2026/04/15

ノルマンディー公国(2)

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ノルマン人の移動・封建制

ノルマン人の移動

 ゲルマン人の一派にノルマン人がいます。別名ヴァイキング。海賊の代名詞になっています。現在のデンマーク、ノルウェー、スウェーデンの沿岸部に住んでいた。

 

かれらはゲルマン人の大移動の時には移動しなかった。北の辺境地帯に住んでいたから、フン族もローマ帝国も関係なかったんだね。ところが、ゲルマン人の大移動が一段落した9世紀以降、かれらは船に乗って移動をはじめた。人口の増加が直接の原因らしい。

 

 はじめはブリテン島やヨーロッパの沿岸地帯を襲って略奪をしていた。河川をさかのぼって、内陸部深くまでも略奪します。とくに、教会や修道院が財産を蓄えていたので襲われたようです。

 

 はじめは季節的だった略奪が、やがて一年中おこなわれるようになっていく。各地の支配者たちは、ノルマン人の襲撃を撃退できないんだね。ノルマン人は各地を占領して、国を建てていきます。

 

 具体的に見ていこう。

 

 北フランスの海岸地帯には、911年ノルマンディー公国を建てた。建国者はロロといいます。「ろろ」だよ。「くちぐち」じゃないからね。

 

 フランス王は、ここに侵入したノルマン人たちを追い払うだけの実力がなかったので、かれらの占領を公式に認めて、そのかわり臣下にした。ノルマンディー公国という国名に注意してください。王国ではなくて公国なのです。国にもランクがあって、一番権威が高いのが帝国、帝国の下が王国。王国の下が公国。

 

フランス王国のなかにノルマンディー公国があって、ノルマンディー公国の君主の称号はノルマンディー公。ノルマンディー公は、フランス王の家来です。ただし、実際にはフランス王よりノルマンディー公の方が強い。ロロは「名」より「実」を取ったのだ。領地を正式に認めさせるという「実」です。

 

 ブリテン島やアイルランド島にもノルマン人は侵入した。

 ブリテン島の南部イングランドには、ノルマン人の一派であるデーン人が侵入します。デーン人は今のデンマークに住んでいた人たち。イングランドにはアングロ・サンクソン族が国をつくっていたのですが、11世紀にはデンマーク王クヌートが一時ここを占領してイングランド王になりました。クヌートは、イングランド、デンマーク、ノルウェーの王を兼ねて北海地方に大きな勢力をふるいますが、その死後この王国は崩壊して、イングランドではアングロ・サクソン族の王家が復活します。

 

 しかし1066年、イングランドは再びノルマン人に征服されます。征服したのがノルマンディー公ウィリアム。ノルマンディー公国を建てたロロの子孫です。ここからはじまるイギリスの王朝がノルマン朝。この征服をノルマン=コンクェストという。

 

 面白いのは、イングランドを征服したノルマンディー公はフランス王の家臣だということです。だから、これ以後、イギリス王は王としてはフランス王と対等ですが、ノルマンディー公としてはフランス王の家臣である、というややこしい関係になる。また、フランス国内のノルマンディー公国は、フランスの領土ではあるけれど、その領主はイギリス王でもある。要するにフランス国内にイギリス王の領土があるというわけですね。

 

 何とも複雑ですが、実は中世ヨーロッパではこういう関係は結構あった。ノルマンディー公のようなのが封建領主の典型ですが、こういう封建領主同士が複雑に主従関係を結んでいたのです。

 

 イスラム教徒が支配していたイタリア半島の南端と、シシリー島を征服したノルマン人グループもありました。かれらが、ここに建てたのがシチリア王国。

 

 バルト海からロシアの川をさかのぼって黒海からイスラム圏に通じる交易ルートがあって、ノルマン人はフランスからさらってきた奴隷を、このルートでイスラム教国に売っていたようです。

 9世紀にロシアにノヴォゴロド王国、キエフ公国という国ができるのですが、ノルマンの一派であるルス族が、これらの国の成立に関連があったという説もある。ロシアという国名は、ルス族がなまったというのです。

 

 原住地にとどまったノルマン人はデンマーク、ノルウェー、スウェーデンを成立させました。

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