2021/05/05

道教(5)

医薬

中国最古の薬物書に後漢初期に成書したとされる『神農本草経』があり、365種類の漢方薬が記されて、上品(養命の薬)・中品(養性の薬)・下品(治病の薬)の三つの分類がある。以後、梁の道士の陶弘景によって『神農本草経集注』が作られるなど、特に道士によって本草学の研究が進んだ。

 

鍼灸

鍼灸は中国においては古くから行われており、殷代にまで遡るとされるが、その実質的な誕生は後漢の頃であり、道教との接触が認められる。たとえば『太平経』には鍼灸に関する記述が含まれている。のち、隋の『諸病源候論』には不老長生の薬を体内で生育する場所としての「丹田」の学説が説かれているが、これには『難経』以来の鍼灸医学が反映されている。

 

房中術

道教において、性交は自己と自己以外の気の結合(合気)で、宇宙と身体の相関システムの調和のために必要なものであると考えられたため、房中術が発展した。これは集団的乱交、婚姻による夫との関係、人間と神との想像上の結合といったさまざまな形式で現れるが、いずれにしても性実践は道教の核心部に位置するものであった。性の力は生命の表現であり、男性には創生、女性には変化という役割が与えられて、その気の運動によって「一気」を得て、道に近づくことができると考えられた。

 

房中術に関する記載は『抱朴子』や『太平経』といった初期の経典にも見えるほか、たとえば天師道において性生活は宗教生活の一部に取り入れられ、「過度」や「合気」といった性の儀式が行われた。「過度」は通過儀礼の意とする説と、救済の意とする説がある。この儀式には十歳以上の一組の男女の弟子が参加し、地域の祭酒(師)の教会において以下のような手順で行われた(『上清黄書過度儀』による)。

 

師と男女は静室に入り、師は彼らを東に向かわせる。男は左に、女は右にいて互いに手を交差し、存思して神を思い浮かべる。

師は男女のために告神して救済を請い、弟子たちは合掌して念呪し、死籍から取り除くように唱えた後、師に従って四方の神々に乞い、三気・十神を存思し、六十神に祝告し、太陽・月などの五神を存思する。

 

「合気」に入る。八生(男女が定められた方位に立って、龍虎戯・転関・龍虎交といった性行為を始める)、解結食(衣服を説き、髪を結び、生気を食す)、甲乙呪法(性行為を行いながら男女が定められた呪文を唱える)、王気(四時五方と対応する五臓の気のなかで、四時それぞれに王となる気を存思する)といった手続きがある。

神々に功徳を報告する。嬰児回(嬰児が戯れるのを模倣する)、断死(男女が相手を見つめながら全身を撫で、呪文を唱える)、謝生(十二尊に向かって生を賜ったことを感謝する)といった儀式がある。

 

これらの儀式は合同で行われることもあり、遊女通いをする道士も多く、道観が身分の低い女性や遊女の受け入れ先となる場合もあった。こうした状況は仏教などから批判されることもあり、寇謙之によって気の合一の禁止が唱えられたことがあったほか、宗派によっては房中術に対して曖昧な態度をとることもあった。たとえば、『真誥』においては房中術にさほど意義を認めない箇所もあれば、道に従って交接するのであれば有益な術であると説く個所もある。

 

結局、陰陽の交流は道教からは切り離せないものであり、その交流の重要性は説かれ続けた。房中術の文化はのちにさまざまな方向に発達し、春画の制作や性交渉時の体位における工夫、薬の使用などに繋がった。唐から宋の頃になると、悦楽のための房中術も発展し、性文学が現れたほか性具も用いられるようになった。

 

芸術・文化

文学

また、道教は「神仙」という現実を超えた存在を理想として掲げるため、想像力の世界と深く関わり、さまざまな文学作品を生み出した。以下の例がある。

 

遊仙詩 - 俗界を離れて仙界で遊ぶことをうたった詩。

志怪小説

歩虚詞 - 神仙となって虚空を飛行するさまをうたった歌曲。

変文 - 唐から五代にかけて流行した布教のための絵解きの話本。

宝巻 - 明清時代に流行した布教のための語り物。

 

特に文学作品として大きな影響を与えたのが、5世紀末に陶弘景によって編纂された『真誥』である。ここには洞天や鬼界が生き生きと描かれているほか、その詩は『楚辞』との関連が指摘される。『真誥』は白居易・李白・杜甫・韋応物・李商隠らの詩に、その影響が見られる。

 

また、口語で書かれた通俗的な作品は、当時の庶民文化を濃厚に反映するため、道教を始めとする宗教の要素が多く見出される。たとえば『水滸伝』の冒頭は、宋の仁宗が龍虎山の張天師のもとへ疫病鎮圧の依頼のために役人を派遣するシーンから始まる。また、『三国志演義』に登場する諸葛亮は道士として登場し、道術によって風を起こす。ただし、通俗文学に対する影響は道教だけではなく、仏教や儒教の影響も濃厚に見出される。

 

演劇・音楽

宋から清にかけて戯曲が流行し、道教に関連する作品も少なくない。明の朱権が元の雑劇を12に分類した際、第一に「神仙道化」劇、第二に「隠居楽道」劇を挙げており、ともに道教思想を反映する。神仙道化劇においては、人間は仙人に人生の虚しさや欲望の愚かさを説かれ、紆余曲折を経てようやく世俗を棄て、得道に至るという筋書きの話が多い。不飲酒不邪淫といった戒律が説かれる場合もあれば、練気による体感、または厭世感や神仙世界への憧憬といった心情を中心に描くものもある。

 

また、演劇の際に必要となる音楽も道教との関係が深い。もともと『太平経』に音楽と天地自然の気の関係が説かれており、道観において「道曲」が演奏された。そのうち歌唱局は唐代の梨園で歌舞と融合して「法曲」に取り込まれ、器楽曲は「俗曲」として急速に民間に広まって「道情」と呼ばれた。当初は道教の経典の内容を歌唱に託して教えを広めるためのものであったが、その後は民間の語り物である説唱の一種「道情鼓子詞」として形を変えた。これには地域によってさまざまな形態があり、南方の四川竹琴や湖北漁鼓、北方の「道情戯」などがある。

 

絵画

道教をモチーフにして描かれた絵画も多く存在し、魏晋南北朝時代には顧愷之の「洛神賦図」「列仙図」や張僧繇の「行道天王図」といった作品群が生み出された。その全盛期は唐代から宋元時代にかけてであり、唐代の作品として現存するものはないが、『歴代名画記』『益州名画録』などには長安や洛陽に存在した道観壁画が数多く記録されている。宋代の『宣和画譜』には唐代画人の道教絵画が列挙されているほか、呉道玄といった代表的な作家が生まれた。宋代に入っても開封の道観壁画など多くの作例があるが、道教絵画の画作を生業とする画工の作品は、やや軽んじられるようになった。

 

また、そもそも中国では絵画を書くためには精神を集中し、精神と自然を調和させる必要があるとされる。そのためには道と合一し陰陽の調和を保つことが求められるため、絵画芸術と道教の関係は深い。特に山水画に道教の理想が現れているとされる。山水画は、神仙思想や道教思想に基づく想像上の理想郷や、隠逸思想を基礎とした心象風景を描いているという点でも道教的である。

 

中国の書芸術を代表する人物である東晋の王羲之は熱心な道教徒であり、彼が書した『黄庭経』は道教経典であったほか、『真誥』の制作に関わっていた許氏一族と深い関係を有していた。また、『真誥』には王羲之自身も登場している。『真誥』を整理し道教の教理を整備した陶弘景も能書家として知られ、『法書要録』には南朝梁の武帝と彼の書に関する往復書簡が収められている。唐の顔真卿も上清派に傾斜していたことで知られ、「麻姑仙壇記」「魏夫人仙壇碑」「華姑仙壇碑」など道教ゆかりの作品を数多く残した。顔真卿自身が尸解仙になったという伝説もある。

 

道教の神仙世界では、「天書」と呼ばれる天上の文字が用いられており、これを模写することから「地書」つまり地上の文字が生まれたとされる。

0 件のコメント:

コメントを投稿