2021/02/09

ストア論理学 ~ ストア派(2)

命題論理

ゼノンの師の一人ディオドロス・クロノスは「命題論理」として知られる論理学へのアプローチを初めて導入した哲学者とされる。命題論理とは名辞ではなく命題、つまり文に基づいた論理学へのアプローチであり、論理学をアリストテレスの名辞論理とは全く異なったものにした。後にクリュシッポスが、このアプローチをストア論理学として知られることになる体系へと発展させ、アリストテレスの三段論法のライバルとされる演繹体系(ストア三段論法)を導入した。

 

ストア論理学に対する新たな関心が20世紀に起こり、論理学の重要な発展が命題論理に基づいて起こった。「クリュシッポスとゴットロープ・フレーゲの哲学的論理学の強い親近性は非常に印象的である」とズザンネ・ボプツィエンが書いている。

 

「クリュシッポスは事実上、今日論理学に関係しているあらゆる論理学的話題に関する300以上の論理学的著作を著した。その中には言語行為理論、構文分析、単数あるいは複数の表現、述語論理、指標、存在命題、論理演算、否定、和、包含、論理的帰結、妥当性論証の形式、演繹、命題論理、様相論理、時相論理、認識論理、代示論理、命令論理、多義性と論理的パラドックスがある」ともボプツィエンは書いている。

 

ストア範疇論

全ての存在(: ντα)は、全てのもの(: τινά)ではなく物質的である、とストア派では考えられた。彼らは、具体的なものと抽象的なものとの区別は認めたが、純粋に物質的なものが存在するというアリストテレスの主張に関しては否定した。そのため、彼らは物体が熱いなら、それは世界中に存在する熱素の一部がその物質の中に入ったからだというアナクサゴラスの主張は(アリストテレスと同じく)認めた。しかしアリストテレスとは違って、あらゆる付帯性をカバーするような思想を発達させた。そのため、ある物体が赤いなら、それは世界中に存在する赤の元素の一部がその物質の中に入ったからだ、ということになる。

 

彼らは、四種類の範疇があると考えた。

 

基体 (ギリシア語: ποκείμενον)

物が、それから構成されるところの基本的な物質、形相を持たない実体(ousia)

性質づけられた(もの) (ギリシア語: ποιόν)

物質が個々の物体を形成する方法; ストア自然学では、物質に形相をもたらす物質的な構成要素(pneuma: 気息)

何らかの様態にある(もの)(ギリシア語: πως χον)

大きさ、形状、行動、体勢といった特定の特徴であり、物体の内部に存するものではない

何かとの関係において、何らかの様態にあるもの(ギリシア語: πρός τί πως χον)

時間・空間内における他の物体との相対的位置のような、他の現象との相対的な特徴

 

認識論

ストア派では、知識は理性を使うことで獲得されると信じられた。真理は誤謬とは区別される; 実際には近似が作り出されるだけだとしても。ストア派によれば、感覚器官は常に感覚を受け取っている: そして物体から感覚器官を通じて心へと拍動が伝わり、心において拍動が表象(phantasia)における印象を残す(心に現れる印象は、ファンタズマと呼ばれる)

 

心は印象に対して判断する、賛成もしくは反対する能力(sunkatathesis)を持ち、実在の正しい表象を間違った表象から区別することができる。印象の中には、即座に賛成できるものもあるが様々な程度の躊躇いがちな賛成に留まり、信念もしくは意見(ドクサ)と呼ばれるものもある。ただ理性を通じてのみ、人間は明確な理解・確信(カタレプシス)を得られる。ストア派の知者が獲得できる、確かな真なる知識(エピステーメー)は確信を仲間の専門知識や人間の判断の集成で確かめることによってのみ得られる。

 

あるものがその実態において、その裸の状態において、その完全な全体性においてどんな種類のものかを見極めるために、そしてその適切な名前や解決へ向けて混合されたものの名前を分かるために、あなたに表象されたものの定義・記述を自分のためになしなさい。なぜなら、あなたの生涯において表象された物体を真に系統的に観察し、同時にこの世界がどんな世界であるか、世界の中で万物がどのように働くか、全体との関連の中で個々のものがどんな意味を持つかを見極めるために物事を常に観察することほど、心を練磨する上で生産的なことはないのだから。

 

—マルクス・アウレリウス・アントニヌス,『自省録』、第III巻第11

 

ストア派の自然学・宇宙論

ストア派によれば世界は物質的で、神あるいは自然として知られている理性的な実体であり、能動的・受動的の二種類に分けられる。受動的な実体は物質であり「何にでも使える実体だが不活性で、何者かによって運動を加えられないと動かないままでいる」

運命、あるいは普遍的な理性(ロゴス)と呼ばれる能動的な実体は知的なエーテルつまり原初の炎であり、受動的な物質に働きかける:

 

世界それ自体が神であり、世界が自身の霊魂を流出する; それは同じ世界を導く原理であり、物の一般的本性やあらゆる物質を包含する全体性とともに、心や理性の中で働く; 運命づけられた力と未来の必然性; それにエーテルの炎と原理; さらに水、大地、空気のような本来の状態が流動的・遷移的な諸元素; それから太陽、月、星々; これらと、全てのものが内包されるような、普遍的存在が含まれる

 

—クリュシッポス,キケロ『神々の本性について』第I巻より

 

万物が運命の法則に従う、というのは世界は自身の本性と一致してのみ活動し、受動的な物質を統べるからである。人間や動物の魂は、この原初の火からの流出物であり、同様に運命に従う:

 

世界を一つの実体と一つの魂を備えた一つの生命だと常に見なせ; そして万物が知覚と、つまりこの一つの生命についての知覚を、どうやって持つのかを観察せよ; さらに万物が、どのように一つの運動と共同して動くかを観察せよ; それから万物が、どのように互いの原因となっているかを見て取れ; 網の構造や紡がれ続ける糸をも観察せよ

 

—マルクス・アウレリウス,『自省録』、第IV巻第40

 

個々の魂は、その本性上滅びゆくものであり、「世界の種子たる理性(logos spermatikos)に迎え入れられることで炎的な本性をとり、変化・拡散し」うる。正しい理性が人間と世界との基礎なのだから、人生の目的は理性に従って生きること、すなわち自然に従って生きることとなる。

出典 Wikipedia

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