2021/03/13

キティオンのゼノン ~ ストア派(5)

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ゼノンが創始した「ストア派」の哲学は、西洋人の考え方や思想に大きな影響を与えました。ここでは禁欲主義ともいわれるストア派の思想や、その背景について紹介します。あわせて仏教との共通点や名言も紹介します。

 

「ストア派」とは?

まず初めに、ストア派哲学の創始者や思想など、概要を紹介します。

 

ストア派の創始者は「ゼノン」

ストア派とは、古代ギリシャにおいて、キプロス島キティオン出身の哲学者ゼノン(紀元前335年~紀元前263年)が創始した哲学の学派です。ゼノンはアテネで哲学を学び、アゴラにあったストア(柱廊)で講義を行いました。ストア派の名は、この建築物の名前から来ています。

 

ゼノンはアリストテレス哲学など、古代ギリシャで生まれた様々な哲学を学び、それらを集大成する形で独自の哲学を打ち立てました。ストア派は当時の地中海世界を代表する哲学派となり、その後も長く影響力を持ちます。

 

ゼノンが生きた時代は、アレクサンドロス大王の帝国が誕生したヘレニズム時代であり、この時、都市国家ポリスの自治権が失われました。ポリスを失ったギリシャ人は、新たな哲学を模索します。そのため、この時代のギリシャ哲学は、自分自身を見つめ直す人生論的な傾向が強くありました。

 

ゼノンの自然論「自然に従って生きよ」

ゼノンは「自然に従って生きよ」と主張しました。ストア派の哲学者は、財産や地位などの人為的に作りだされたものの価値を否定し、自然や宇宙を価値あるものだとして、それに従おうとしました。

 

また、ゼノンは人間の自然本性は宇宙の自然本性と連続しているため、宇宙の法則にしたがうことが正しいことだとする自然論を論じました。

 

ストア派の哲学は「アパテイア」へ至る「禁欲主義」を提唱した

ゼノンは情念(パトス)や情動を克服して「アパテイア」(無情念)へと至る道を説きました。ストア派の哲学者にとって目指すべき理想は、快楽や欲求の衝動に打ち勝ち、理性が与える正しい命令に従って生きることだったのです。

 

アパテイア(無情念)の状態に至ることを理想とするストア派の哲学は「禁欲主義」と呼ばれました。禁欲的生き方を「ストイシズム」といい、ストイシズムは「ストア派主義」という意味でも使われます。

 

「ストイック」はストア派が起源の言葉

禁欲的」という意味の「ストイック」も、ストア派が起源の言葉です。しかし、ストア派の「禁欲主義」は、現在の「ストイック」という言葉から連想する禁欲とはニュアンスが違います。欲望を禁ずるのではなく、欲望からの脱却を目指したのです。ストア的な教養を身につけ、不動心の域に達した人を理想の賢者だとして、その理想的な人物をソクラテスと考えていました。

 

ストア派の根幹概念は「ロゴス」

ストア派の哲学者は、世界を定める神的な論理を「ロゴス」と呼び、神と同一視しました。ロゴスはストア派の根幹となる概念で、「自然」(ピュシス:本性)や「運命」(テュケー)とも表現されます。

 

ストア派は、自然や宇宙はロゴスという理性的な力によって定められた有機的な存在であり、人間も魂の中にロゴスを有しており、それゆえロゴスに従うことが人間の正しい生き方だとしました。

 

ストア派後期の代表は「セネカ」

ストア派は前期、中期、後期に分けられ、後期を代表する思想家にローマ帝国の政治家でもあった「セネカ」(紀元前1年頃~紀元後65年)がいます。セネカの生きた1世紀のローマは、初代ローマ皇帝アウグストゥス(紀元前63年~14年、在位:紀元前27年~14年)亡き後は、ネロなどの悪名高い皇帝による悪政で不安定な時代でした。セネカはネロの補佐役として政治を支えますが、後に謀反の嫌疑をかけられ、自ら命を絶ちます。

 

セネカはストア派の教えに従い、困難な政治生活に耐え、人生哲学について論じました。

 

「アウレリアス」の「自然」と「名言」

16代ローマ皇帝のマルクス・アウレリウス・アントニヌス(121年~180年、在位:161年~180年)も、後期ストア派を代表する思想家です。アウレリアスはストア派哲学を学び、教えに即した生活を送り、『自省録』という内面の思索を綴った著書を残しました。アウレリアスは「自然」という言葉を頻繁に用いました。宇宙の自然と自分の本性を結び付け、自然に従って生きるということがストア派の教えです。

 

古代ギリシャで生まれたストア派の哲学は、その中心がローマに移ってからも大きな影響を与え続けましたが、その前期の著書は失われており、アウレリアスなどの後期ストア派の著書によって後に大きな影響を与え続けることになります。

 

アウレリアスの著書『自省録』から、ストア派の思想が表れた名言を紹介します。

 

主観的判断を取りのけよ。その時、私が害されたという思いは消えてしまう。すれば、害そのものが消えてしまう。

 

死すべき者の避くべくもない運命(死)は、間近に迫っている。命ある限り、善き者たることの可能であるうちに、善き者となれ。

 

己が外に心を向けて、さまようのをやめよ。内に、なにかなさんとする衝動を覚えたら、常に正義に適ったことを顕現し、怠ることなく理知の能力を最良の状態に保て。

 

理性的動物にあっては、自然に適うも理性(ロゴス)に適うも、ともに同じ一つの行為であり、別個のものではない。

 

想念を消失せよ。繰り人形よろしく外から繰り動かされることをやめよ。人の犯した過ちは、それの生じた場所にそのままにしておけ。

 

天より与えられた事物には、自らを調和せよ。また、宿命によりともに生きるべく定められた人々には愛情を寄せよ。ただし真正の愛情を。

 

「ストア派」の反対の哲学派とは?

次に、ストア派と同時代に、ともに哲学の二大潮流となったエピクロス派について紹介します。

 

ストア派の反対は「快楽主義」のエピクロス派

「エピクロス」(紀元前336年~264年)は、快楽に幸福を求めるエピクロス派の哲学を打ち立てました。エピクロス派は、快楽主義や快楽の哲学と呼ばれます。

 

エピクロス派は「アタラクシア」を幸福と定義した

エピクロスは、人間の幸福は快楽であるとしました。その快楽とは欲望のままに流される快楽ではなく、肉体的な苦痛がなく、精神的に平静(アタラクシア)であることを快楽かつ幸福と定義したものです。

 

エピクロス派が魂の平安を求めたのに対し、ストア派は感情に任せるのは理性に背く生き方だとして、快楽主義とは反対の立場を取りました。また、エピクロスが幸福を人生の目的としたのに対して、ストア派は幸福は結果に過ぎないとしました。

 

ゼノン(Ζήνων Zēnōn, 紀元前335 - 紀元前263年)は、キプロス島キティオン出身の哲学者でストア派の創始者。フェニキア人。エレアのゼノン等と区別するために、キティオンのゼノンとも言う。

 

生涯

商人の息子に生まれ、成人して自らも商人となり、中年期に至るまで商業に携わっていたという。

 

彼が22歳の時に乗っていた船が難破してアテナイにたどり着き、偶然立ち寄った本屋でクセノフォンの『ソクラテスの思い出』に感銘を受けた。本屋の主人に教えられるまま、キュニコス派のクラテスについて同地で哲学を学んだ。キュニコス派やアカデメイア派の影響を受ける中で、彼自身の思想を確立するようになる。最終的に、彼はアテナイの彩色柱廊(ストア・ポイキレ)で彼の思想の講義を始めることになるが、この場所の名前から、彼に始まる学派をストア派と呼ぶことになった。

 

伝えられる彼の最期は、次のようなものである。彼はある日、学園から帰途につく際に転倒し爪先の骨を折ってしまったが、ストア派の思想に従い、高齢である自分にとってはもう死ぬことが適当だろうと考え

「いま行くところだ!

どうして私を呼びたてるのか!

と言って、自ら息を止めて死んでいったという。

 

思想

彼が展開した思想は、資料が断片的にしか残存していないために、総合的な理解は困難となっている。しかし、自然学、論理学、倫理学という哲学の三分法を設定したこと、快や不快に対して心を奪われないことによって心の平穏が獲得できるという、ストア派倫理学の基本軸を設定したことは、彼に起源を見ることが妥当だと考えられている。

出典 Wikipedia

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