2015/10/18

北陸信越の旅1日目(出発まで)

立山黒部アルペンルートは、3年ぶりである。

その時は初日に黒部峡谷トロッコ電車に乗り、富山市内のホテルに泊まって翌朝早朝に立山へ移動し、アルペンルートを通り抜ける強行軍だった。好天に恵まれ楽しい旅を満喫できたものの、ルートで標高の最も高い室堂のハイキングコースを歩けなかったのに加え、ハイライトとも言える黒部ダム大放水の期間が過ぎていたことに心を残し

(次は是非、この2つをやらなくては!)

と意気込んでの、3年越しの再チャレンジである。

 

今回は余裕を見て、23日で予定を立てた。お目当ての立山黒部アルペンルートは真ん中の2日目に充て、初日はルート起点となる立山山麓のホテル、2日目はルート終点の扇沢に宿泊施設がないため信濃大町のホテルを予約し、アルペンルート制覇の準備は万端整った。

 

また前回と違い、今回は北陸新幹線が開通したから、富山までの移動時間も大幅に短縮でき、また新幹線開通により富山から金沢が僅か20分程度で移動可能 となったことで、念願の兼六園など金沢観光を初日に設定し、最終日は「天の岩戸」で有名な戸隠神社の見学を計画していた。

 

今回も、いつものようにパートナーが完璧な計画を立て、こちらはホテルの予約を受け持つ。  事前計画とホテル予約は早めの対応で上手く行ったものの、最難関である天気がどうにも優れない。当初予定では、10/11の祝日から10/13に掛けての計画だったが、1112両日の予報が待てど暮らせど好転しないため、1日ずらして12日の出発とした。

(初日は雨かもしれないが、金沢観光はなんとかなるだろう・・・肝心のアルペンルートだけは、なんとしても晴れてくれないことには・・・)

という思惑からのリスケだったが、憎いことに悪天候まで一緒に1日ずれてしまい、2日まではパッとしない予報のまま、祈るような気分で出発を迎えてしまった。

 

東京駅720分発の「かがやき」乗車だけに、仕事の日より1時間半も早い5時半起きだが、不吉なことに愛車【自転車】の空気が抜けていたのが前日。

(パンクではなさそうだが、もしやまた空気が抜けていたら、駅まで歩かねば・・・)

と早めに起きて出発したものの、忘れ物を取りに戻ることになり

(やばい・・・720分のに乗れん!)

と、出発時点で早くも誤算が発生した。

 

10分くらいの間隔で次々に発車する東海道新幹線とは違い、北陸新幹線は1時間以上の間隔が空いてしまうから

(なんとしても、720分発「かがやき」に乗らねば!)


という執念が実り、駅まで自転車で3分の猛チャージで何とか乗車に成功した。

2015/10/17

不良『古事記傳』

神代二之巻【美斗能麻具波比の段】 本居宣長訳(一部、編集)
不良(ふさわず)。この読みは「近き海(伊勢の海)に釣りする海人のうけ」(古今509を崩して引用)ではないが、どれとも決めかねており色々に言える。一つには「よからぬ」と読む。それは文字のままでもある。また聖武紀の宣命に「天下君坐而、年緒長久皇后不坐事母、一豆乃善良努行爾在(アメのシタにキミとマシて、トシのヲながくオオぎさきマサヌことも、ヒトツのヨカラヌわざニあり)≪天下に君臨しながら、あまり長い間皇后がいないのも良くないだろう≫」とあるから、古語でもある。また書紀には、これを「不祥」と書いてあり、弘仁私記では「古事記を見ると『よからず』とあるので」となっているから、昔もそう読んでいたようだ。垂仁の巻には「非良(よからぬ)」という言葉もある。もう一つには「さがなし」と読む。書紀の「不祥」をそう読み「悪」の字もそう読むことがある。また「性」を「さが」と読む。

これは古語で、後の歌に「憂き世のさが」などとあるのも、これに適う。それは本来自然に、そうあるべきことを言う。「さがなき」は、その反対で本性に背き違っていることを言い、これも古語のようだ。【後の物語で、人のことをあれこれと言い立て、悪口を流すことを「さがなし」と言うのは、言葉の意味が変化したのである。また夢のお告げといった良い予兆(祥)のたぐいを「さが」と言うが、これは元来「さが」という言葉があって「さがなし」は不祥を意味するから、不祥でない(つまり良い)のは「さが」であるという後人の誤解から生じた言い方である。不祥は「さがなし」に当てはまるからといって「祥」は「さが」だということにはならない。それなのに、ある人が『「性」は「さが」であるから、結局「性善」ということだ』と言ったのは漢心による曲解で、いにしえの言葉の意味合いとは違う。一般に同じ文字で書いていても、使い方次第で我が国の言葉は変わるものであるのに、書紀の訓はそういう使い分けがなく、同じ文字でさえあれば、どこもかしこも同じように読むので語は古語であっても不適切なことが多い。後世には本来の言葉の使い方が忘れられ、どれが正しく、どれが間違いか分からなくなってしまったことが多い。】

不良を「さがなし」と読んだ例は、書紀の垂仁の巻に「夫君王陵墓埋=立2生人1是不良(それキミのハカにイケルひとをウズミたることはサガナシ)≪君主の陵墓に生きている人を埋めるのは良くない≫」、推古の巻に「其大國客等聞之亦不レ良(かのモロコシのキャクらのキカンモまたサガナシ)≪唐からの客人の耳に入るのもよろしくない≫」などがある。また一つには「ふさわぬ」とも読める。それは八千矛神の歌に「云々、許禮波布佐波受(コレはフサワズ)、云々、許母布佐波受(コもフサワズ)、云々、許斯與呂志(コしよろし)」とあり「ふさわず」は「宜し(よろし)」の反語となっているから、「宜しからず」の意味である。この歌を考えると分かる。伝十一之巻【三十七葉】で詳しく言う。

源氏物語などに「ふさわしからず」という言葉がところどころにあるが、花宴の巻に関する「河海抄」の釈に「不祥日本紀」とある。ということは、書紀の「不祥」を「ふさわしからず」と読んでいる本が昔はあったのだろう。源氏物語の「ふさわしからず」も、思いにそぐわないという意味で八千矛神の歌にあるのと同じである。【今の世の言葉で、何かが人にしっくりして幸いであることを「ふさう」と言い、そうでないのを「ふさわぬ」と言う。これも不祥の意味に合い、前記の「河海抄」に引かれたのとよく合う。また万葉巻十八(4131)に「等里我奈久、安豆麻乎佐之天、布佐倍之爾、由可牟登於毛倍騰、與之母佐禰奈之(トリがナク、アズマをサシテ、フサエシに、ユカンとオモエド、ヨシもサネなし)」とあるが「ふさえしに行く」というのは、幸いを求めて行くことだと師が解釈していた。「ふさう」、「ふさい」と活用する語だが「ふさえ」というのは「ふさわせ」が縮まったのである。】

この三つの候補を並べて見ると、中では「ふさわず」と読むのが一番良いような気がする。この言葉は書紀には「陽神不レ悦曰、吾是男子、理當2先唱1、如何婦人反先言乎、事既不祥、宜2以改旋1(おカミよろこびズシテのたまわく、ワレはコレますらお、コトワリまさにマズとなうベシ、いかにぞタワヤメにして、カエリテことサキダツや。コトすでにサガナシ。モッテあらためメグルべし)≪男神は不機嫌になって『私は男だ。私が先に物を言うのが当然じゃないか。何で女の君が先に言うんだ。これは縁起が良くないぞ。もう一度廻り直そう。』と言った。≫」となっている。

2015/10/13

和食の構造(農林水産庁Web)

※農林水産庁Webページより

和食の構造と、その歴史的変化を図示するための仮説として四面体を作った。




 食を食材、料理、栄養の3つの要素で考えるのが一般的であろうが、ここに「もてなし」という点を設けることで、食べる場、行為、意味などを加えようというのが、この四面体の特徴である。

 

この四面体の中央には、グレーゾーンの球体がある。これは和食にも、かつて栄養不足の時代があったことを示している。

 

先にも述べたように、塩分の多いお菜と大量のご飯でカロリーを補っていた時代の和食が、栄養学的に理想的だったわけではない。しかし1955年以降、急速に食糧事情が改善され、たんぱく質、脂肪分の摂取量の増加に伴い、栄養価の高い食材が十分供給されて、それまでの栄養不足が克服された。しかし一汁三菜の和食の構造は、よく守られていた。それが和食を基本とする、日本型食生活の誕生である。しかし今それが破れ、現在から未来に向かって和食の枠が越えられようとしている。そうした歴史的変化を示す時間軸を、正四面体の中心より各頂点への線で表現している。

 

後にも述べるように、日本の食文化はカロリーバランスの上で理想的とされ、そのデータの元に1980年代に日本型食生活が推奨されたことは、よく知られている通りである。その状況を示すのが、正四面体の頂点としている。しかし先にも述べたように、一汁三菜の和食が昔から理想的なカロリー量を充足し、かつバランスが取れていたわけではない。

 

第二次世界大戦後の急速な経済成長の中で食生活が豊かになった結果、初めて理想的な日本型食生活が出来上がった。つまり栄養不足のグレーの球体の中心から、各頂点へ向かってそれぞれの展開があり、各頂点が正四面体をなす状況を日本型食生活の典型と捉えて作図されたのが、この構造図である。時間軸は、さらに外へ向かって延びていく。

 

日本型食生活が提言された1980年段階では自給率も高く、ことに鮮魚や野菜はほぼ100%自給していた食材も、それ以降は海外依存率が高まり、この理想的な正四面体の外へ逸脱していることを、この図形は示している。

 

日本の国土は南北に長く、温帯に属している。季節風の影響を受けてモンスーン気候の元、四季のはっきりした変化をみせ、平均雨量も1,800mm(世界の平均700mm)で、恵まれた自然環境にある。しかも、周囲を海に囲まれ暖流と寒流の相交わる海域は、実に豊富な魚介類の宝庫といえる。また平野部は25%に過ぎないとはいえ、山野から生まれる自然の恵みは、多種多様にして食卓を賑わせてくれる。

 

つまり、和食という日本の食文化の特質は、日本のこうした自然の恵みともいえる多彩な食材によって支えられているといって過言ではない。端的にいえば、和食の特質は「自然の尊重」という点に集約できよう。

 

和食の食材は、狭義の日本食文化の中で考えれば、米を中心とする穀類、野菜、魚介類と海藻が主たるもので、これを調理するについて味噌と醤油が日本独自の味わいを作っていた。野菜は明治以降、西洋野菜が急速に普及した。キャベツや玉ネギなど、古来あったように思われているかもしれないが、近代になって初めて栽培されるようになった。しかし、これらの明治以降、広く栽培されてきた野菜は十分和食の素材と考えてよい。

 

基本的に、和食にはサラダのように野菜を生食する習慣は稀であった。茹でたり焼いたりして、加熱された野菜を食べるのが和食の伝統である。したがって、つけ合わせのキャベツのようなものを除いて、野菜サラダなどは和食の枠外となろう。逆に鮮魚に関しては、生食することが和食の一つの特質となっている。ただ、今日のように日常的に魚を生食することは海岸の住人たちを除いて殆どなく、煮魚、焼魚が日常の主菜となることが多かった。また塩漬け、味噌漬けなど、保存のために魚を調味料に漬けることも多かった。

 

こうした状況を一変させるのは、流通網の発達と電気冷蔵庫の普及で、その結果、調味料としての塩分の摂取量を改善させることになった。また遠洋漁業の発達により魚の品種も増加し、近海物を圧倒しているのは周知の通りである。

 

それにしても、近代におけるスシの発展には目を瞠るところがある。スシの起源が東南アジアであり、本来は魚の保存法から発展したものであって、その伝統が日本にもナレズシとして分布していることはいうまでもない。しかし、このスシの来た道を辿っても、日本のような生の魚をスシ飯にのせて食べるハヤズシ(早鮨)に発展させた国は他にない。日本の食文化の基調にある自然の味わいを、できるだけ手を加えずにそのまま味わいたいという願望が、こうしたハヤズシやサシミの文化を大きく発展させたのである。自然の尊重という和食の特質は、生の魚を存分に味わうところに最もよく表れている、と言って良いだろう。

 

野菜に関する変化についても簡単に触れておこう。野菜の消費は、統計的に把握できない私的な栽培や流通が戦前に多かったことを考えると、戦後も戦前もあまり量的な変化はないともいえよう。むしろ1980年をピークに下がっている理由が問題で、1980年と2008年の野菜の購入量の変化を見ると、ダイコンが30%ほど減少しているのが目に立つ。この容易に推定される要因は、家庭で漬けものを作ることが減少したからであろう。家庭の食の外部化は、このようなところにも現れている。

 

日本の食文化として注目したいのは、伝統野菜である。京都では京野菜としてブランド化に成功しているが、日本全国各地には現在も特徴のある野菜が残っている。今から三世代前くらいに、日常食としていた野菜をひとまず伝統野菜と定義しておくが、その中で消滅したものを復活させたり、焼き畑農業と合わせて生産する試みがあり、これは伝統の保持という観点からも、非常に大切な運動だと考えられる。米と野菜と魚介類を中心とした和食の衰退に反比例して、肉類の需要が増加してきた。先の和食文化の四面体の食材が、海外へ依存する傾向がこれを示している。

 

鶏肉、牛肉、豚肉を和食の食材とすることは一向に差支えないが、和食の中核には置きがたい。魚介類に比べれば、副次的な食材であろう。今、魚から肉へという変質こそ、和食の変容を象徴するでき事がある。また、国内の畜産のために飼料の輸入が増加することから、様々の問題を生じていることは本来、日本の食文化と環境との共生を、畜産がどこかで乱している結果であることも考慮しなければならない。

 

ちなみに直近の70年間の変化を見ると、1935年段階で国民一人当たりの供給料が肉類では2kgに過ぎなかったのが、急速に高度経済成長期以降伸長し、2000年には28.8kg14倍に増加している。また鶏卵は7.4倍、牛乳・乳製品は3.2kg94.2kgへと、殆ど30倍に達している。こうした食材の変化が、そのまま和食の変質を意味しているのである。

2015/10/10

追及(続ストーカーpart5)



 発作が治まったタイミングを見計らって
 
 「おやおや・・・どうかしましたか?
 あんまり懐しくて、驚いた?」
 
 「なんのことで・・・こっちは名古屋などには、サッパリ縁がない・・・」
 
 という強がりとは裏腹に、タコオヤジは目が泳ぎ明らかに動揺していた
 
 東京で、いきなりかつての通勤コースの駅名を読み上げられたのだから、まあ驚くのも無理はない。
 
 ましてや「脛に傷持つ身」であれば尚更だ。
 
 「おやおや・・・まだ、恍けようと?
 ついさっき『くそだ~け』という言葉まで、聞こえてしまったのですがね・・・非常に特徴的な方言と思うけど、あくまでまだ名古屋に縁がないと?」
 
 一瞬、タコオヤジの顔に狼狽が走ると、またしても激しくむせ始めた。
 
 「私に・・・一体、何か用なのかな?
 私は誰にも邪魔されず、一人で静かに飲むのを好むのだがね・・・」
 
 「もう、あれから10年以上経つんだねー」
 
 「・・・」
 
 「名鉄XX線、新名古屋駅から2駅目から乗ってくる怪しいオッサン・・・今頃、どーしてるか?
 不思議なことに毎日、同じ車両に乗って来てね・・・」
 
 「・・・」
 
 「あんまり気持ちわりーから、毎日時間をずらしたりしたんだけど、2時間くらいずらしても必ずちゃんと同じ車両に乗ってくるんだよね。なぜか。
 さらには、不思議とどんなに車内が混雑していても、いつの間にかすぐ傍でこちら向きになっているんだ・・・数か月間、ずっとね・・・世間じゃ、こういうのストーカーって呼ぶらしいが、あれはれっきとした犯罪らしいね・・・」
 
 「ほう・・・
 それは・・・そういうのは、殆どが勘違いとか被害妄想の類らしいね・・・」
 
 「被害妄想ねー・・・つまり、ブスに限って痴漢だと騒ぎ立てるあの手合いと同類とでも・・・?」
 
 「へー、それは面白い喩えだねー」
 
 先ほどから、逃げるタイミングを計っているようなタコオヤジだったが、元々酒乱の気があるせいか、その種の人種によくあるように、酒の勢いで次第にふてぶてしさを露わにしつつあった (--)y-゜゜゜

「被害妄想?
 冗談は、止して欲しいね。
 盗人猛々しいとは、このことだな。
 
さっきも言った通り、数か月に渡ってだよ。
 勘違いや被害妄想なんぞでないことは、被害者たる自分が一番よく知っている。
 
いや、実際のところ「一番よく知っている」のは加害者だろうがね。
 
なんせ被害者たる自分には、そこまで執拗なストーキングの「動機」がサッパリわからんが、加害者、すなわちストーカーには犯罪者なりの「動機」があるんだろうからね」 
 
「で・・・アンタは、私に何が言いたいのかね?」
 
「そいつは、いつもxxx駅で下車していたな・・・不幸中の幸いは、こっちの下車駅の前より先にストーカーが下りて行ったことだったが・・・」
 
「わしゃ、そんな駅名は聞いたことがない!
 それに、ストーカーなら下車駅までくっついて行くんじゃないかね?
 先に下車するんなら、そんなのストーカーじゃないね」
 
酔いも手伝ってか、次第に饒舌になっていくタコオヤジ。
 
「ところが、ここから急展開だ・・・ある日から、遂にこっちの下車するxxx駅前の『京たx』の店員になっていてね・・・」
 
「・・・」
 
「さらに驚いたことには、こっちが東京に引っ越すと、そいつは最寄りの吉祥寺駅前の『京たこ』に勤めていたんだぜ!
 こんな奇々怪々なことがあるものだろうか?
 
と言っても、既に現実としてあったわけだが・・・これでもストーカーではないと?」
 
「そんな偶然も、あるかもしれない・・・」
 
「まったく、これが偶然とか被害妄想いうバカモノが居たら、そいつの頭はよっぽど逝かれてると思うけどな」
 
「で・・・そのバカ話の続きは、どーなるんだ?」
 
「で、東京までストーキングされたのでは堪らんから、ここで逢ったが百年目、一丁その奇々怪々な行動の「動機」を白状させないと眠れない・・・」
 
「まるで私が、そのストーカーとやらのように聞こえるのだが・・・」
 
「違うとでも?」
 
「くだらん、実に下らん!
 いや、失敬だ!
 無礼者!

 これ以上、無礼者の相手などしてられん!」

 
と怒鳴ると、勢いよくテーブルを叩いてタコオヤジは立ち上がった。
 
「吉祥寺駅前の京たこに勤めてるのはわかってるんだから、逃げられはせんわ!」
 
「・・・」
  
タコオヤジの狼狽した表情は、自白も同然だった。