2021/05/29

華厳経と法華経 ~ 大乗仏教(2)

 出典 https://user.numazu-ct.ac.jp/~nozawa/b/bukkyou1.htm#ch3

 

5. 華厳経

 大乗仏教では信仰の対象となるブッダに関する考察が進み、ブッダの現れ方を応身(おうじん)・報身(ほうじん)・法身(ほっしん)の三種に分けて考える三身(さんじん)説が現れる。

 「応身仏」とは、歴史的に存在したブッダ、すなわち衆生の救済のために身体をもって現れた仏である。

 「報身仏」とは、阿弥陀仏、薬師如来など、悟りの果報として現れた完全円満な永遠の存在である。

 「法身仏」とは、仏の本体はその教え、すなわち仏法にあるとして、これが人格化された仏である。

 『華厳経』では、釈尊が法身である毘廬遮那仏(びるしゃなぶつ)と同化され、あらゆる差別相を有するこの世も、真実には釈尊の成道によって実現した真理の世界(法界、ほっかい)であるとする。

 小さな塵の粒、一本の毛の穴の中にも無数の仏国土がある(一即一切、一切即一)。そのような迷いの世界は、その本性において空であり、そのまま悟りの世界である。衆生が輪廻する三つの領域(欲界・色界・無色界の三界)の存在は、すべて心から現れるという唯心説を説く。

 全八会からなるうち、サンスクリット原典が残っているのは、第六会十地品と最後の入法界品だけである。前者は菩薩の修行が深まる段階を10に分けて説く、また後者は善財童子が教えを求めて53人のさまざまな職業の人々を訪ね歩く求道の物語である(東海道五十三次は、これにちなんで定められた)

 

6. 法華経

 『法華経』は『妙法蓮華経』の略である。サンスクリット本は 27の章からなる。各章の成立は年代が異なり、紀元後 50年から 150年にかけて成立したものであるが、全体として調和はとれている。

 

 巧みに比喩を用いて(「法華七喩」といわれる。なかでも三車火宅の喩え(比喩品)、長者窮子の喩え(信解品)が有名)、文学的に大乗仏教の教理を説く。初期大乗仏典を代表するもので、古来多くの人々から高い評価と信仰を集めてきた。

 

 主な内容としては、大乗と小乗の対立を越えたところに統一的な真理があること(一乗妙法、いちじょうみょうほう)、ブッダが永遠不滅の存在であること(久遠本仏、くおんほんぶつ)、苦難を堪え忍び、慈悲の心をもって、利他の行に励むこと(菩薩行道、ぼさつぎょうどう)が説かれる。

 

 「一乗妙法」は、『法華経』前半の主題である。もっとも鮮明に現れるのは方便品である。

 

 大乗仏教は旧来の仏教を小乗仏教と呼んで蔑んだ。小乗は声聞(しょうもん)と縁覚(えんがく)である。声聞は自己の悟りを得ることに専心する。縁覚あるいは独覚は十二縁起を観察してひとりで理法を悟る。かれらは大乗の菩薩のようには慈悲・利他の行を行わない。

 

 しかし、仏教を声聞、縁覚、菩薩の三つの乗り物に分解して説くのは、煩悩に眩まされた衆生たちを救済するための如来たちの巧みな方便である。すなわち、衆生の救済を誓願した如来たちは、様々な方便を説く。たとえば、戒・定・慧、塔の建立、仏像の作成、供養、礼拝、念仏、この教えの名をきくことなどもすべて、衆生が成仏できるように如来の説いた方便であるが、それらのどれによっても、正しい悟りに到達できるとする。

 

 悟りに至る方法が方便としては分けて説かれていても、真実にはブッダの乗り物はただ一つで、第二、第三の乗り物があるわけではないというのである。この教えは、また「開三顕一」ともいわれる。

 

 「久遠本仏」とは、如来の寿命が無限であることを説くもので、如来寿量品をはじめとする『法華経』後半の主題である。

 

 釈尊は入滅したといわれるが、実はそうではない。無限の過去において悟り、それ以来無数の衆生を教え導き、無限の未来においても存在し続ける。しかし、入滅したと説かなければ、衆生たちは如来が常にいると思い、如来への思いが薄れる。そのようなことがないようにするため、方便として「如来の出現は極めて稀である」と説き、釈尊は入滅したとされるというのである。

 

 「菩薩行道」は、『法華経』の中間部、法師品から如来神力品において強調される。そのうち、常不軽菩薩品には、理想の菩薩像が描かれる。

 

 常不軽(じょうふきょう)菩薩は、すべての人を将来如来になるものとして決して軽蔑しなかった。そのため逆に人々から軽蔑され迫害されたが、屈することなく菩薩行を全うする。

 

 『法華経』に特徴的なことは、『法華経』そのものへの信仰を説く点にある。たとえば、常不軽菩薩品では、この経典を奉ずる人には幸福が訪れ、非難するものには災難が降りかかると説く。

 

 法師品や如来神力品では、法華経が受持、あるいは読誦、解説、書写、熟考されたところには塔を立てよという。その場所は、すべての如来たちの悟りの座とみられるべきで、まさしくそこで如来たちは最上の正しい悟りをひらき、教えの輪を転じ、完全な涅槃に入ったと知られるべきだからである。

 

 いま自分の立つこの箇所が聖なる菩提の座になるという教えは、古来多くの人の心を打った。

 

 随の時代の中国において、智顗(ちぎ 538-597)は、数多くある仏典中で『法華経』を最上に位置づけ、それによって教理体系を統一して、天台宗を開いた。

 

 平安時代に最澄 (767-822) は入唐して天台宗を日本へ伝え、これを広めるため比叡山延暦寺を建立した。以来、この経典が日本に及ぼした影響ははかりしれない。

 

7. 無量寿経ーー本願と極楽浄土

 『無量寿経』は、法蔵菩薩が一切の衆生の救済を誓願(本願)し、偉大な菩薩行を行って、如来となる経緯を明らかにする。

 

 この如来は、無量の威光があるから、アミターバ(無量光、阿弥陀)と呼ばれ、無量の寿命を有するからアミターユス(無量寿)と呼ばれる。

 

 ついで、阿弥陀仏の西方の仏国土が七宝や黄金に飾られる荘厳な安楽に満ちたありさまが描かれる。この極楽の仏国土に、一切の衆生が阿弥陀仏の本願に基づいて行くことができる。そのためには仏の広大な慈悲を信じ念ずれば、臨終のとき多くの比丘の集団に取り囲まれた阿弥陀仏が、その前に立つと説く。

 

 阿弥陀仏の仏国土は、中国において「浄土」と呼ばれた。ここから浄土教が生まれ、東アジアに大きな影響を与えた。

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