2019/09/12

ヤマトタケル(5)

口語訳:そこからさらに進んで、能煩野にたどりついた。そこで故国を偲んで、歌った。

「大和は、国のまほろば。たたなづく、青垣山籠もれる、大和し麗し」。

また歌って

「命の、全(また)けん人は、たたみこも(重畳する)、平群の山の、熊白檮の葉を、うず(髻)に挿せ、その子」。

この歌は国偲び歌である。また歌って、

「はしけやし、我が家の方より、雲居立ち来も」、

この歌は片歌である。

この時、病が急に重くなり、歌って

「乙女の、床の辺に、我が置きし、剣刀。その刀はや」。

歌い終わると同時に崩じた。そこで京に駅馬を送った。

 

古事記

素手で伊吹の神と対決しに行った倭建命の前に、牛ほどの大きさの白い大猪が現れる。

倭建命は

「この白い猪は神の使者だろう。今は殺さず、帰るときに殺せばよかろう」

と言挙げをし、これを無視するが、実際は猪は神そのもので正身であった。神は大氷雨を降らし、命は失神する。山を降りた倭建命は、居醒めの清水(山麓の関ケ原町また米原市とも)で正気をやや取り戻すが、病の身となっていた。

 

弱った体で大和を目指して、当芸・杖衝坂・尾津・三重村(岐阜南部から三重北部)と進んで行く。地名起源説話を織り交ぜて、死に際の倭建命の心情が描かれる。

そして、能煩野(三重県亀山市)に到った倭建命は

「倭は国のまほろば たたなづく 青垣 山隠れる 倭し麗し」

から

「乙女の床のべに 我が置きし 剣の大刀 その大刀はや」

に至る4首の国偲び歌を詠って亡くなるのである。

 

日本書紀

伊吹山の神の化身の大蛇は道を遮るが、日本武尊は

「主神を殺すから、神の使いを相手にする必要はない」

と、大蛇をまたいで進んでしまう。

 

神は雲を興し、氷雨を降らせ、峯に霧をかけ谷を曇らせた。そのため日本武尊は、意識が朦朧としたまま下山する。居醒泉でようやく醒めた日本武尊だが、病身となり尾津から能褒野へ到る。ここから伊勢神宮に蝦夷の捕虜を献上し、天皇には吉備武彦を遣わして

「自らの命は惜しくはありませんが、ただ御前に仕えられなくなる事のみが無念です」

と奏上し、自らは能褒野の地で亡くなった。時に30歳であったという。

国偲び歌はここでは登場せず、父の景行天皇が九州平定の途中に日向で詠んだ歌とされ、倭建命の辞世とする古事記とほぼ同じ内容だが印象が異なる。

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