2019/09/26

日代の宮二之巻【景行天皇二】(11)

口語訳:この倭建命が国を平定に行った時は、いつも久米の直の遠祖、七拳脛が膳夫としてそばに仕えていた。

 

口語訳:この倭建命が伊玖米天皇(垂仁)の娘、布多遲能伊理毘賣命を妻として生んだ子は、帶中津日子命である。<一柱>またあの海に入って死んだ弟橘比賣命を妻として生んだ子は、若建王である。<一柱>また近淡海の安國造の祖、意富多牟和氣の娘、布多遲比賣を娶って生んだ子は、稻依別王である。<一柱>また吉備臣建日子の妹、大吉備建比賣を娶って生んだ子は建貝兒王である。<一柱>また山代の玖玖麻毛理比賣を娶って生んだ子は、足鏡別王である。<一柱>またある妻の生んだ子は息長田別王である。倭建命の子は全部で六人いた。

 

口語訳:帶中津日子命は、後に天下を治めた。次に稻依別王は、<犬上君、建部君らの祖である。>次に建貝兒王は、<讚岐綾君、伊勢之別、登袁之別、麻佐首、宮首之別らの祖である。>足鏡別王は、<鎌倉之別、小津(君)、石代之別、漁田之別の祖である。>

 

口語訳;次に息長田別王の子は杙俣長日子王である。この王の子は飯野眞黒比賣命、次に息長眞若中比賣、次に弟比賣。<三柱だった。>

 

口語訳:この大帶日子天皇は、崩じた時百三十七歳だった。御陵は山邊の道の付近にある。

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