2019/04/05

徐福(5)

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盧生は同僚の方士である侯生(侯公と同一人物か?)と語った。

 

「始皇帝は、生まれつき強情でわがままだ。天下を統一し、全てが思い通りになり、いにしえより自分よりすぐれたものはいないと思っている。法律に厳しい役人ばかりを信任しており、70人もいる顧問の博士たちは、発言が採用されたことはない。丞相や大臣たちは、みな始皇帝の決めたことのいいなりだ。

 

始皇帝は刑罰で人をしばり、臣下は始皇帝をおそれ、保身のためもあって諫める忠臣はいない。始皇帝は、みずからのあやまちを耳にすることもなく、日々おごりたかぶり、臣下たちは始皇帝をおそれて、おべっかを言って従うばかりである。

 

このままでは死刑になってしまう。星をうらない気を読む術者が300人もいるが、始皇帝に追従し、失政のきざしがあっても諫めるものもいない。天下のことは、あらゆることを始皇帝だけが決定している。

 

始皇帝は、はかりで書類の重さをはかり毎日の仕事のノルマを決めている。ノルマが終わるまでは休もうとしない。これだけ権勢を求めるものに、仙薬を求めてやることなどできはしない」

 

と、自分たちが散々いかさまで資金と地位を得て、都合が悪くなったら逃亡を正当化するために自分たちに都合のいい理屈を述べ、始皇帝が仕事熱心なのを巧みに悪口へすりかえて、はじめから存在しないあてもない不老不死の薬を手にいれない理屈をこねあげた上で、侯生とともに咸陽から逃亡した。

 

盧生たちの逃亡と、散々に自分をだました上で、さらなる自分への悪口を聞いた始皇帝は、激怒して語った。

 

「わしが天下の書物を没収して、役に立たないものは全て焼き去った(始皇帝は前年に「焚書(ふんしょ)」を行っている)。そして文学と法術の人物を大勢召し抱えたのは、太平の世をおこそうとするためだ。

 

そのため、方士たちに不老不死の薬を探させようとしたのに、韓衆(韓終と同一人物か?)は逃亡して報告しようともしない。徐福は巨万の費用を費やしただけで、不死の薬を手にいれられなかった。方士たちが、ただずる賢いだけの詐欺師であると日々、報告が行われている。

 

盧生たちを尊重して非常によく待遇してきたのに、わしを誹謗(ひぼう)して、わしの不徳を天下に知らしめようとした。諸生(秦に仕えた学者)の咸陽にいるものは、わしが調査させたところ、流言を行って民をまどわしているということである」

 

そこで始皇帝は臣下に命じて、咸陽にいる学者たちを調査させる。

 

その結果、あやしげな方士と政治批判を行っていた「諸生」(学者)たちが大勢とらえられる。始皇帝は、罪をのがれようと彼らが次から次へと他人を告発したことを知って、60名余を生き埋めにした。

 

この中には、多くの孔子の教えに従う儒学者も含まれていたため、「坑儒(こうじゅ)」と呼ばれるようになる。これは、始皇帝の行った有名な言論弾圧事件である。

 

この時、始皇帝の長子である扶蘇(フソ)が始皇帝を諫めて、始皇帝によって北で軍を率いていた蒙恬のところに追いやられる。このことが、後に秦王朝の滅亡につながることになる。

 

盧生たちのその後は不明であり、生き埋めにされた460名余に含まれていたか、それとも別に処刑されたか、うまく逃れたかは不明である。

 

盧生のような、ただのいかさま師によって秦王朝が滅びたとすれば、かなりの影響力を持った人物であったということになる。

 

当時の神仙術について

徐福が生きた(中国の)戦国時代や秦代においては、神仙が存在すると信じ、神遷思想とともに仙人になるための神仙術が求められた。

 

神仙術は、中国の戦国時代の中期である斉の威王や宣王(せんおう)、燕の昭王の時代から燕の国の人である宋毋忌(ソウムイ)や羨門高(盧生が探すといった人物)ら方仙道を行い、死体だけを残して、仙人になる術を伝授していた。

 

「死体が残って本人はどこにいったか分からない」という本当であることも、嘘であることも証明されない、いかにも怪しげな術であるが、燕の国や斉の国の方士や怪しげな人物たちは争って、その術を伝授された。

 

斉の威王や宣王、燕の昭王は彼らに命じて、神仙が住むという東方の海にいる「蓬莱」「方丈」「嬴州」の「三神山」を探させ、不老不死の薬を求めさせていた。

 

「三神山」では鳥や動物は全て白色をしており、金銀でつくられた宮殿が林立し、不死の薬が存在すると伝えられてきた。

 

本文に記した通り、始皇帝もこれを信じて徐福や盧生に不老不死の薬を求めたが、得られずに死去している。

 

さらに後世の前漢時代では、方士たちの神仙術は変化し、「丹砂(硫化水銀)」を錬金術で黄金に変え、その黄金で飲食器をつくり寿命を益す。そうすれば海中の仙人たちと会うことができて、祭りを行えば不死になる。

 

という、はなはだ回りくどい考えのもとに神仙術は行われるようになった。

 

これは、当時の一流の学者である劉向ですら多大な費用をかけて行い、前漢の宣帝(せんてい)から罪をえている。

 

さらに前漢末期や後漢初期になって、「金丹」という硫化水銀を含む薬を服用して不老不死をめざす神仙術が生まれた。

 

このため後世、多くの皇帝や貴族がこの薬を服用し、中毒死をしたり中毒で苦しむことになっている。中国の代表的な名君である唐の太宗・李世民も、金丹の服用で中毒死したという説もある。

 

関連書籍

『毒薬は口に苦し―中国の文人と不老不死exit (あじあブックス)  川原秀城

徐福たちが探した中国の「不老不死の薬」について調べるなら、おすすめの書籍。

 

徐福が生きていた秦代については、記述は少ないが、その後、徐福たちが求めた「不老不死の薬」が中国の医学である「漢方」と迷信的な呪術である「神仙術」と関係しつつ、どのような形で発展していき、どのような形で服用されるようになったかが細かく分かる。

 

秦代では見つけられなかった不老不死の薬は、その後服用されるようになったが有毒な物質を含まれていたため、魏晋南北朝時代や唐の時代では皇帝や貴族、文人たちの間でも多くの中毒者が発生した。その歴史が分かる。

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