2019/01/15

ヘレニズム時代


出典 http://timeway.vivian.jp/index.html

アレクサンドロスの政策
  短い間でしたが、アレクサンドロスがどのような政策をすすめたか見ておきます。

まず彼は、新たに征服した領土にアレクサンドリアという名前の都市を建設します。中でもエジプトのナイル河口に築いたアレクサンドリアが有名ですが、帝国各地に支配の拠点として同じ名前の都市をたくさん造っている。全部で70以上あるそうです。

この新しく造った都市に誰が住むかというと、アレクサンドロスがギリシアから連れてきたギリシア兵達が住む。中央アジアやインドに近いアレクサンドリアに住まわされたギリシア人達は、ギリシア本土から遠く離れているし、現地の人々と結婚なんかしてやがて土地の人たちに吸収されていくんですがね。しかし、ギリシア風の文化が、こういう地域にも広がったわけです。

何年か前のことですが、NHKでインドの山奥の谷あいに住む部族が紹介されているのを見たんですが、その部族の人々は自分たちはアレクサンドロスがインドに残したギリシア人の末裔と名乗っているんですよ。顔つきや風俗も周囲のインド人と違うんです。そういう人々が、今でもいるんですね。

  さらに、アレクサンドロスはギリシア文明とオリエント文明の融合をめざしました。具体的には、民族融合を考えたようです。ギリシア兵士とペルシア貴族の子女との集団結婚なんていうのをやります。自分自身も、ペルシア王族の女性を妻にする。広大な帝国を治めるためにも、ペルシア人をどんどん登用します。アレクサンドロス自身が、ペルシアに傾いていくんです。これがマケドニア以来、アレクサンドロスの身近にいた貴族グループとの間にしっくりしない雰囲気を生み出します。「アレクサンドロスの勝利は、マケドニア人のおかげじゃないか」と、不満を持つ。

  また、エジプトでアレクサンドロスはシワーという神殿都市に行くのですが、ここの神殿で神の生まれ変わりというお告げをうけて、すっかりその気になる。エジプト人に歓迎されていい気持ちでいた上に、これですからね。しかも、もともとエジプトは王を神の化身と考える伝統がある。神の生まれ変わりといわれ、神の化身のように接待される。

王を友人のように対等に近い感じで扱うマケドニア人やギリシア人との落差は大きいです。ペルシア人の王に対する態度もエジプトに近い。王を高いところに置いてお仕えする感じです。難しい言い方をすると、ペルシアやエジプトの王の在り方は「専制主義的」なのです。

アレクサンドロスにとって、ギリシア風よりもオリエント専制主義が気に入ったことはもちろんです。そして、彼はギリシア人やマケドニア人に対しても、神のごとく自分に接するように強制しはじめます。気軽に声をかけるな、話すときは跪け、とかね。

アレクサンドロス大王のコイン       
アレクサンドロスのコインを見てください。彼の横顔から角が生えているでしょう。角、牛にも生えている、これは神聖なものの証(あかし)です。神、もしくは神に近いものとして、自分を描いているのです。

(補足)読者の方より以下のご指摘をいただきました。
 「ヘアバンドは王権を示し、羊の角はアモン神の子としての神権を象徴する」(日本 大百科全書・小学館)

これに対してマケドニア貴族の中からは、反乱計画なども出てくる。こういう状況の中でアレクサンドロスは突然、死んでしまいます。アラビア方面に遠征計画があって、その出陣を祝う宴会で突然倒れます。何日か寝込んだ後で亡くなります。死因はよく分かりません。33歳でした。

ヘレニズム諸国
  後継者が問題になる。子供が、まだないんですよ。妃の一人が妊娠中で、アレクサンドロスの死後息子が生まれますが、こんな子供に統治能力はないですね。あと、肉親としては腹違いの兄がいたのですが、この人は知的障害があって、もともと王位には耐えられない。

臨終間際にアレクサンドロスは、後継者についてきかれてこう言った。

「最も王たるにふさわしいものに」

実力者にとっては、都合のいい遺言だね。

彼の死後、マケドニア貴族の有力武将による後継争いの戦争が起こります。この後継者戦争を経て、アレクサンドロスの帝国は大きく3つの国に分かれました。

マケドニア、ギリシアに建国したのが、アンティゴノス朝マケドニア、旧ペルシア領に建国したのがセレウコス朝シリア。エジプトにプトレマイオス朝エジプト。何とか朝というのは、建国した将軍の名前です。このあと、その子孫が王位を継承していくことになります。

セレウコス朝シリアは領土が広すぎて、中央アジア方面まで統制できなかった。中央アジア方面のギリシア人総督は、やがて自立してバクトリアという国を建設しました(前255)。
ペルシア本土、現在のイランですが、ここではパルティアというペルシア人の国が自立します(前248)。

  こんなふうに徐々に旧アレクサンドロスの帝国は分裂していくのですが、アレクサンドロスの東方遠征以来、プトレマイオス朝エジプトが滅亡する前30年までの約300年間をヘレニズム時代といいます。ギリシア風の時代という意味です。メソポタミアや、エジプトなどのオリエント地方にも、ギリシア文化が広まった時代だというわけですね。アレクサンドロスの帝国の流れを汲む国はヘレニズム諸国と呼ばれます。

いちばん長く続いたヘレニズム諸国が、プトレマイオス朝エジプトです。ここの最後の王が有名なクレオパトラ。世界三大美人だそうですが。このクレオパトラですが、何民族だったかというと、だから、ギリシア人なんですね。アレクサンドロスの武将プトレマイオスの子孫なんですから。ヘレニズム時代というのは、ギリシア人が支配者であった時代でもあるわけです。

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