2019/05/15

犬のアンティステネス(3)「アンティステネスの思想」

 
 そのアンティステネスの思想ですが、古代の哲学史家ディオゲネス・ラエルティオスのまとめによると、次のようになります。

 まず、その思想は「人間としての優れは教え得る」ということにあり、哲学とは「人間としての優れを持つことが高貴ということを証明すること」であったとされます。ちなみに、ここでの「人間の優れ」と訳したものですが、原語は「アレテー」といいます。「アレテー」の内容は、何によらず「それがあることで、そのものが優れていると言われるその所以」ということで、たとえば「ナイフのアレテーとは良く切れること」となります。これが人間に適応されたとき、内容的に「」となるとされてきたのですが、儒教の「徳」とは異なるため、まぎらわしいので研究者は困っています。そこで取りあえずここでは「人間としての優れ」としておきました。

ともかく、これが核となってさまざまのことが言われてきて「幸福は人間の優れだけで足りる」「ソクラテス的強さ以外、何一つ必要ではない」「人間としての優れは実践の中にあり、多くの言葉も学問も必要ではない」とされたようでした。

 「人間としての優れとは何なのか」という問題は、ソクラテス以来今日でも大問題となるような事柄といえます。しかし時代の風潮なのでしようか、近代以降一部では問題だとは言われながらも、決して哲学の主流の問題とはされてきませんでした。近代以降の人間は「人間、理性、科学に対する絶対的信頼」と「科学文明の享受」「進歩史観」などに身をまかせて、こうした問題を真剣には扱っていないと言い得ます。

 しかし「人は本当にはどう生きるべきなのか」ということが問題になった時には、この問題は避けて通れない問題になってくる筈です。そして、ここに答えられる「人間としての優れを身につけることが、人間として高貴であるということ」「幸福は、人間としての優れを身に付けることだけで足りる」「だからそれを求めていこう」というのがソクラテス自身が示していた解答でした。アンティステネスは、その意味でソクラテスの問題をそのものとして受け継いでいるといえます。

 そして問題はここからですが、人間としての優れは実践の中にあり「多くの言葉も学問も必要ではない」としたことが、哲学史上で評判が悪いわけでした。学問の立場からは「言葉と学問は大事ではない」というのは受け入れられませんから。しかしアンティステネスも、ある意味では当然のことを言っているにすぎないのです。つまり、我が国の言葉に「論語読みの論語知らず」という言葉がありますが、これは、いくら論語を勉強して論語の解釈ができても、儒教の本来の目的である「君子的あり方」が実生活に反映されていないのでは、それでは論語を知っていることにはならないという意味でしょう。

ソクラテスの真実も「良き人となる」というところにあったのであって「世界や存在についてうまく説明できる」ということが本来の問題であったわけではありません。アリストテレスやストア学派の言葉「理論に逃げ込んで、それで哲学をしているつもりになっている」人々に対する批判を思い起こせば、古代において哲学がどういう意味をもっていたかを良く理解できるでしょう。

 これに対し、実生活のあり方など全然関係なく、ただ「優れた理論体系さえあれば優れた哲学者」とされるのは近代以降の評価なのです。それは時代の要請でしょうからそれはそれでかまいませんが、だからといって古代の哲学者の評価まで、そうした態度で為しているのは公正を欠くと思われます。その時代にとっての意味をきちんと位置付けておくべきでしょう。

 アンティステネスに戻りますと、ディオゲネス・ラエルティオスは、さらにアンティステネスの言葉として「賢者は市民生活を送るに当たって、既成の法律習慣にしたがうのではなく、人間としての優れの法にしたがう」というものを紹介してきます。これは結局「反社会的態度」になってしまいます。ソクラテスは、みずからそういう言い方はしませんでしたが「市民皆さんの言うことより神に従う」と主張し、それを貫いたことからして、あり方としては結局そういうことであり、それ故「社会に殺されてしまった」のでした。なぜなら社会の法律は必ずしも「人間としての優れ」など核とはしておらず、むしろ「人間の欲望の充足」の方向に秩序を立てようという傾向を持っているからで、しかもしばしば権力者の思惑で決められてしまいます。

 これは今日でも全く変わりません。ですから、ローマ時代などでは「哲学者の追放令」などがしばしば出されていたのです。当時の哲学者が、アンティステネスの系譜にあるストア学派に限らず、大体このソクラテス・アンティステネス的な考え方を継承していたからです。アンティステネスは、そのソクラテスの態度をはっきりと意識的にさせているといえるでしょう。

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