「言い忘れましたが、コルク栓は使う前にブランデーで湿らせておくように。
2009/05/19
ベートーヴェンの食卓(「ロッシーニの料理」part6)
「言い忘れましたが、コルク栓は使う前にブランデーで湿らせておくように。
2009/05/15
医者(3)(2005年版)
ある朝、ベッドから起き上がろうとすると、膝に激痛が疾った。
これまでにない経験であり、原因にも特に思い当たる節がない。前日に、特別になにか足に負担のかかるような作業をした、ということもないのだ。時間を掛け、なんとかベッドから起き上がりはしたものの、依然として膝の痛みを感じた。
起きた瞬間のあの激痛ほどではないにしろ、普通に生活していても痛むし、まして膝を曲げたりすると、かなりの痛みが疾った。そしてこの時、それまで意識した事はなかったが、日常生活の中で膝を曲げる必要というのが、案外と多い事に気付いたのである。
これほど日常生活に支障があるような痛みは困るし、ましてやこうなった原因にサッパリ思い当たらないだけに、病院で診てもらうことにした。こうなっては「医者嫌い」などとは、言っていられない。
とはいえ、これまで厄介になる医者といえば、年に1度程度の風邪くらいだから内科くらいしか思い当たらず、ましてやこのような症状となると、そもそも何科を訪ねればよいかすら、よくわからなかっただけに
(ともかく「整形外科」とか「形成外科」というヤツだろうか?)
と、当たりを付けるところから始まった。
東京に出て以来(出る前もだが)、そのような病院の世話になることがなかったし評判すら聞いたことがないが、幸いにしてネットという便利なものがある時代だから、早速「市内医療機関」のページで検索をかけてみて、市内だけでも結構な数の「整形外科」やら「形成外科」があるのを知った。
その中で家から近くて、Webページのリンクが貼ってある、2つの医院のページを閲覧してみる。家からの距離はたいして変わらないし、Webページを見る限りはそれほどの違いはなさそうだから、どちらにすべきか迷った。
幸いにして両医院のページには、ともに「院長紹介」というリンクがあり、院長の略歴が書いてあるではないか。最初に見た方は「帝京大医学部卒」となっており、次に見た方は
「東大医学部卒、医学博士、東京大学附属病院勤務、米国xx修了」
となっていた。両者の違いとなる手がかりはこれだけだから、迷わず後者を選んだ事は言うまでもない。
早速、その病院に行き症状を伝える。その時分には、朝と比べると症状がかなり和らいでおり、足を曲げたりしない限りは、殆ど痛みが疾る事はなくなっていた。
「朝に比べるとかなり良くなったようですが、足を曲げたりするとまだかなりの痛みがあります」
と説明した。が、この症状については、医師にも原因がわからず
「理由はよくわからないが、たまにはそういうこともあるだろう・・・」
とのことで、念のためにレントゲンを撮ったが、これといった異常はなかった。
ところでワタクシは、片足に若い頃から長い付き合いのウオノメがあり、過去に医者に行ったり市販のスピール膏を使用したりしてきたが、一時的に芯が取れてもまた出来る、という繰り返しの結果
(どうせ治らないのだろう)
と、殆ど放置状態にしてきていた。が、せっかく整形外科に来たのだから、この際ついでに見てもらおうと思い
「実は今のと話は変わりますが、以前からウオノメがありまして・・・」
というと、その医師は
「どれどれ・・・ちょっと見せて」
と言い、足を乗せるための小さなテーブルを用意した・・・
そこで素足になり、その台の上に足を乗せようとした瞬間、例の激痛が走った。
「イテテテ・・・」
するとその医師は、実に嬉しそうに顔を輝かせた!
「ちょっと・・・今のをもう1回、やってみて」
(人の痛みも知らんと・・・)
と思いながら
「もう1回って・・・痛いんですけどね・・・」
「いいから、もう1回」
と、あたかもこちらが痛がるのを楽しむように、目を輝かせているのだ。そして数年来の宿痾である、このウオノメを見ると
「ほー。こりゃまた、立派なやつだなー」
などと、不謹慎にも感心しているではないか。
この時
(これが「学者バカ」というヤツか・・・「東大医学部出身」など、選ぶんじゃなかった・・・)
と後悔した。
2009/05/10
榛原
鳥見山は、榛原町と桜井市との境界に聳える標高734メートルの山で「トウベ山」とも呼ばれいます。この鳥見山の中腹には、縄文時代から弥生時代の遺跡が広がっており自然公園となっています。
「日本書記」神武天皇四年二月条には
「霊畤(まつりのにわ)を鳥見山の中に立てて、基地(そこ)を号(なづ)けて、上小野(かみつをの)の榛原(はりはら)・下小野(しもつをの)の榛原と曰(い)ふ。用(も)て皇祖天神(みおやのあまつかみ)を祭りたまふ」
とあります。
神話・伝説上の人物である神武天皇が、天地の神霊を祭る場所を鳥見山に築き、そこを上小野榛原・下小野榛原と名付けたとされています。この「榛原」が現在の町名の由来となっていますが、江戸時代以前は「萩原」(はいばら)とも書いていたようです。
榛原町を始め、宇陀地方は「古事記」、「日本書記」に度々登場し、古代から重要な地域であることを知ることができます。
萩原:榛原の語源は榛(はんばみ)すなわち、はんの木といわれ、繁茂する意味を持っている。はぎはらの名は、いずれにしてもこの地方の開拓者榛原公と判断するのが、妥当と思われる。
摂津皇別二十九氏の中に榛原公とあり、新撰姓氏録には榛原公息長直人同祖大山守命の後也とある。また、秋になれば紅葉が池周辺はもとより、付近一帯の野原に萩の花が咲き乱れました。萩の花が咲く野原を萩原と呼んだところから、とする説もあります。
https://www.seeds-f.com/kawanishi.html
ポリネシア語による解釈
出典http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/
宇陀郡の北東部、宇陀山地の入り口にあたり、名張へ抜ける伊勢街道、高見峠から櫛田川上流へ抜ける本伊勢街道、柳生へ抜ける道、吉野へ抜ける道が交叉する交通の要衝です。この「はいばら」は「榛(はん)の木を伐って開いた場所」と解する説があります。
この「はいばら」は、マオリ語の「ハイプ・アラ」、HAIPU-ARA(haipu=place in a heap;ara=way,path)、「高い場所にある道路(が通る場所)」の転訛と解します。