2024/05/09

イスラム教(9)

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キリスト教との関係

意外かもしれないが、イスラム教は聖書を聖典として認め、キリスト教の開祖であるイエス(イーサー)を五大預言者の一人に数えており、また、ユダヤ教・キリスト教と共通しているノア(ヌーフ)、アブラハム(イブラーヒーム)、モーセ(ムーサー)もその中に入れている。これはイスラムのアラーとキリスト教のエホバの神が同一の神と解釈しており、イエスらが伝えきれなかったか誤伝された預言を、最後にして最大の預言者ムハンマドが伝え直したとされているためである。

 

逆に大きく違うのは、三位一体説(父:神と子:イエスと聖霊は結局一心同体である、要するにイエスは神でもあるという考え)が主流で、イエス自身が信仰されているキリスト教に対し、イスラム教はイエスを普通の人間と認識していることが大きく違う。イスラム教では、ムハンマドも一介の(最上で最後とはしているが)預言者としてしか考えられていないが、これはムハンマド自身が「崇拝すべきなのは神である」とし「自分はその言葉を預かっただけの、ただの人間に過ぎない」と宣言するなど、徹底的に個人崇拝を否定し続けたためである。

 

ちなみにキリスト教は当然、ムハンマドを預言者とは認めておらず、コーランもデタラメと解釈している。またユダヤ教は、イエスとムハンマド、そのどちらも預言者として認めていない。

 

西洋的な倫理観・価値観との対立

また、上記以外にも西洋的な倫理観や価値観(個人主義や民主主義、人権問題、男女同権など)と対立することも多い。

 

例えば、イスラム教では条件によっては16歳未満でも結婚出来るとされ、比較的近代的な法体系を備えるマレーシアでも、14歳の少女との結婚は条件を満たしていれば可能と判断された例がある。

つまり幼女と結婚できる。

預言者ムハンマド自身も、56歳の時に3番目の妻アーイシャ(当時9歳)との婚姻を「完成」させたとされているが、それはさておき。

またイスラム教国は一夫多妻制を認めている国も多く、この点も西洋諸国と対立している。

 

他にも、政教一致(近代国家は政教分離が基本である。但し世俗主義をとるトルコ、国教を決めていないインドネシアなど例外も多い)、死刑も含めた残酷な刑罰(鞭打ち刑、石打ち刑、報復刑)といった先進諸国が問題視しそうな物事は多い。

そのため「哲学や理念と言った点において、イスラムと西洋近代の価値観は必ずしも相容れないとは言えない」などの声明も欧米人を含む一部の学識者から出ているものの、そうした考え方は現実の政治的な動きに対して未だ大きな影響力を持つことの出来ない状態が続いている。

 

ジハードについて

ジハード(جهاد jihaad)は、日本語ではしばしば中二尤もらしく「聖戦」と訳されるが、これはほんの一面的かつ恣意的な解釈に過ぎない。アラビア語では「奮闘・努力」という日常的な言葉であり(例えばヒンズー教徒であるガンジーのインド独立に伴う活動も、アラビア語では「ジハード」と訳されている)、宗教的な文脈においては「ムスリムとしての奮闘・努力」を指す。その行為者形複数ムジャーヒディーン(مجاهدين mujaahidiin)も、宗教的な文脈において「ムスリムとして闘い励む者たち」となるが、これにも「聖戦士」「イスラム戦士」といった中二病な物騒なレッテルを安易に貼るべきではなく、「闘士たち、努力家たち」という素朴な本義がある事を憶えておくべきである。

 

ジハードは大きく「内へのジハード(大ジハード)」と「外へのジハード(小ジハード)」の2つに分けられる。前者は内なる自己に対する努力であり、ムスリムとしての自身を高めていくことを目標とし、信仰者の日常行為の規範として非常に重視されている。後者は外なる他者に対する奮闘であり、アッラーの定めに従うイスラム法による秩序の拡大・浸透が目標となる。

 

だからこそ、異教徒であってもイスラム法に従って人頭税さえ支払っていれば、今まで通りの宗教生活が保障されてきたのである。また、あくまでジハードの一手段に過ぎない「聖戦」にしても「異教徒が我々に戦いを挑んで不義を働いた場合に限る」とコーランに明記されているので、何でもかんでも戦いを吹っかけられるというわけではないのだ(その分、報復は執拗かつ容赦無いとも言えるが)。

 

しかし近年、ジハードは過激派イスラム教徒のテロの大義名分としてよく使われている。有名な例で「ジハードを行うと天国に行け、72人の処女を抱ける」というものがある。しかし、そうした主張については他のイスラム教徒から不適切であるという意見が出ることも多い。

 

また本来は(乱暴な例えだが)イスラム教徒版教皇とでも言うべき教主(カリフ)と呼ばれる教導的地位にある人物しか、このジハードは認定する事が出来ない。しかもこのカリフ位は、モンゴル帝国による侵略時に殺されて以来、新しい人物が立っていない。にもかかわらず最近では、ただイスラム教徒であるというだけで時には聖職者ですらない人物が「聖戦」を唱えるなど、明らかに怪しい使用例も多く見られる。

また、先行きの見えない貧困者や、まともな教育を受けない者たちに対し、過激派がテロや蜂起の決行を煽る為に、このような餌を使う例は古今東西に見られ、別にイスラム教に限った話でないことも心にとどめておく必要がある。

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