2026/08/02

君主論(3) ~ マキャヴェッリ(5)

君主の気質

マキャヴェッリは、理想国家における倫理的な生活態度にこだわり、現実政治の実態を見落とすことが破滅をもたらすことを強く批判しており、万事にわたって善行を行いたがることの不利益を指摘する。

 

君主は、自身を守るために善行ではない態度も取る必要がある。あらゆる君主は、その気質が評価されるが、一人の君主があらゆる道徳的な評判を勝ち得ることは原理的に不可能なので、自分の国家に損失を招くような重大な悪評のみを退けることになる。しかしながら、自国の存続のために悪評が立つならば、その払拭にこだわらなくてもよい。全般的に考察すると、美徳であっても破滅に通じることがあり、逆に悪徳であっても安全と繁栄がもたらされることが、しばしばあるからである。

 

このような気質の中で、気前が良い、あるいはけちだと思われることについて考察する。一般的に気前の良さを発揮することは害悪である。一部の人々のために大きな出費がかさむため、重税を課さざるを得なくなり、その他の大勢の領民に憎まれるだけでなく、そのような出費を止めようとすると、逆にけちだという悪評が立つことになる。それよりも、多くの人々の財産を取り上げないことが重要である。つまり、けちと言われることについて君主は全く問題視すべきではなく、けちであることは支配者にとって許容されるべき悪徳の一つである。

 

また、君主の気質として残酷さと憐れみ深さについて考慮すると、憐れみ深い評判の方が好ましいことは自明である。しかしマキャヴェッリは注意を促しており、君主は臣民に忠誠を守らせるためには残酷であると評価されることを気にしてはならないと論じている。憐れみ深い政策によって結果的に無政府状態を許す君主よりも、残酷な手段によってでも安定的な統治を成功させることが重視されるべきである。

 

原則的には君主は信じすぎず、疑いすぎず、均衡した思慮と人間性を以って統治を行わなければならない。しかし愛される君主と恐れられる君主を比較するならば「愛されるより恐れられるほうがはるかに安全である」と考えられる。なぜなら人間とは利己的で偽善的なものであり、従順であっても利益がなくなれば反逆する。一方で、君主を恐れる人々には、そのようなことはない。

 

君主にとって信義も間違いなく重大であるが、実際には信義を気にせず、謀略によって大事業をなしとげた君主のほうが、信義ある君主よりも優勢である場合が見受けられる。戦いは謀略によるものと武力によるものがあるが、この二つを君主は使い分けなければならない。もしも信義を守った結果、損害が出るならば、信義を守る必要は一切ない。重要なのは君主が立派な気質を備えているという事実ではなく、立派な気質を備えているという評価を持たせることなのである。

 

評価

『君主論』は、メディチ家に自ら売り込み盛名を得ようとして書かれたとも言われ、ゆえに抽象的に君主は、どう在るべきかを説かず、ギリシア・ローマ時代からの歴史上の実例を数多く挙げながら、その成功・失敗理由を述べ具体的な提言をするという、いわば実用書として書かれた。

 

共和制を論じた『リウィウス論』(別題は『ローマ史論』)と対で構想され、マキャヴェッリ自身は、本来共和主義者だったが、イタリア戦争(1527年のローマ劫掠ほか)に至った混乱した時代に直面し、チェーザレ(1507年に戦死)のような強力な君主によるイタリア統一が肝要と考えた。

 

直接の成果は得られなかったが、晩年の1520年にジュリオ・デ・メディチ枢機卿(1523年に教皇クレメンス7世となる)から『フィレンツェ史』執筆の依頼を受けている(1525年に完成)

 

後年の評価・反応

本書で、政治自体を宗教や道徳から分離した政治力学を提起した。だが一般的に、マキャヴェッリの思想は冷酷・非道な政治を肯定するものと考えられ、後世マキャヴェリズムとみなされ、長年マキャヴェッリは道義や倫理を無視した冷酷な権力論を説いたと考えられてきたが、客観的・近代的な政治学の始祖と考えられるようになった。

 

カトリック教会の対抗改革の一環で禁書目録が作られた際は『君主論』も加えられ、焼き捨てられた(1559年頃)

 

16世紀フランスユグノー派のイノサン・ジャンティエは『反マキャヴェッリ論』(1576年)で「裏切りを好む悪徳の作者」といった具合にマキャヴェッリを非難した。

 

1572年のサン・バルテルミの虐殺の首謀者と目されたメディチ家出身のカトリーヌ・ド・メディシスは『君主論』を読んでいた可能性もある(『君主論』は、彼女の父ウルビーノ公ロレンツォに献じられていた)。

 

18世紀プロイセン王フリードリヒ2世は、ヴォルテールがマキャヴェッリを偉人の一人に数えていることについてに反論し、啓蒙主義的君主として、マキャヴェッリとその著作『君主論』に対する反論として『マキャヴェリ駁論』(別題『反マキャヴェリ論』)を著した。ただし自身の実際の行動は、マリア・テレジアが即位すると、事前に同意していたにもかかわらず反古にして戦争を仕掛け領土を奪うなど、真逆(君主論の記述通り)の行動をとっており、これらの行動をその当時の人々から非難されている。

 

18世紀後半より『君主論』が再評価され、最初に再評価したのはルソーで、主著『社会契約論』で

「国王たちは、人民が力弱く貧困に苦しみ自分たちに反抗できないことを望んでいる。マキャヴェッリは、王公に教えをたれるとみせかけて人民に偉大な教訓を与えた。君主論は共和主義者の教科書」

と讃えた。

モンテスキューやヘーゲルも『君主論』を支持し、見方が変えられることとなった。

 

20世紀イタリアを代表するジャーナリストで歴史作家のインドロ・モンタネッリは、代表作『ルネサンスの歴史』で、『君主論』が後世に多くの世界の為政者に多大な影響を与えた政治思想書であることを認めつつも、マキャヴェッリ自身は政治家・軍人として失敗だらけで何一つ実績を残せなかったことを挙げ

「挫折した理想主義者の偽悪と、自己韜晦を文中から読みとれないようではダメだ」

と述べている。

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