存在論的倹約
オッカムが近代科学、および近代の知的文化に対してなした一つの重要な貢献として、オッカムの剃刀と呼ばれるようになる、説明や理論構築の上でのケチの原理がある。
バートランド・ラッセルの解するところでは、この格言は、ある仮定された存在がなくても現象を説明できるならば、その存在を仮定する理由がない、つまり常に原因、要因、変数が可能な限り最小となる説明を選ぶべきだということを言っている。彼は、この原理を存在論的倹約に用いた。この原理によれば、必要以上に存在を増やすべきでない―「Entia non sunt multiplicanda sine
necessitate」―ということになる。ただし、この著名な原理の定式化は、現存するオッカムの著作のどこにも見出されない。
彼は次のように定式化している
「自明(語義上は、それ自体を通じて知られる)であるか、経験によって知られているか、権威や聖典によって証明されるかしていない限り、理由がないなら何ものも仮定されるべきではないので[要出典]。」
オッカムにとって、唯一の本当に必要な存在は神であった。他のすべてのものは不確定である。そのため彼は充足理由律を受け入れず、本質と実在の区別を否定し、能動的知性と受動的知性というトマス・アクィナスの学説に反対した。彼の存在論的倹約の要求によって導かれる彼の懐疑論は、人間の理性は魂の不滅性も神の存在、唯一性、無限性も証明できないという彼の学説の内に現れる。彼の説くところによれば、こうした真理は啓示によってのみ知られる。
自然哲学
オッカムは自然哲学に関する膨大な量の著作を書いており、そのなかにはアリストテレスの『自然学』の長い注釈書もある。存在論的倹約の原理に従って、アリストテレスの十のカテゴリーのすべてを使う必要はないと、オッカムは述べている。たとえば、数学的存在が「現実」ではないために量のカテゴリーは不必要である。数学は実態や質といった、他のカテゴリに適用されなければならず、そのため近代科学のルネサンスを予期する一方で、アリストテレスが「メタバシス」を禁止したのを破る。
知識の理論
知識の理論においては、オッカムはスコラ学の種の理論を不必要で経験によって支持されていないとして否定し、普遍(羅:abstractum)の理論のほうを好んだ。これは後期中世認識論における重要な発展である。さらに彼は直観的認識(notitia intuitiva)と抽象的認識(notitia abstractiva)とを区別した。直観的認識は対象が存在するか否かに基づいているが、抽象的認識は対象を存在するという述語から「抽象」する。この二つの認識活動の果たす役割に関しては、解釈者の間でもいまだに評価が定まっていない。
政治理論
西洋を形作った理論、特に責任の制限された政府という理論を発展させてきた功労者としてもオッカムは徐々に認知されつつある。彼は中世で初めて教会と国家の分離という形式を唱道しており、所有権の概念の初期の発展においても重要である。彼の政治思想は「自然な」つまり「世俗的」だとみなされていて、世俗絶対主義の立場に立っている。君主が責任を負うという発想は『Dialogus』(1332年-1348年に書かれた)で支持されており、公会議主義運動に大きな影響を与え、自由民主主義思想の発生を助長した。
論理学
論理学の分野では、オッカムはのちにド・モルガンの法則と呼ばれる公式を書き残しており、3値論理、つまり三つの真理値を持つ形式体系について考察した。これは19・20世紀に数理論理学の分野で再び取り上げられた。
文学的オッカミズム/唯名論
オッカムとその作品は数人の文学作品や人物、特にジョフリー・チョーサー、他にジャン・モリネ、詩人のガーウェイン、フランソワ・ラブレー、ジョン・スケルトン、ノリッジのジュリアン、ヨーク市の劇、ルネサンスのロマンス文学などに対する影響を与えたのではないかとして議論されている。実際には、これらのうちごくわずかなものだけがオッカムと彼の著作との関係を説明できる。しかし、オッカム主義者・唯名論者の哲学・神学と中世からポストモダンにかけての文学作品との間の対応関係は、文学的唯名論という学的パラダイムのもとに議論されている。
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