2024/06/23

カレワラ(フィンランド神話)(7)

47章〜第49章:月と太陽の幽閉

ワイナミョイネンがカンテレを演奏すると、月や太陽まで近寄って聞き惚れた。ロウヒはそこで月と太陽を捕まえ、ポホヨラにつれ去り、鋼の山の中に幽閉し、さらに火を奪った。世界中が闇に包まれ、至高の神ウッコまでが憂鬱になった。ウッコは月と太陽を探したが見つからず、新たに火を作り、それを大気の娘が落としてしまう。ワイナミョイネンとイルマリネンはその火を探しに向かい、大気の娘に会い、火はあちこちを焼いた後、魚に飲まれたことを告げる。2人は網を作り、魚を探すが捕まらない(第47章)。

 

ワイナミョイネンは亜麻で網を作る。それでも魚は捕まらず、彼らはとても大きな網を作り、ついに目的の魚を捕まえた。取り出した火は、ワイナミョイネンにやけどを負わせた。火はその後周辺を焼いたが、やがて収まり、皆の家を暖めることになった。イルマリネンは、やけどの軟膏を作った(第48章)。

 

人々はイルマリネンに求め、彼は新しい月と太陽を作った。しかし作ったものは輝かなかった。ワイナミョイネンは占いによって月と太陽の行方を知り、ポホヨラに向かった。彼はその家に入り、月と太陽の行方を尋ね、その解放を迫った。しかし聞き入れられなかったので、戦って彼らを倒した。彼は隠し扉を見つけ、しかし開くことができなかった。彼はイルマリネンに扉を開く道具の作成を依頼した。ロウヒは鳥の姿で鍛冶屋を訪ね、何を作っているかと尋ねた。彼は「ポホヨラの老婆の首輪だ」と答えたのを聞いて、彼女はついにあきらめ、太陽と月を解放した。ワイナミョイネンは月と太陽にあいさつし、これからも変わらぬことを求める(第49章)。

 

50章:ワイナミョイネンの出立と結びの言葉

マリヤッタなる少女が、処女懐胎して子供を産んだ。その子をどうするかの判断を求められたワイナミョイネンは彼を殺す判断をするが、その子になじられる。皆はその子を祝福し、ワイナミョイネンは旅立つ決意をする。海の彼方に旅立つところで物語は終結し、最後に物語の語りはじめに呼応する形で締めの言葉が語られる。

 

この子供はキリストを意味し、キリスト教の拡大によってフィンランドの土着信仰が押しやられた経緯を示すものとされる。『原カレワラ』においては、渦巻にのまれてワイナミョイネンが姿を消す物語となっていたが、水平線の彼方に姿を消すという、生存の可能性を残す形にあらためられたものである。

 

受容と影響

リョンロートが「古カレワラ」を1835年に発行した際、その発行部数はわずか500部であった。しかも、その500部を売り切るのに、12年もの時間を要した。また、フィンランドの知識人たちからの反応も、否定的なものが相次いだ。

 

一方で、フィンランド文学協会はリョンロートの研究や『カレワラ』の翻訳を助成、1841年のフィンランド語版を皮切りに、フランス語版、ドイツ語版が出版された。ドイツの思想家ヘルデルは、叙事詩を持つということはフィンランドには文化があり、国民としての資格を持つとして、『カレワラ』を評価した。

 

これら国外からの評価とあわせて、1843年には学校教育でフィンランド語が採用され、教科書として『カレワラ』が用いられるようになったことが、その受容を促した。学校では教育用に簡略化された『カレワラ』が用いられ、リョンロートものちに短篇の『カレワラ』を著している。

 

その後『カレワラ』を契機として、カレリアニズムと呼ばれる芸術運動が起こる。それらの『カレワラ』に材をとった作品とともに、『カレワラ』は国外に広く知られるようになった。

 

第二次世界大戦期には、戦争のプロパガンダに利用されるなどの曲折をへて、現在でもフィンランドでは企業や店舗に『カレワラ』に由来する名前が広く見られるなど、民衆の生活に深く根付いている。また、『カレワラ』は50ヵ国語以上に翻訳され、最もよく知られたフィンランド文学の一つとなっている。

 

音楽作品

フィンランドの作曲家ジャン・シベリウスは、下記に挙げる通り『カレワラ』を題材とした音楽作品を多数作曲している。

 

ü  クレルヴォ交響曲(バリトン独唱と合唱入りの交響曲)

ü  レンミンカイネン組曲(4曲からなる組曲または連作交響詩)

ü  トゥオネラの白鳥(上記の第3曲)

ü  ポホヨラの娘(交響詩)

ü  ルオンノタル(ソプラノ独唱入りの交響詩)

ü  レンミンカイネンの歌(男声合唱と管弦楽)

ü  火の起源(バリトン独唱、男声合唱と管弦楽)

ü  組曲『キュッリッキ』(ピアノ独奏)

ü  ワイナミョイネンの歌(混声合唱と管弦楽)

 

シベリウスによる作品の他には、同じくフィンランドの作曲家であるロベルト・カヤヌスの交響詩『アイノ』が挙げられる。また、フィンランドのヘヴィメタルバンド、アモルフィスは、2ndアルバム『テイルズ・フロム・ザ・サウザンド・レイクス』に収録されている楽曲群をはじめ、『カレワラ』を題材とした楽曲を多数発表している。

 

文学作品

『カレワラ』は叙事詩であるが、フィンランドでは物語としての『カレワラ』も広く親しまれている。フィンランド文学の父アレクシス・キヴィは『カレワラ』の英雄クッレルヴォの悲劇を描いた戯曲『クッレルヴォ』を著した。ユハニ・アホの小説や戯曲にも、『カレワラ』に材をとったものが見られる。また、詩人エイノ・レイノの作風にも『カレワラ』の影響が見られる。

 

『カレワラ』は、他の国々の文学にも影響を与えた。1855年にアメリカ合衆国の詩人ヘンリー・ワズワース・ロングフェローが叙事詩『ハイアワサの歌』を発表したが、『カレワラ』の影響を受けているという。

 

フィンランドの隣国エストニアでは、『カレワラ』に触発され、フリードリヒ・レインホルト・クロイツヴァルトが民族叙事詩『カレヴィポエク』(1857-1861年発行)を著した。『カレヴィポエク』はエストニアの伝承を基にしているが、一方で『カレワラ』を参考にしたとみられる部分があるという。

 

また『カレワラ』や『カレヴィポエク』の影響を受け、エストニアの隣国ラトビアでも民族叙事詩『ラーツィプレイシス』(邦題: 『勇士ラチプレシス』、1888年発行)が書かれた。

 

『指輪物語』で知られるJRR・トールキンもまた、1911年にウィリアム・フォーセル・カービー英訳版の『カレワラ』を読んでいたことが知られており、クッレルヴォを題材に『クレルヴォ物語』(邦題: 『トールキンのクレルヴォ物語』、刊行は没後)を著したほか、『シルマリルの物語』の登場人物トゥーリン・トゥランバールにもクッレルヴォの影響がみられるという。

 

美術

『カレワラ』を描いた絵画で最も有名なものとして、アクセリ・ガッレン=カッレラの一連の作品(上掲『アイノ』参照)があげられる。また、1890年のパリ万博では、フィンランド館の天井に『カレワラ』を題材としたフレスコ画が描かれ、耳目を集めた。

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