ千春の姿を見つけるや、早速詰め寄った。

 

「アハハハ。でも、みんなにはそれなりにサマになって見えたのは、一体、誰のお蔭かしら?

最初は、スコアの見方すら知らなかったくせに・・・」

 

「う・・・まあ、オマエには感謝してるよ。しかし気まぐれとはいえ気になって様子見に来てくれるなんて、オマエも案外いいところがあるじゃねーか」

 

「私が、気になって様子見だって?

アンタ、アホとちゃう。ここだけの話、あれはナカジマさんから頼まれたのさ。

 

『どーせ彼は、偉そーな事を言っててもスコアが読めるかどーかも怪しいんだから、悪いけどタカシマさん見て来てくれない?』

 

ってね」

 

「クソ、アイツめ!

偉そうなカントクヅラだけでなく、最初から総てを見抜いていやがったか・・・」

 

「ちょっと!

『偉そうなカントクヅラ』ってのは、なんなの?

向こうで毎日、最後まで残って一番頑張っていたのは、間違いなく彼女だけど。普段は、あれだけ強気を絵に描いたような人が、吹奏楽部に1人で頭を下げに行って合同練習を頼み込んだのも彼女だし、あれがなかったら優勝なんてなかっただろうね。練習後にみんなが帰った後も、チェックリストみたいなのを作って、夜遅くまで細かいチェックをしてたしね。まあ途中からは、ずっと私も一緒だったけど。

彼女、(茶髪のヤンキー風だっただけに)元々クールな人だと思ったし、こういうのにあんなに入れ込むとは思わなかったけど、なんというか意地があったのね。途中で指揮を投げ出そうとした誰かと違ってさ、あんなに芯の強い人はちょっといないよ。ホント、今度ばかりは尊敬したわ」

 

「うぬぬ・・・」

 

「だから、ここだけの話、全国大会(声楽コンクール)前の一番大事な時なのに、部活をサボってずっと付きっ切りになっちゃったよ。だって、彼女と一緒に居る時が、一番楽しくて充実感味わえたもん・・・」

 

まったく意外な事実を聞くに及び

 

(あんなものは所詮、高校生活の余興の一つに過ぎん・・・)

 

などと終始醒めていたのは、一人自分だけと思い知らされることに (  ゜ ;)エッ!!