2021/05/03

道教(3)

鬼の世界

」とは、死者の霊魂や天地山川の精霊のことである。不老不死を理想に掲げる道教としては、鬼は理想を達成できなかった存在ということになるが、実際には誰もが死からは逃れられず、実際には道教と鬼の観念は深いかかわりを持っていた。

 

もともと前漢末頃には、死者の霊魂は泰山に集まるという観念があった。泰山には冥府(冥界の役所)があり、地上と同じような官僚組織が存在し、泰山府君(冥府の長官)が冥吏とともに一般の鬼を支配すると考えられていた。中国に仏教が流入すると、地獄の観念と結びつき、人は死後に泰山地獄に入って泰山府君による裁きを受け、冥界での処遇が決まると考えられるようになった。道教の鬼の考え方も、こういった背景のもとに現れており、『真誥』では死者が第一から第六まで存在する天宮に赴き、鬼界での処遇を決められることが描かれている。

 

『真誥』においては、世界が仙界・人界・鬼界の三部からなることと、それぞれの世界に住む者は固定しておらず、行為の善悪によって上に昇ったり下に降ったり循環往来することが説かれている。人界から仙界への移動のためには、服気・存思などの道術や、経典の読誦、按摩・理髪・導引などの健康法などが必要とされる。一方、鬼界から仙界・人界に移ることができる者は、地下主者・地下鬼者と呼ばれる、鬼と仙との中間的な存在である。地下主者となることができるのは、生前に忠孝や貞廉であったり陰徳があった人で、死後長い年月を経て仙人になれるとされている。このようにして、現世において仙人になることができなかったものでも、死後に仙人になることがありうるとされ、仙界への道がより広く開かれることとなった。

 

日常倫理

道教においては、地上の人間の行為を天の神が見ていて、行為の善悪に従ってその応報として禍福がもたらされるという観念があり、そこから日常で守るべき倫理が説かれることとなる。人の行為に天が賞罰を与えるという考え方は『墨子』や董仲舒の災異説など中国に古くから存在し、道教関連では『抱朴子』のほか、『太平経』や『霊宝経』などに見えている。『霊宝経』には、日常において守るべき倫理として「十戒」が挙げられており、これは仏教の「戒」の影響を受けつつ、中国の日常倫理と融合したようなものになっている。

 

一には、殺さず、まさに衆生を念ずべし。

二には、人の婦女を淫犯せず。

三には、義にあらざるの財を盗み取らず。

四には、欺いて善悪正反対の議論をせず。

五には、酔わず、常に浄行を思う。

六には、宗親和睦し、親を謗ることをせず。

七には、人の善事を見れば、自分も同じように歓喜する。

八には、人の憂いあるを見れば、助けてそのために福をなす。

九には、相手の方から私に危害を加えても、志は報いざるにあり。

十には、一切未だ道を得ざれば、我は望みを有せず。

『太上洞玄霊宝智慧定志通微経』

 

その後、宋代以後に民衆の間で流行した「善書」や、行為の善悪を点数化する「功過格」によって日常倫理が説かれることとなった。

 

善書

善書は一般民衆を教化する通俗的な民衆道徳書であり、下層知識人や庶民に向けて書かれていた。道教系・仏教系のものがあり、無料で頒布された(無料で頒布するという行為自体が善行であるともされた)。道教的な善書の源流は南宋にあるが、明末になって三教合一の風潮が強くなると特に流行した。善書の誕生の背景には、一般民衆が主体的な行動によって自身の禍福を定められるという観念があり、これは宋代以降の庶民の社会的地位の向上を反映していると考えられる。

 

道教的な善書の最初の例が南宋の『太上感応篇』で、太上老君に授けられた言葉として12世紀中ごろから流行するようになった。13世紀の理宗は、この本の出版流通を積極的に行った。ここには、身近な日常倫理が具体例とともに平易に説かれており、その内容は儒教・仏教・道教の枠を超えて、全ての人々に通用するものであった。この書は、勧善懲悪の書として、人々を教化する書として長い間中国社会において大きな役割を果たした。

 

功過格

同じく宋代以降に流行した「功過格」は、行為の善悪を点数によって示し、その数値によって自分の行いを反省し、道徳実践に向かうように勧めた書の総称である。現在伝わる最古の功過格は、1171年に浄明道の道士によって伝えられたとされる『太微仙君功過格』であるが、当初は道士や信徒を対象に規律を具体化した道教教団的な色彩が濃いものであった。明末になると、より庶民に開かれた日常的行為の規範として簡潔な功過格が生まれた。たとえば、「重病人を一人救うと10ポイント」「人の財物を盗んだ場合は百銭でマイナス1ポイント」というように細かに点数が定められており、人々は寝る前に「簿籍」(功過簿)にその点数を正直に記入し、自分の功過の総数を知り、自身の道徳的行為を省察した。

 

善書・功過格を実践した人物として著名なのが袁了凡で、彼は当初は人間の運命は定められているという宿命論的思考を持っていたが、功過格を授けられ、自分の意思と善行によって運命を改変することができるという立命論(造命論)の立場に転じた。彼は功過格を実践して願いを成就して進士に至り、民衆に善書を広め、下級知識人層に影響を与えた。

 

儀式・呪術

霊符・符籙

中国には、何らかの霊的な能力が宿るとされる「符」(おふだ、霊符)が古くから用いられ、天災・人災を防ぐほか、邪悪・病魔を退散させる呪術の一種として普及した。古くは、睡虎地秦簡・日書に符の存在を暗示する「禹符」の文字があるほか、馬王堆帛書・五十二病方にも符を使う記述が見られる。後漢の洛陽郊外の邙山漢墓からは、延光元年(122年)と年代が判明している最古の符が発見された。道教においても古くから符・霊符が用いられ、その結びつきは強く、符籙といった呪術に対抗して生まれた全真教でさえ後になると符を用いていた。

 

符は、道士によって書写され、紙や布の上に篆書・隷書の文字が書かれたり、文字ではない屈曲した図柄や星・雷の図形などが書かれた。道教経典によれば、太上老君が東方に発する気の形状や、蛇のようにうねる山岳や川の様子を天空から見て描写したとされる。こうして書かれた符は、宇宙の生成化育・変化流転を表し、神秘の力と共鳴して不可思議な力を発揮するとされた。

 

天師道の家では、7歳から16歳までに道術を学び、道術を会得すれば「符籙」が授けられるとされた。「籙」とは、名簿・記録のことで、天官や神仙の名籙と道士の名冊(登真籙)の二種がある。登真籙には、道士の姓名や道号などが記され、儀式を挙行して霊的に道士の名前が登記され、これによって道士として認められて天神の加護を得ることができた。したがって、道士によって籙は神に授かった非常に重要なものであり、その授受の儀式は荘厳なものであった。籙は霊符とともに用いられることも多いため、「符籙」とも呼ばれる。

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