2024/07/13

玄奘(2)

ナーランダ僧院

ナーランダ僧院では戒賢(シーラバドラ)に師事して唯識を学び、また各地の仏跡を巡拝した。ヴァルダナ朝の王ハルシャ・ヴァルダナの保護を受け、ハルシャ王へも進講している。

 

こうして学問を修めた後、西域南道を経て帰国の途につき、出国から16年を経た貞観191月(645年)に、657部の経典を長安に持ち帰った。幸い、玄奘が帰国した時には唐の情勢は大きく変わっており、時の皇帝・太宗も玄奘の業績を高く評価したので、16年前の密出国の件について玄奘が罪を問われることはなかった。

 

太宗が玄奘の密出国を咎めなかった別の理由として、玄奘が西域で学んできた情報を政治に利用したい太宗の思惑があったとする見方もある。事実、玄奘は帰国後、太宗の側近となって国政に参加するよう求められたが、彼は国外から持ち帰った経典の翻訳を第一の使命と考えていたため太宗の要請を断り、太宗もこれを了承した。その代わりに太宗は、西域で見聞した諸々の情報を詳細にまとめて提出することを玄奘に命じており、これに応ずる形で後に編纂された報告書が『大唐西域記』である。

 

帰国後

帰国した玄奘は、持ち帰った膨大な経典の翻訳に余生の全てを捧げた。太宗の勅命により、玄奘は貞観19年(645年)26日から、弘福寺の翻経院で翻訳事業を開始した。この事業の拠点は、後に大慈恩寺に移った。さらに、持ち帰った経典や仏像などを保存する建物の建設を次の皇帝・高宗に進言し、652年、大慈恩寺に大雁塔が建立された。その後、玉華宮に居を移したが、翻訳作業はそのまま玄奘が亡くなる直前まで続けられた。麟徳元年25日(66437日)、玄奘は経典群の中で最も重要とされる『大般若経』の翻訳を完成させた百日後に玉華宮で寂した。

 

訳経

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玄奘自身は、亡くなるまでに国外から持ち帰った経典全体の約3分の1までしか翻訳を進めることができなかったが、それでも彼が生前に完成させた経典の翻訳の数は、経典群の中核とされる『大般若経』16600巻(漢字にして約480万字)を含め761347[6](漢字にして約1100万字)に及ぶ。玄奘はサンスクリット語の経典を中国語に翻訳する際、中国語に相応しい訳語を新たに選び直しており、それ以前の鳩摩羅什らの漢訳仏典を旧訳(くやく)、それ以後の漢訳仏典を新訳(しんやく)と呼ぶ。

 

『般若心経』も玄奘が翻訳したものとされているが、この中で使われている観自在菩薩は、鳩摩羅什による旧訳では『観音経』の趣意を意訳した観世音菩薩となっている。訳文の簡潔さ、流麗さでは旧訳が勝るといわれているが、サンスクリット語「Avalokiteśvara(アヴァローキテーシュヴァラ)」は「自由に見ることができる」という意味なので、観自在菩薩の方が訳語として正確であり、また玄奘自身も旧訳を批判している。

 

一説では、時の唐の皇帝・太宗の本名が「李世民」であったため、「世」の字を使うことが避諱により憚られたからともされる。

 

宗派

玄奘自身は、明確に特定の宗派を立ち上げたわけではないが、彼の教えた唯識思想ともたらした経典は、日中の仏教界に大きな影響を与えた。

 

法相宗

法相宗の実質的な創始者は、玄奘の弟子の基である。しかし、『仏祖統紀』などは、玄奘とナーランダー留学時の師である戒賢までを含めた3人を法相宗の宗祖としている。

 

日本の法相宗

遣唐使の一員として入唐した道昭は、玄奘に教えを受けた。 道昭の弟子とされるのが、行基である。

 

著作・伝記

玄奘の作品

玄奘自身の著作である『大唐西域記』により、彼の旅程の詳細を知ることができる。玄奘の伝記は仏教関係の様々な書物に記載されているが、唐代のものとしては『大慈恩寺三蔵法師伝』と『続高僧伝』がある。

 

大唐西域記

玄奘は、その17年間にわたる旅の記録を『大唐西域記』として残しており、当時の中央アジア・インド社会の様相を伝える貴重な歴史資料となっている。

 

大慈恩寺三蔵法師伝

慧立と彦悰により伝記が編まれ、玄奘の死から24年後にあたる垂拱4315日(688年)に『大慈恩寺三蔵法師伝』全10巻が完成した。略称は『慈恩伝』。

 

大正新脩大蔵経では、『大唐大慈恩寺三藏法師傳』としてNo.2053に収録されている(T50_220c)。また、興福寺と法隆寺の所蔵する院政期の写本は共に国の重要文化財である。

 

日本語訳

『続高僧伝』は、道宣の編纂した中国僧の伝記集。ただし、『続高僧伝』が完成した645年は玄奘の帰国直後であるのに対し、玄奘の項には664年の死までが記されている。

 

派生したフィクション作品

中国映画『三蔵法師・玄奘の旅路』(2016年)

西遊記

元代に成立した小説『西遊記』は、『大唐西域記』や 『大慈恩寺三蔵法師伝』を踏まえたうえで書かれており、玄奘は三蔵の名で登場している。

 

なお、三蔵法師とは経、律、論の三つに精通している僧侶に対して皇帝から与えられる敬称であり、本来は玄奘に限ったものではない。例えば鳩摩羅什、真諦、不空金剛、霊仙なども「三蔵法師」の敬称を得ている。だが今日では、特筆すべき功績を残した僧侶として「三蔵法師」といえば、玄奘のことを指すことが多くなった。

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