2019/01/20

八正道(釈迦の思想15)

八正道(はっしょうどう、巴: ariya-aṭṭhagika-magga, : ārya-aṣṭāgika-mārga)は、釈迦が最初の説法において説いたとされる、涅槃に至る修行の基本となる、正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念および正定の8種の徳。八聖道(八聖道分)、八支正道、もしくは八聖道支とも。この 「」が偏蛇を離れているので正道といい、聖者の道であるから「聖道」(梵: ārya-mārga)と言う。

正見
正見(しょうけん, : sammādiṭṭhi, : samyag-dṛṣṭi)とは、仏道修行によって得られる仏の智慧であり、様々な正見があるが、根本となるのは四諦の真理などを正しく知ることである。
業自性正見(ごうじしょう-)(巴: kammassakatā sammādiṭṭhi- 業を自己とする正見。
生きとし生けるもの(: sattā)は、

業(だけ)を自己の所有とする(巴: kammassakā
業(だけ)を相続する(巴: kammadāyādā
業(だけ)を(輪廻的生存の)起原、原因とする(巴: kammayonī
業(だけ)を親族とする(巴: kammabandhū
業(だけ)を依り所とする(巴: kammapaisaraā
十事正見(巴: dasavatthukā sammā-diṭṭhi
布施の果報はある(: atthi dinna)
大規模な献供に果報はある(: atthi yiṭṭha)
小規模な献供に果報はある(: atthi huta)
善悪の行為に果報がある(: atthi sukatadukkaāna kammāna phala vipāko)
(善悪の業の対象としての)母は存在する(母を敬う行為に良い結果があるなど)(: atthi mātā)
(善悪の業の対象としての)父は存在する(父を敬う行為に良い結果があるなど)(: atthi pitā)
化生によって生まれる衆生は存在する(: atthi sattā opapātikā)
現世は存在する(: atthi aya loko)
来世は存在する(: atthi paro loko)

この世において、正しい道を歩み、自らの智慧によって今世と他世を悟り、(それを他者に)説く沙門、バラモン、正行者は存在する。(: atthi loke samaabrāhmaā sammaggatā sammāpaipannā ye imañca loka parañca loka saya abhiññā sacchikatvā pavedenti)

四諦正見(巴: catusaccā sammā-diṭṭhi
苦諦についての智慧(巴: dukkhe ñāa
苦集諦についての智慧(巴: dukkha-samudaye ñāa
苦滅諦についての智慧(巴: dukkha-nirodhe ñāa
苦滅道諦についての智慧(巴: dukkha-nirodhagāminiyā paipadāya ñāa

「正しく眼の無常を観察すべし。かくの如く観ずるをば是を正見と名く。正しく観ずるが故に厭を生じ、厭を生ずるが故に喜を離れ、貪を離る。喜と貪とを離るるが故に、我は心が正しく解脱すと説くなり」といわれるように、われわれが身心のいっさいについて無常の事実を知り、自分の心身を厭う思を起こし、心身のうえに起こす喜や貪の心を価値のないものと斥けることが「正見」である。このように現実を厭うことは、人間の普通の世俗的感覚を否定するものに見えるが、その世俗性の否定によって、結果として、真実の認識(如実知見)に至るための必要条件が達せられるのである。正見は「四諦の智」といわれる。
この正見は、以下の七種の正道によって実現される。 八正道は全て正見に納まる。

正思惟
正思惟(しょうしゆい, : sammā-sakappa, : samyak-sakalpa)とは、正しく考え判断することであり、出離(離欲)を思惟し無瞋を思惟し、無害を思惟することである。このうち「出離(離欲)」とはパーリの原文では「nekkhamma」で、世俗的なものから離れることを意味する。財産、名誉、など俗世間で重要視されるものや、感覚器官による快楽を求める「五欲」など、人間の俗世間において渇望するものの否定である。これら3つを思惟することが正思惟である。

出離思惟(: nekkhamma sakappa)
無瞋思惟(: abyāpāda sakappa)
無害思惟(: avihisā sakappa)

正語
正語(しょうご, : sammā-vācā, : samyag-vāc)とは、妄語(嘘)を離れ、綺語(無駄話)を離れ、両舌(仲違いさせる言葉)を離れ、悪口(粗暴な言葉)を離れることである。

正業
正業(しょうごう, : sammā-kammanta, : samyak-karmānta)とは、殺生を離れ、盗みを離れ、性的行為(特に社会道徳に反する性的関係)を離れることをいう。 この二つは正思惟されたものの実践である。

正命
正命(しょうみょう, : sammā-ājīva, : samyag-ājīva) 殺生などに基づく、道徳に反する職業や仕事はせず、正当ななりわいを持って生活を営むことである。

正精進
正精進(しょうしょうじん, : sammā-vāyāma, : samyag-vyāyāma)とは、四正勤(ししょうごん)、すなわち「すでに起こった不善を断ずる」「未来に起こる不善を生こらないようにする」「過去に生じた善の増長」「いまだ生じていない善を生じさせる」という四つの実践について努力することである。

正念
正念(しょうねん, : sammā-sati, : samyak-smti) 四念処(身、受、心、法)に注意を向けて、常に今現在の内外の状況に気づいた状態でいることが「正念」である。

正定
正定(しょうじょう, : sammā-samādhi, : samyak-samādhi) 正しい集中力(サマーディ)を完成することである。この「正定」と「正念」によってはじめて、「正見」が得られるのである。
出典 Wikipedia

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