2019/09/08

スパルタクスの反乱 ~ 内乱の一世紀(5)



また、この時期に奴隷反乱も起こっています。前139~前131年と前104~前99年にシチリア島で奴隷反乱。数万規模の大きな反乱だったようです。

前73~前71年には、有名なスパルタクスの乱。スパルタクスは剣奴でした。奴隷といっても色々な奴隷がいたんですね。特別な能力がなければ、ラティフンディアで農作業。中には賢い奴隷もいる。ギリシアもローマに征服されましたから、学者の奴隷なんていうのもいるわけですよ。こういう者は貴族の家で、子供の家庭教師などをさせられる。顔のきれいな少年少女は、貴族の家で主人の身の回りの世話をやらされるわけだ。特技や能力によって、奴隷にも違いがあった。それで、その中でも変わっているのが剣奴です。戦争捕虜などで、肉体的能力が抜群の者が剣奴にさせられる。

剣奴は、真剣勝負の殺し合いをさせられる者達です。今で言えば、ボクシングやプロレスみたいなもので、ローマ市民たちがその決闘を見て熱狂する。強くて人気のある剣奴はスター扱いですが、負ければ死んでしまうかもしれないんですからね。現在の感覚からすれば、すごく残酷なものです。

  ローマの都市では競技場があって、剣奴の試合が頻繁に行われていた。剣奴の試合を開催するには、大層お金がかかる。数日かけて、何十番もの取り組みをしたりするんです。この金を出すのが町の有力者、貴族たち。試合を楽しみに見に来るのが一般市民、つまり平民だね。有力者は、なぜこんなことをするかというと、人気取りなんです。平民にサービスをする見返りに、選挙で投票してもらって公職につこうというわけ。

剣奴は興業があると、あちこち連れて行かれて試合をさせられました。ついでに、試合のことを話しておきます。試合では、必ずどちらかが死ぬまで戦うわけではない。怪我をするとか、剣を取り落としてしまうとか、戦闘不能になって勝負がつく場合がある。

とどめをさすのかどうか。勝った剣奴は、主催者を見るのです。主催者は、競技場につめかけた観客を見渡す。この時に、観衆が親指を立てて拳を突き出せば「そいつは負けたけど、立派に戦った。命は許してやれ」という合図。主催者も親指を立てて、勝者はとどめをささない。敗者は怪我の手当などを受けて助けられる。

逆に観衆が親指を下に向けたら「そいつは助けるに値しない。殺せ」という意味。主催者も、同じ合図を送る。勝者は敗者にとどめをさして殺してしまうの。

残虐さということについては、ローマ人は結構麻痺しているね。あと、猛獣と剣奴の戦いとかも行われました。

当然のことですが、試合はワザの優れたもの同士の戦いの方が面白いよね。そこで、剣奴たちは訓練を受けていたのですね。試合のない時は腕を磨いている。また、負ける事は死を意味しますから、訓練も必死だ。

ローマの南方のカプアという町に、剣奴の訓練所がありました。前73年、ここから78人の剣奴が脱走した。このリーダーだったのが、スパルタクスです。彼らは、ベスビオ山に逃げ込んだ。そこにローマの討伐隊が来るんですが、スパルタクス達は殺しのプロだ。それに失うモノは何もありませんからね、滅茶苦茶強くて、ローマ軍に勝ってしまう。

脱走した剣奴がローマ軍に勝ったという噂は瞬く間に広まって、周辺のラティフンディアから農業奴隷達がどんどん逃げて彼らのもとに集まって来る。スパルタクスの勢力は、7万人にまでなったと言われています。スパルタクスは戦争の指揮も上手かったようで、このあともローマ軍との戦いに勝ち続けるんだ。万単位の人々を束ねているだけでもすごい政治的な手腕というか、人望があったんだろうね。

で、大勢力になったスパルタクス達の奴隷反乱軍は、やがてイタリア半島を北上します。食糧は、どうやって確保したかというと略奪です。途中の都市を攻略し金持ち、貴族の財産や食糧を略奪しながら移動した。

スパルタクスの目的は何かというと、故郷へ還ることです。スパルタクス自身は、今のブルガリアあたりの出身だったらしい。故郷には、女房や子供がいたのかも知れないね。他の奴隷達も、ローマ領の北方から来た者が多かったようです。だから北へ行って、ローマ領を脱出しようとしたんでしょう。ところが彼らはアルプスの麓まで行って、そこでUターンしてしまう。なぜアルプス越えをしなかったのか、謎です。アルプスを越えれば、もうローマ領から出られたんですから不思議な行動です。

学者は、色々な説を唱えていますがね。ただ、現実問題として7万もの仲間を引き連れて、実際にアルプスを越えられるとスパルタクスが判断したかどうかですね。スパルタクスや他の剣奴達だけなら肉体頑強だから越えられたかもしれないけれど、彼らを頼って逃げてきた奴隷達にとってはどうだったか。老人や、病人、女子供もいたでしょうからね。そういう者達は、かなりの確率で落伍して死んでゆくだろう。リーダーの判断としては、アルプスを目の前にして引き返さざるを得なかったのかなと思います。

今度は、また略奪をしながらイタリア半島を南下するんですが、彼らはイタリア脱出を諦めたわけではなかった。当時、イタリア半島周辺の海域では海賊が結構出没していたんですが、スパルタクスはその海賊と連絡を取り合う。イタリア半島南端に海賊船が迎えにきて、彼らをシチリア島に運ぶ段取りになっていたようです。スパルタクスは、略奪した財宝をたくさん持っていますからね、船賃はちゃんと払えるわけ。

ところが、スパルタクス一行がイタリア半島の先っぽまで来てみると、海賊船は来ない。手違いがあったのか、裏切られたのか分かりませんが。代わりにローマの大軍がやって来て、ついにスパルタクス軍は、ここで負けてしまったのです。スパルタクス自身も、乱戦の中で戦死したらしい。生き残って捕えられた奴隷達は、磔にされた。ローマ市から南方に続くアッピア街道という軍道があるんですが、この道の両側に十字架が何キロも並べられ、奴隷達のうめき声が何日も聞こえたそうです。他の奴隷達に対する見せしめだね。

 話がスパルタクスで長くなってしまいましたが、要するにこの時期のローマは将軍同士の内乱、同盟市の反乱、奴隷反乱、元老院の指導力の低下など、混乱が続いたということです。ローマがその現状に合った政治制度を見つけるまで、もうしばらく混乱は続きます。

2019/09/07

プラトン(12) ~ エルの物語(1)

エルの物語」、または「エルの神話(英語: Myth of Er」とは、プラトンが『国家』の末尾で記述した冥府の物語のこと。

パンピュリア族のアルメニオスの子エルが、死後十二日間に渡って体験した臨死体験という体裁を採り、輪廻転生、閻魔大王のごとき冥府の裁判官たち、天国と地獄、天動説的宇宙論など、様々な要素が盛り込まれた物語となっている。

『パイドロス』内で語られる3番目の物語とも内容的に関連している。

『国家』で一連の問答を終えた後、ソクラテスはグラウコンに対して、正義の人が生存中に受け取る利益については語り終えたが、正義の人、不正の人それぞれに死後待ち受けているものと比べたら、それらは些細なものであるとして、死後の話としてエルの物語を語り始める。

パンピュリア族のアルメニオスの子エルは、勇敢な戦士であり戦争で最期をとげた。しかし死後10日経ってもエルの死体は腐らず、12日目に火葬される直前になって息を吹き返した。そして、あの世で見てきた様々な事柄を語ったという。

冥府の裁判所
エルの魂は死後、身体を離れて他の魂と共に不思議な場所に到着した。そこは右上と左下に天と地に繋がる出入り口の穴がそれぞれ2つ開いている空間で、その間に裁判官たちが座っていた。

魂たちはそこで次々に裁かれ、正しい人々にはその判決内容を示す印が前に付けられ、右の穴から上に行くよう命じられ、不正な人々は全ての悪業を示す印が後ろに付けられ、左の穴から下へ向かうよう命じられる。

そこで、エル自身は「死後の世界を人間たちに伝える者」としての役割を伝えられ、ここで行われることを全て見聞きするよう指示される。

地獄と天国
天と地のそれぞれ2つある穴は、1つが立ち去るための「出口」で、もう1つが帰ってくるための「入り口」になっている。地の「入り口」からは汚れと埃にまみれた魂が、天の「入り口」からは浄らかな姿の魂が、帰ってきて隣接の「牧場」へと集まり、互いに経験したことを訪ね、教え合う。地下で、どんなに恐ろしいことをどれだけたくさん受けたり、見なくてはならなかったか。天では、どれだけ喜ばしい幸福と計り知れない美しい観ものがあったか。

魂たちは、生前の行いの正・不正に応じた恩恵と刑罰を受けるが、それは一回100年で10回繰り返され、合計1000年続く(そして「牧場」へ帰ってくる)。これは人間の一生を100年と見なし、10倍分の報いを与えるためだという。

大罪者の扱い
神々や生みの親に対する不敬や、殺人を行った者などは、さらに大きな報いが加えられる。その例として、アルディアイオスという人物が挙げられる。アルディアイオスは、1000年前にパンピュリアのある国の独裁僭主だった人物で、父・兄を殺し、数多くの不敬な所業を重ねたという。

アルディアイオスが、他の独裁僭主たちや一般の大罪者らと共に地下から出ようとすると、まだ十分に罪の報いを受けてないとして出口の穴が咆哮の声を上げ、猛々しい男たちが彼らを鷲掴みにして連れ去った。そして、特にアルディアイオスら何人かの手と足と頭を縛り上げ、投げ倒して皮を剥ぎ、刺(とげ)の上で羊毛をすくように肉を引き裂き、通り過ぎる者たちに彼らがどうしてこのような目に遭っているのかと、これから彼らがタルタロス(奈落)に放り込まれるために連れ去られることを告知した。

それゆえに穴から帰る者は、その穴が咆哮の声を上げやしないか、そのことを最も恐れ、沈黙している時は、この上ない喜びを感じるという。

天球の構造
「牧場」に集まった魂たちは、そこで7日間過ごし、8日目に旅に出なくてはならない。

旅立って4日目に、彼らは上方から天と地の全体を貫いている柱のような光(天球の中心軸)を目にする。それは虹に似ているが、もっと明るく輝き、もっと清らかだった。

さらに1日かけてそこへと到着すると、その光の両端は天球の外側を通った外回りでも繋がっていて、ちょうど天球を内側と外側から締める光の綱だった。

天球の中心軸にはアナンケー(必然)の女神の紡錘が挿さっており、その紡錘の「はずみ車」は、それぞれ特有の輝き・明るさ・色彩を持ちながら、椀を入れ子状にしたように8つ重なっており、上から見るとその縁がいくつもの輪として見えるようになっている(地球を中心とした、月・太陽・太陽系惑星・その他の恒星群の周回軌道に対応している)。

紡錘はアナンケー(必然)の女神の膝の中で回転しており、それぞれの輪は、それぞれの速さで回転している。そして、その11つの輪にはセイレーンが乗ってそれぞれの声(1つの音)を発しており、全部で8つの声が互いに協和し合って単一の音階を構成している。

またアナンケー(必然)の女神の娘たち、すなわちモイライ(運命の女神たち)であるラケシス(過去)、クロートー(現在)、アトロポス(未来)も等間隔で輪になって玉座に座り、セイレーンの音楽に合わせて歌いながら、手で紡錘の「はずみ車」の回転を助けていた。
出典 Wikipedia

2019/09/06

ニュンペーと精霊たち(ギリシャ神話63)

出典http://www.ozawa-katsuhiko.com/index.html


ニュンペー
ティーターノマキアーの勝利の後、ゼウス、ハーデース、ポセイドーンの兄弟はくじを引いてそれぞれの支配領域を決めたが、地上世界は共同で管掌することとした。地上はガイアの世界であり、ガイアそのものとも言えた。地上には陸地と海洋があり、河川、湖沼、また緑豊かな樹木の繁る森林や、草花の咲き薫る野原、清らかな泉などがあった。

地上は人間の暮らす場所であり、また数多くの動物たちや植物が棲息し繁茂する場所でもある。そして太古より、そこには様々な精霊が存在していた。精霊の多くは女性であり、彼女たちはニュンペー(ニンフ)と呼ばれた。nymphee(νυμφη)とは、ギリシア語で「花嫁」を意味する言葉でもあり、彼女たちは若く美しい娘の姿であった。

ニュンペーは、例えばある特定の樹の精霊であった場合、その樹の枯死と共に消え去ってしまうこともあったが、多くの場合、人間の寿命を遙かに超える長い寿命を持っており、神々同様に不死のニュンペーも存在した。

森林や山野の処女のニュンペーは、アルテミス女神に付き従うのが普通であり、また、パーンやヘルメースなども、ニュンペーに親しい神であった。古代のギリシアには、ニュンペーに対する崇拝・祭儀が存在したことがホメーロスによって言及されており、これは考古学的にも確認されている。ニュンペーは恋する乙女であり、神々や精霊、人間と交わって子を生むと母となり妻ともなった。多くの英雄が、ニュンペーを母として誕生している。

ニュンペーの種類
ニュンペーは、その住処によって呼び名が異なる。

ネーレイデス
陸地のニュンペーとしては、次のようなものがある。

1
メリアデス(単数:メリアス)は最も古くからいるニュンペーで、ウーラノスの子孫ともされる。トネリコの樹の精霊である。
2
オレイアデス(単数:オレイアス)は山のニュンペーである。
3
アルセイデス(単数:アルセイス)は森や林のニュンペーである。
4
ドリュアデス(単数:ドリュアス)は樹木に宿るニュンペーである。
5
ナパイアイ(単数:ナパイアー)は山間の谷間に住むニュンペーである。
6
ナーイアデス(単数:ナーイアス)は淡水の泉や河のニュンペーである。

これらのニュンペーは、陸地に住処を持つ者たちである。一方、海洋にはオーケアノスの娘たちやネーレウスの娘たちが多数おり、彼女らは美しい娘で、時に女神に近い存在であることがある。

海洋のニュンペーは、むしろ女神に近い。

1
オーケアニデス(単数:オーケアニス)は、オーケアノスがその姉妹テーテュースの間にもうけた娘たちで3000人、つまり無数にいるとされる。この二柱の神からはまた、すべての河川の神が息子として生まれており、河川の神とオーケアニスたちは姉弟・兄妹の関係にあることになる。冥府の河であるステュクスや、ケイローンの母となったピリュラー、アトラース、プロメーテウス兄弟の母であるクリュメネーなどが知られる。

2
ネーレーイデス(単数:ネーレーイス)は、ネーレウスとオーケアノスの娘ドーリスのあいだの娘で、50人いるとも100人いるともされる。アンピトリーテー、テティス、ガラティア、カリュプソーなどが知られる。

ケイローンと少年
ニュンペーは自然界にいる女性の精霊で、なかには神々と等しい者もいた。他方、地上の世界には、ニュンペーと対になっているとも言える男性の精霊が存在した。彼らはその姿が、人間とはいささか異なる場合があった。彼らは山野の精霊で、具体的には

1
パーン(別名アイギパーン、「山羊の姿のパーン」の意)
2
ケンタウロス
3シーレーノス
4サテュロス

などが挙げられる。彼らの姿は、上半身は人間に近いが、下半身が馬や山羊であったり、額に角があったりする。

上記の中でパーンは別格とも言え、ヘルメースとドリュオプスの娘ドリュオペーの間の子で、オリュンポスの神の一員でもある。ただしパーンが誰の子かということについては諸説ある。シューリンクスという笛を好み、好色でもあった。

ケンタウロスは半人半馬の姿で、乱暴かつ粗野であるが、ケイローンだけは異なり医術に長け、また不死であった。シーレーノスとサテュロスは同じ種族と考えられ、前者は馬に似て年長であり、後者は山羊に似ていた。粗野で好色で、ニュンペーたちと戯れ暴れ回ることが多々あった。

彼らが山野の精霊であるのに対し、地上の多数の河川には、オーケアノスとテーテュースの息子である河川の精霊あるいは神がいた(『イーリアス』21章。『神統記』)。彼らは普通「河神(river-gods」と呼ばれるので、精霊よりは格が高いと言える。3000人いるとされるオーケアニデスの兄弟に当たる。河神に対する崇拝もあり、彼らのための儀礼と社殿などもあった。スカマンドロス河神とアケローオス河神が、よく知られる。

2019/09/02

マリウスの軍制改革 ~ 内乱の一世紀(4)


貴族は大土地所有を守れたから良かったかもしれないけれど、ローマ軍の弱体化をどうするかという問題は残った。これを一気に解決したのがマリウスの軍制改革(前107)でした。

マリウスというのは将軍として頭角を現し、コンスルになった人物です。ローマの軍隊の基本中の基本は、財産を持ったローマ市民が武器自弁で兵士となって従軍する、というこの一点です。だからグラックス兄弟は、武器自弁が出来る農民を作りだそうとした。

でもマリウスは、この基本をあっさり捨ててしまう。

「財産ない者が兵士になったっていいじゃないの。」

と彼は言う。しかし、彼らは武器が買えないじゃないか。

「そんな物、俺が買い与えてやるよ。」

と彼は言う。

というわけで、マリウスはルンペン市民を兵士として採用し、武器を与え、給料も払ってやるんです。その費用は、基本的には彼のポケットマネーから出す。兵士として働ける期間というのは、そんなに長いモノではないです。ある程度年をとったら、兵士としては引退です。こういう退役兵に対しても、マリウスは面倒を見てやる。ある程度勤めてから辞める兵には、土地を分けてやる。そして、自作農民として生きていけるようにしてやるの。

武器自弁の原則を放棄することで、兵士不足は一気に解決して、マリウスはこの新しい軍隊で勝利を続けました。これがマリウスの軍制改革。

  しかし、この軍制改革で、ローマ軍の質が大きく変化したんです。武器自弁の農民軍だった時は、兵士はローマ市民の義務を自覚して従軍していた。ローマのために戦ったわけですね。ところが、マリウスの兵はどうか。彼らの気持ちの中で、ローマのために、ローマ市民の義務としてという意識は小さくなる。それよりも「自分を雇ってくれているマリウス将軍のために」という気持ちの方が大きくなる。マリウスも、それを意識して兵士を手懐けていきます。こういう現象を軍隊の「私兵化」という。

私兵の軍事力を背景にして、マリウスのローマ政界での発言力は重みを増す。選挙の時には、彼の兵士たちがマリウスに投票してくれるわけ。兵士はみんな平民ですから、平民会でマリウスをローマ政府の役職に就けることが出来るのですよ。これは、自分の政治勢力を伸ばしたいという貴族政治家にとっては上手いやり方だね。後に多くの野心家たちが、マリウスのやり方を真似ることになります。そして、私兵を養った将軍同士の内乱が続いて、ローマは混乱の時代を迎えます。

  グラックス兄弟の改革から100年間を「内乱の一世紀」と呼びます。前91年から前88年には、イタリアの都市がローマ市民権を求めて、ローマに反乱を起こします。同盟市戦争という。ローマはローマ市民権をイタリア諸都市に与えることで、この戦争を終わらせました。

続いて前88年から前82年まで、マリウスとスラという将軍の抗争が起こります。スラは大金持ちの貴族で、多くの私兵を養っている。同じローマの将軍同士が、ローマ兵を率いて戦いあうわけです。スラは、軍隊が決して入城することが許されなかったローマ市内に乱入したりした。ローマの指導者集団である元老院は何をしていたかというと、この二人の将軍の抗争に振り回されるだけで、これを解決できなかった。元老院の権威が、段々と低下します。

ちなみにマリウスは平民派、スラは閥族派となっていますね。平民派というのは、公職に就く時に平民の支持を背景にしていたということ。閥族派は、貴族勢力を背景に公職を目指していたものだと理解しておいてください。政治的な考え方に違いがあるわけではありません。

2019/09/01

プラトン(11) ~ 国家篇の問題(2)



プラトンは「個人」と「国家」を平行させているといっておきましたが、ここでの哲学者というのは個人の場面に直すと「理性」ということになるのです。「哲人王とは理性だけの人間」なのです。ですから、現実の人間は「哲人王」なんかになれっこありません。「理性だけの人間」なんていませんから。

 繰り返しますが、『国家』篇の内容は、要するに「理性のみによって、すべてが支配される在り方」を描いているのです。確かに、ある意味で理想とはいえるでしょう。特に、個人の場面に返したらそうなります。感情・欲望が理性に支配され、勇気や恥の心も理性に合致しているというのは理想です。しかし、これが国家に適用されたら感情を高ぶらせる仕事、音楽や芝居は追放され、欲望にかかわる職業、商人だの何だのは必要最小限度に(これでは「商売」にならないでしょうけれど)、勇気を体現すべき兵士はいいとして、君主ときたら本当は雑務なんかに関わることなく真理そのものを楽しんでいたいのに、感情的職業や欲望的職業を見張ってコントロールするため、イヤイヤ政務につくという具合になるのです。

しかし大事なことなのですが、こうして初めて現実が見えてくるのです。プラトンは、ただ夢心地に理想の国を描いていたわけではないのです。ここに見られた国家の有り様を現実の国家にダブらせた時、いろいろはみ出てくるところがみえて、その「はみ出し具合」や「はみ出す原因」も見えてくるだろうということで、考察しているのです。

こういった立場から、有名な三つのパラドックスの論などが出てきます。第一の論は「男性も女性も同等の教育がなされ、同等の仕事につくべきだ」とする論です。これは現代的意味での男女同権思想というより、女性も理性を持っているとみなされたからで、そして「女性も理性において劣るところはない」とプラトンは見ていたからです。これは、しかし大事な思想でしたが、残念ながらプラトンが蘇った近世においても、この思想は握りつぶされています。男性社会に都合が悪かったからでしょう。

この当時の古代ギリシャでは、現実の女性は政治への参加など許されていない時代ですから、プラトン自身がこれを言うのにものすごい警戒をしています。そして、この当時の実際に合わせた社会の論(『法律篇』)を書いた時には、この思想は後退しています。「男女平等論」は、当時の現実にあまりにも合わないからです。しかし、この当時にそうした男女平等論が書かれたという事実に多大の関心を持つべきだと思いますが、それを今日まで論ずる人間が居ないということの方が、よっぽど問題です。

二つ目は「配偶者と子供の共有」という論です。これは現代人からみると酷い話に見えますが、それは人間の感情によっているわけで、ここでプラトンが試みている理性だけで見るという立場からすると、感情的・個人的な男・女の取り合いなんか感心しないとなってしまうのも分かります。理屈だけで言えば、優れた男が優れた女と一緒になり、優れた子どもがたくさん得られれば、それの方がいいに決まっている、という話になって不思議はありません。

要するに優性学的、そして効率のよい教育という観点だけでなされている議論だからです。もちろん、こうした話になったところで「現実の人間」というものが見えてくるわけで、動物は優生学的に見るのに、人間にはそうしないのは何故かという問題が浮かび上がってくるのです。

『国家』篇というのは、こんな態度で読まなければならないのですが、残念ながらこのようにプラトンを理解する人は殆どおらず、何か「現実的理想国家論」を書いていて、しかもとんでもない理論を展開していると思って、プラトンを批判している人が大半なのが不思議です。

三つ目が先に言及した、国の指導者はフィロソポス(哲学者)であるべきだという論だったのです。しかし、この哲人王には感情はなく、欲望もありません。「理性だけの人間」です。そして個人所有の財産もなく、小さい時から厳しい教育を受けさせられます。なんとも、こんな人間だけにはなりたくない、という人間像が出てきます。これも理性だけで物事を見ていったら、という前提からの論なのでした。

 しかし再三注意したように、これは現実を浮き立たせるためでした。つまりこうしてこそ、現実の様々の問題が見えてくるのです。プラトンの読み方というものを、私達はもう一度見直して見るべきでしょう。