2021/03/22

インド仏教の発展

出典https://user.numazu-ct.ac.jp/~nozawa/b/bukkyou1.htm#ch3

1.   部派仏教とアビダルマ哲学の成立

 

ブッダの入滅後100年ころ、教団は律の解釈をめぐって、保守派の上座部と進歩派の大衆部(だいしゅぶ)に分裂した。その後、さらに分裂を重ね、成立した部派の数は18あるいは20と伝えられる。

 

各部派は、自派の教理にもとづいて聖典を編纂し直し、独自の解釈を立てて論書を生み出した。それらはアビダルマといわれる。そして、これを集めたものが論蔵(アビダルマ蔵)で、ここに経蔵・律蔵とあわせて三蔵が成立した。

 

多くの部派のアビダルマは失われた。現在完全に伝わっているのは、南方上座部のパーリ語のアビダルマと、漢訳された説一切有部のもののみである。論書のうち、古いものは紀元前 2世紀の成立とみなされる。

 

アビダルマとは、「ブッダの教え(ダルマ)に対する(アビ)考究」である。アビダルマの論師たちは、ブッダによって教え説かれたダルマを吟味弁別することが煩悩を鎮める唯一の方法であると考えた。

 

彼らは、教理の体系化を進めて、須弥山説といわれる巨大な宇宙観を含む壮大な教理体系を築き上げた。時期を同じくする頃、婆羅門思想ではサーンキヤやヴァイシェーシカの宇宙観が成立している。当時のインドの思想界には、宇宙の成立ちに対する強い関心があった。アビダルマ哲学の成立も、この傾向と密接にかかわる。

 

2. 説一切有部

 諸部派のうち、特に有力であったのは説一切有部である。

 

この部派は、カニシカ王(c.132-152年在位)の庇護を受けて栄え、多くのアビダルマ文献が生み出された。その代表は『阿毘達磨大毘婆沙論』(あびだつまだいびばしゃろん)で、多岐にわたる内容を包含しており、さながら古代インドの大百科全書である。

 

アビダルマ文献のうち最も有名なものは、ヴァスバンドゥ(世親、45世紀頃)の『阿毘達磨倶舎論』(あびだつまくしゃろん)である。これは、大部な『婆舎論』の内容を時には批判を交えて巧みに要約したもので、仏教教理の基礎をなすものとみなされ、中国、日本において尊重された。


3. 説一切有部の教理

「説一切有部」とは、この世界を成り立たせている一切のダルマが過去・現在・未来の三世にわたって実在するとするところからついた学派名である。諸行無常と矛盾するようであるが、彼らはむしろ実在するダルマがなければ、諸行無常は成り立たないと考えた。

 

諸々のダルマは、集まって現象してくる。それは現在の一瞬間にのみ存在し、消滅する(刹那滅)。しかし、それぞれのダルマそのものは、未来から現在をへて過去に至って常に存在し続ける(三世実有・法体恒有)と考えるのである。

 

ところで、ダルマとは何か。ダルマ(法)は、多義的な語であるが、仏教ではまず「ブッダの教え」(仏法)を意味する。アビダルマ論師たちは「ブッダの教え」の体系化を目指したが、主たる関心は世界の全体的な理解にあった。彼らにとって、世界の成立ちは「ブッダの教え」、すなわちダルマによって説明され理解される。したがって、ダルマは「世界を説明する原理」である。言い換えれば、世界はダルマから成り立っているものとして理解される。ここから、ダルマは「世界を成り立たせる原理」とみなされる。

 

 原始仏典には、世界の成立ちを説明する教えとして五蘊・十二処・十八界というダルマの枠組があった。

 

十二処」とは六つの認識器官「眼・耳・鼻・舌・皮膚・心(眼耳鼻舌身意)」と、それらに対応する六つの対象「色形・音声・匂い・味・感触・考えられるもの(色聲香味触法)」によって世界の成立ちを説明するものである。

 

十八界」は、これに六つの認識「眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識」を加えたものである。

 

説一切有部は、この十二処・十八界説を基本として理論的な整合性を追求し、体系を再構成した。そして完成されたのが「五位七十五法」という七十五のダルマを五類に分ける体系である。これによって物質的、精神的な世界のすべてが説明された。

 

五類とは、「物質(色)・心(心)・心作用(心所)・物質でも心でもない関係、属性、能力など(心不相応行)・空間や涅槃など形成されることなく存在するもの(無為)」である。

 

 第五の「無為(むい)」に対し、前の四つのダルマは「有為(うい)」で形成されるものである。物質には十一、心は一、心作用には四十六、物質でも心でもないものには十四、形成されないものには三のダルマが立てられる。物質は原子論によって説明される。

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