口語訳:そこからさらに進んで、能煩野にたどりついた。そこで故国を偲んで、歌った。
「大和は、国のまほろば。たたなづく、青垣山籠もれる、大和し麗し」。
また歌って
「命の、全(また)けん人は、たたみこも(重畳する)、平群の山の、熊白檮の葉を、うず(髻)に挿せ、その子」。
この歌は国偲び歌である。また歌って、
「はしけやし、我が家の方より、雲居立ち来も」、
この歌は片歌である。
この時、病が急に重くなり、歌って
「乙女の、床の辺に、我が置きし、剣刀。その刀はや」。
歌い終わると同時に崩じた。そこで京に駅馬を送った。
古事記
素手で伊吹の神と対決しに行った倭建命の前に、牛ほどの大きさの白い大猪が現れる。
倭建命は
「この白い猪は神の使者だろう。今は殺さず、帰るときに殺せばよかろう」
と言挙げをし、これを無視するが、実際は猪は神そのもので正身であった。神は大氷雨を降らし、命は失神する。山を降りた倭建命は、居醒めの清水(山麓の関ケ原町また米原市とも)で正気をやや取り戻すが、病の身となっていた。
弱った体で大和を目指して、当芸・杖衝坂・尾津・三重村(岐阜南部から三重北部)と進んで行く。地名起源説話を織り交ぜて、死に際の倭建命の心情が描かれる。
そして、能煩野(三重県亀山市)に到った倭建命は
「倭は国のまほろば たたなづく 青垣 山隠れる 倭し麗し」
から
「乙女の床のべに 我が置きし 剣の大刀 その大刀はや」
に至る4首の国偲び歌を詠って亡くなるのである。
日本書紀
伊吹山の神の化身の大蛇は道を遮るが、日本武尊は
「主神を殺すから、神の使いを相手にする必要はない」
と、大蛇をまたいで進んでしまう。
神は雲を興し、氷雨を降らせ、峯に霧をかけ谷を曇らせた。そのため日本武尊は、意識が朦朧としたまま下山する。居醒泉でようやく醒めた日本武尊だが、病身となり尾津から能褒野へ到る。ここから伊勢神宮に蝦夷の捕虜を献上し、天皇には吉備武彦を遣わして
「自らの命は惜しくはありませんが、ただ御前に仕えられなくなる事のみが無念です」
と奏上し、自らは能褒野の地で亡くなった。時に30歳であったという。
国偲び歌はここでは登場せず、父の景行天皇が九州平定の途中に日向で詠んだ歌とされ、倭建命の辞世とする古事記とほぼ同じ内容だが印象が異なる。
0 件のコメント:
コメントを投稿