2014/11/11

「尊」と「命」

 「」または「」と称される「みこと」の語源は「御言」と見るべきである。

 「言葉」は、元々は「」と言った。

 漢文学者の白川静によれば「」は「」と「」から成る。

 「」は刺青の針の象形で「鋭い」(先の尖った鋭利な物)という意味がある。  

 「」(刃物、針)+」。

 刃物で切り開いてはっきりという、または「」は神器を表わすため「誓いを破れば針で罰を受けると神に誓うこと」を意味する。

 「言葉」は「(こと)」と「()」の複合語である。

 古く、言語を表す語は「(こと)」が一般的で「ことば」という語は少なかった。

 「」には「」と同じ意味があり「」は「事実にもなり得る重い意味」を持つようになった。

 そこから「」に事実を伴わない口先だけの軽い意味を持たせようとし「()」を加えて「ことば」になった、と考えられる。

 奈良時代の『万葉集』では「言葉」、「言羽」、「辞」の三種類の文字が使われ「言羽」も軽い物言いを表現しているといえる。

 これとは別に「木の葉のように、無数の種類が存在することを意味する」とする解釈もある。

 「」は、名詞に付いて尊敬の意を表す。

 これを要するに「神のような貴い方の発する言」が「御言(みこと)」となる。 
  後代になって、天皇の発するお声を「御言葉」というのも、ここから来ているとみてよい。

 神代では「」はなく「御言」、すなわち「みこと」となる。

 古代では、命令のことを「御事(みこと)」と言った。

 いわゆる「神のお告げ」(神勅)である。

 「神からの命令(御事)は、命を賭けても果たすべきもの」である故に「」の字を当てたと思われる。

 「」の字は「」と「」から成る。

 「」は儀礼用の深い帽子を被り、跪いて神のお告げを受ける人の形を表したもの。

 「」は、神への祈りの文である祝詞をいれる「サイ」を表す。

 神に祝詞を唱え、お告げとして与えらえたものを「」といい「神のお告げ、おおせ、いいつけ」の意味となる。

 生命のように「いのち」の意味で用いるのは、人の命は天から与えられたもの、神のおおせであると考えられたからだ。

 金文甲骨文では「」を「」の意味として使っていて、令が命の元の字である。

 別の解釈では「」の上の部分は冠を表す。

 先に記載した通り「」は神への祈りの文である祝詞を入れる「サイ」を表し、右側は「跪く」人の姿である。

 「冠」は神の象形だから、まさに「跪いて神のいいつけ(ご神勅)を賜る姿」である。

 そして命を懸けて、それを実行に移すことから「xxx」となる。

 一方の「」は上部は酒樽を表し、下の「」は両手で捧げ持っている象形と言われる。

 両手で酒樽を頭の上に捧げ尊ぶ姿である。

 大雑把に分類すると、古事記では「」、日本書紀では「」が使われる。

 大和言葉の古事記は日本人が記し、漢文の日本書紀は主に雇われC国人が記したものと言われる。

 古事記が日本人向けに日本人が書いた内輪の書物であったのに対し、日本書紀は主にC国などの外国向けに「日本にもこういう立派な史書があるんだぞ」ということで、日本=先進国家というアピールを諸外国に示したいがために作られた書物だった。

 が、当時の日本人には、C国人が読んでも違和感のないレベルの漢文を書ける人材は、まだ少なかった。

 そこで高い給料を払い、C国から一流の学者を呼んで日本書紀を書かせた。

 日本書紀が「命」ではなく「尊」を使用したのは、おそらくC国人からみると「xxx命」では、先に記したような意味がわからなかったからである。

 だからC国人でも、すぐにその人物の身分の高さがわかるように「」を「」という文字に置き換えて記述したと思われる

 それが後に単純化され、命令をする方の(より尊い)神が「」、命令を受けて命を懸けて実行に移す神が「」というような区分となっていった。

2014/11/10

配膳(世界遺産登録記念・日本料理の魅力)(8)

日常的な食事の構成としては、ご飯(白米やその他の穀物を炊いたもの)、汁物、おかず3品(主菜1品と副菜2品)という組み合わせを取り「一汁三菜」と言う。これらを好みにより交互に食べる。この際、口の中で味を混ぜる事も多く、御新香のような塩気の強いものと、ご飯とを合わせて食べる。その後に味噌汁を啜るなど「口内調味」を行う。こうすることで、それぞれを単独で味わうより美味しい、とされる。

 

一方、懐石料理・会席料理のように改まった席では、一品(あるいは一膳)ずつ順番に料理が供されるのが普通である。西洋料理には「コース」という概念があり、何段階かに分けて異なる種類の料理(前菜、スープ、主菜など)を食べるが、日常の日本料理ではそのような構成をとらないのが一般的である(日常食を提供する食堂・レストランも同様)。また食器や食事室の統一性にも配慮が払われる。

 

盛り付けの作法

盛付けの美しさは、日本料理の大きな特徴である。調理した食材を彩りよく並べるだけでなく、器の質感や絵柄なども吟味し、季節や風情を盛り込むことも調理の一つとされる。

 

箸を右手で扱う右利き向けの配膳が基本となっている。ご飯は左、味噌汁は右。古来より「左が上位」と扱う文化(左大臣は右大臣より上位など)のため、主食のご飯を左に置くのが正しい。

 

尾頭付きの魚の盛り付け方は、頭を左、腹を手前側に向ける(ただしカレイに限っては、頭を左にして腹を上にしたり白い面を表にして、腹を手前にしたりする場合がある)

 

魚の切り身の盛りつけ方は、魚の種類によって皮を上にする「皮表」とすべき場合と、身を上にする「身表」とすべき場合があるが、殆どの魚は皮表で盛りつける。したがって皮を上側、身を下側にして盛りつける(鮭などで薄い切り身となっている場合には、皮を奥側、身を手前側とする)

 

これに対しウナギ、アナゴ、ハモなどは身表とする。長い食材は、長方形の皿に盛り付ける。大根おろしや刻みねぎなど、付け合せは手前側に置く(「前盛り」と呼ぶ)。日本料理の食事作法は、他文化の食事方法とは大きく異なる点が多い。

 

食器

食器は漆器、陶器、磁器など、多くの種類を併用する。器には多彩な絵付けが施され、盛り付けに工夫が凝らされる。特に陶器は造形の制限が緩やかで、濃い色の皿・角型の皿、花や果実の形を模した器など、伝統的な欧米の料理の食器とは大きく異なる。近隣国で陶磁器生産の歴史がある中国・韓国と比べても、丸皿を多用し伝統的な絵付けの陶磁器を用いる中華料理や、金属製の器や絵付けのない白磁の食器を主とする韓国料理に比べ、異彩を放っている。

 

また、陶磁器の普及までは木椀を使用しており(九州では、陶磁器の普及により木椀を用いる習慣が殆ど失われた一方、東北地方では近代にいたるまで木椀を多用する文化が残っていた。また社会階層により普及の時期は異なる)、漆器の多用はその名残であると言える。家庭では、ご飯茶碗・箸は各人専用のものを用いる習慣がある(「属人器」と言う)

出典 Wikipedia

2014/11/03

行ったぜ、東北。(松島海岸編)

この辺りは、山間部に入ると源泉が沢山あるらしく「xxx温泉」という名前がごろごろと存在していたが、この旅館も独自の源泉を持っていることを売り物にしていた。実際に風呂は気持ちよく、例によって大浴場、露天風呂ともに誰も居ない「貸切」に恵まれ、また旅館の豪華な料理を堪能できたのは幸いだった。

 

それにしても、やはりこの旅館に泊まったのは失敗だった、と返す返すも悔やまれた。旅館自体が気に要らないわけではないが、なにしろ交通の便が悪過ぎる。最寄駅までタクシーで片道3400円だから、帰りはなんとか「ワンコインバス」というヤツに乗ろうと思い時刻表を見ると、始発が旅館に来るのは「97分」である。これだと金ヶ崎駅に9時半ごろに着くが、猊鼻渓行のバスは一ノ関からは10時発で、これには間に合わないから、平泉11時発のバスで行くか、一ノ関1040分の電車で行くしかない。

 

どっちにしても、猊鼻渓の船下りは毎時出航だから12時出航のになってしまう。さらに、前夜から降り始めた雨がまだ止まずに、小雨ながら時折強くなるという不安定な天候を考えると、いつ船下りが「天候不良のため中止」なんてことになってもおかしくないのである。このようなリスクを考えて「日本三大奇景」は観たかったものの、断腸の思いで断念し、急きょ行先を「日本三景」の松島へと変更したのである。両側がどこまでも田圃ばかりの中を、トロトロと走る「田園バス」に揺られながら、そのようなことを考えていた。

 

バスの乗客は地元の婆さんばかりだったが、途中のなんとか病院という田舎にしては大きな病院で全員降りて行った。バスが金ヶ崎駅に着くまでには30分近くかかったが、料金はたったの100円だった ( ´艸`)ムププ

 

当初は、猊鼻渓の後に松島に寄って帰る予定を立てていたが、猊鼻渓の交通の便を考えたのと、交通至便な松島は改めていつでも行けるだろうと考えてコースから外していたが、こうなれば松島に行くしかない。交通の便は良いし、天候もこちらとは違い晴れ予報になっている。さらに、この日は真冬並みの気温にまで下がっていたが、やはり岩手と仙台では気温差がかなり違った。

 

昼ごろには松島に到着すると、海岸沿いの店で名物牡蠣などの海鮮盛りを堪能し、五大堂~展望台~瑞巌寺などの有名寺社を見物。

 



 



遊覧船で奇岩群の島々を眺めて周遊し、仙台名物の牛タン定食を堪能。

 



2014/11/02

行ったぜ、東北。(鄙びた温泉編)

この日の宿は、北上に近い郊外である。最寄駅の金ヶ崎までは平泉から電車で25分程度だから、まだ宿に向かうには早い。観光案内で聞いた日帰り温泉へ寄ろうとしたが、次の電車までの待ち時間が50分ほどという中途半端なタイミングだった。

 


 

温泉まで歩いて1520分ほどというから往復3040分とすると、ゆっくり入っているには時間が足りない。とはいえ、その次の電車となると例によって1時間も先になってしまい、それではゆっくり温泉に入ったとしても時間が余りすぎてしまう。そこで、温泉は翌日の帰る前にゆっくり寄ることにして、次の電車に乗車した。

 

(これじゃ、宿に早く着き過ぎるな・・・)

 

と思ったとしても無理はなく、計算上は6時ころには到着する予定だった。ところが、ここでまたしても大きなミスが発生した!

なんと愚かなことに、ようやく来たと思って飛び乗った電車が、反対方向の一ノ関の方に戻ってしまったのである。普通なら、なんてことのないミスと言えたが、なにせこのような土地ではこうしたミスは「致命的」である。反対方向となる金ヶ崎へいく路線は、タイミング悪く入れ違いで出てしまったばかりで、次の電車は1時間以上も先ではないか。

 

(ちくしょう!

こんなことなら、あの温泉に余裕で入れたじゃないか!)

 

などと地団太踏んだところで、全てはアフターカーニバル。そして、今度はようやく間違えずに乗った電車で金ヶ崎に到着した時は、すでに7時を過ぎていた。

 

車窓の外は真っ暗な田舎町で

 

(果たして、駅にタクシーなんているんかいな?)

 

と不安が頭を擡げてきたが、案の定タクシーなどは影もなかった。旅館までは「車で15分」とあるから、とても歩いて行ける距離ではなく、タクシーがないことには行きようがないではないのである。

 

(こりゃ、参った!)

 

途方に暮れてタバコをふかしている間にも、雨はいよいよ本降りになってきた。思いついて公衆電話のところに行くと、ようやくタクシー会社の看板が目に付いたのは幸いだったが、旅館は遠く3400円もかかってしまった (▼д▼)y─┛~~゚゚゚

 


2014/11/01

行ったぜ、東北。(鳴子~平泉編)

初の東北旅行だ。

地元の愛知在住時は、東北とか北海道は遥か遠方の地だったが、東京に来てからはうんと近くなった。こうして、いよいよ「東北旅行」が現実味を帯びた。ところが、現実は長野や山梨の方にばかり足が向いてしまい、東北にはなんとなく行きそびれたまま、遂に10年が経過した。実のところ、この旅行も早くから予定していたものではない。最初は千畳敷カールを予定していたのが、諸般の事情で行きそびれてしまったことから、瓢箪から駒の如くに急遽決定した東北旅行だった。

 

東北で紅葉の名所で思いつくのは鳴子峡、猊鼻渓、厳美渓など。そして紅葉はさて置いても、世界遺産の平泉も必見である。このようなスケジュールを元に、初日は中山平温泉駅で下車して鳴子峡の紅葉の絶景を堪能し、お目当ての鳴子温泉へと移動する。

 


 

ホテルの広い大浴場、露天風呂とも誰もいない貸切状態で、鳴子温泉のツルツルとした湯が気持ち良い。本来は鳴子温泉に泊まりたいところだったが、次の目的地の岩手までの移動時間を考え、観光に影響のない夜の間に目的地に近い一ノ関に移動した。鳴子温泉で有名な「滝の湯」に寄りたいところだったが、電車の時間が微妙で一つずらすと1時間以上も先になってしまう。これだと逆に時間が余ってしまうが、温泉街とはいえ一杯飲み屋のような店も見当たらないことで、残念だがここは諦めた。

 

この日は、どこも食事付きの旅館が満室だったため、一関駅に近いホテルを予約していた。ホテルのレストランで刺身の三点盛り、前沢牛タンステーキ、十割そばなどのセットと地酒を堪能し、蔵を改造したバーで飲み直して眠りに就く。

 

2日目は猊鼻渓に行く予定だったが、ここで大きなミスが発覚した。一ノ関駅から猊鼻渓行の電車は「9:25」発のハズで、それに合わせてホテルの朝食バイキングで腹ごしらえをし、駅に向かったのである。ところが駅の電光案内版を見ると、猊鼻渓行は「10:40」と1時間以上も先にしか来ないではないか!

 

(なんじゃ、こりゃ!)

 

検索した「Yahoo!」の乗換案内の画面を見せながら

 

「ここに出ている925分発の電車は?」

 

と駅員に詰め寄ると

 

「これは・・・夜の925分ですけど・・・」

 

確かに、よく見ると「21:25」となっているではないか!

 

何度も繰り返し見ていながら、なぜこんなアホな勘違いに気付かなかったのかと大いに悔やまれる。が、いかに悔やんだところで、1時間以上先にしか電車は来ない事実が変わるわけはないから、予定を見直すしかない。バスの案内所へ行くと、猊鼻渓に行くにしろ平泉に行くにしろ、いずれにせよバスは10時発になるらしい。それでも、何も娯楽のない田舎で1040分まで電車を待ってはいられないから、10時のバスで平泉を回るコースに変更した。それというのも、ここへ来て天気予報が外れて雨がぱらついてきたことがあって、見上げる空は黒い雲に覆われていた。こんな不穏な天候で船下りを楽しめるとは思えないし、なにより苦労して猊鼻渓まで行ったはいいが、雨でお目当ての船下りが中止にでもなったら目も当てられぬ。そこから、また1時間も電車で待たされた利した挙句、下手をすれば1日丸潰れなんてことにもなりかねないのである。

 

こうして厳美渓行のバスに乗車し、厳美渓~達谷窟毘沙門堂~そして毛越寺と立て続けに見学。毛越寺浄土庭園の紅葉はまさに見頃で、時折晴れ間も覗き始めた天候も味方し素晴らしい景観が楽しめた。

 


 

メインの中尊寺へ行く前に、門前にあるレストランで前沢牛ステーキ、十割そばなどの名物盛りだくさんの「岩手黄金ランチ」と地酒を堪能し、中尊寺へ足を踏み入れる。

 


 

長い登り坂を上がりきったところで、ようやくにして奥州藤原氏三代の栄華の象徴とも言うべき「金色堂」を拝むことができた。