2026/03/08

日蓮(10)

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出自

鎌倉仏教と呼ばれる鎌倉時代に誕生した日本大乗仏教諸宗派の開祖の一人である。

 

現在の千葉県にあたる安房国の海岸地域に住む漁師の家の出。幼少期の名は善日麿(ぜんにちまろ)。当時の漁業民の中では中級にあたる「釣人権頭(つりびとごんのかみ)」の家系である。(この事から、後述の出家前の生活についても「平民の中では裕福な家」とする説も有る)

 

しかし、彼自身は自身の出自を「旃陀羅(せんだら)」であると語っている。

 

元はインドの言葉で、チャンダーラという被差別階級を漢訳した語である。非アーリア系の狩猟文化を持ったインド先住民であるが、東征してきたアーリア人に敗れカースト下層に置かれた人々である。

 

「ヴェーダの宗教」から見れば殺生として破戒にあたる屠畜などに従事していたと見られ、実家が漁業という魚を死なせる要素を持つ職業であることを恥じて、日蓮はこの語を使ったともされる。

 

貴族出身の道元や親鸞と比べれば平民であり、生活は豊かではなかったようである。

 

経歴

十二歳の時に天台宗の寺「清澄寺」に預けられ、薬王麿(やくおうまろ)と名を改めた。そこで仏教を学び十六歳で出家して僧侶となる。当時は仏僧として是聖房蓮長(ぜしょうぼうれんちょう)と呼ばれた。それから十二年後に比叡山の門を叩くことになるが、それまでの彼の事跡は当時無名の一僧侶だったこともあり、さほど明らかではない。

 

比叡山延暦寺の天台宗は『法華経』を至上とする中国天台宗の思想を中心に、日本において念仏や禅、密教、律など仏教の様々な修行法を集大成した宗派である。

 

ただし鎌倉で浄土教について学んだりと、各地で経験・研鑽を積んでいたことは確かである。

 

この下積みの十二年間と比叡山入山後で彼は仏教諸宗派について学んだが、後にそれらを完全否定する事になる。清澄寺で念仏をしても、他の場所で様々な法門を学んでも救いの実感を得られなかった事が背景にある。

 

32歳の時、彼は「南無妙法蓮華経(私は法華経に帰依する)」を旨とし、これを題目として唱える法門を立ち上げる。

 

後に日蓮宗(身延久遠寺系)と日蓮正宗(富士大石寺系)などに分かれることになる「法華宗」の誕生である。この時から、彼は「日蓮」と名乗るようになる。幼名と出家名を合わせたような名前である。

 

しかし彼自身の意識としては新しい宗派を興したというよりも、天台宗の根本聖典でもある『法華経』への回帰、それを説いたとされた釈迦如来の本心を明らかにしたいというものであった。

 

現在では、法華経も含め大乗経典は釈迦からかなり後の時代の成立とみられているが、当時はすべて釈迦の直説とされていた。あまりにも膨大な経典を整理したのが中国天台宗の智顗で、彼は『法華経』を最高の経典と判定し、この学派を伝教大師最澄がこの思想を日本に伝え、興したのが比叡山延暦寺である。

 

ところが末法到来と言われた11世紀以降、延暦寺で学んだ法然(と弟子の親鸞)は浄土思想に傾倒、道元や栄西は禅に傾倒し、天台宗自体も密教に傾倒、法華信仰が時代遅れになっていた。智顗・最澄の後継者を自認する日蓮にとって、これは許し難いものであった。

 

「真言亡国(しんごんぼうこく)、禅天魔(ぜんてんま)、念仏無間(ねんぶつむけん)、律国賊(りつこくぞく)」という他宗派否定の言葉(『与建長寺道隆書』『諫暁八幡抄』にみられる)は有名だが、実は古巣である当時の天台宗も否定している。

 

彼は中国の天台智顗や日本の最澄は尊敬しているが、「法華経以外の不純物」が持ち込まれて以降の天台宗は邪宗扱いなのである。

 

その性格は、よくマルティン・ルターと比較される。しかし思想的には、カトリック側の対抗宗教改革に近いところもある。

 

日蓮は四月二十八日、朝日差す中、清澄寺にて開教の決意をする。その日は出家にも立ち会った師匠・道善坊が弟子である彼のために、始めての法座(僧としての説法の場)を用意した日でもあった。

 

念仏信徒も集まるその場で、日蓮は

「謗法である念仏を捨てて、正法である法華経の信仰に立ち返れ」

と説き、最初の波乱を巻き起こすのである。

 

天台宗の説法の場に念仏信徒が来ている事からもわかるように、当時の諸宗派は自宗こそ最高の教えとしつつも他宗派に一定の配慮はしていたわけだが、日蓮はその全てに対し喧嘩を売った。

 

歯に衣着せぬ遠慮無い否定と非難によって全方位から敵意を買った日蓮は迫害を受け、命すら狙われる事になる。

 

本人はというと「法華経に信徒が迫害されると書いてるのが実現した」と、さらに気合を入れるのだった。

 

彼は唱題を説きつつ、題目曼荼羅という「南無妙法蓮華経」の周囲に神仏の名を配した幾何学的な曼荼羅を作成し、信者たちに分け与えた。その内のいくつかは現存している。

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