2019/05/22

陳勝・呉広の乱 ~ 項羽と劉邦(3)


 秦が滅亡するきっかけとなった反乱が陳勝・呉公の乱です。陳勝は楚の地方の農民だった。農民といっても雇農。自分の土地を持たずに、その日その日の雇われ仕事で、なんとか生活していた農民です。その陳勝の住んでいる里に、秦の政府から徴発が来た。始皇帝の死んだ翌年前209年のことです。

万里の長城に近い漁陽という北の町に、警備の兵士として駆り出されたのです。900人の農民たちが、秦の役人に引率されて旅にでた。陳勝たちの町から漁陽までは、ざっと1000キロはある。ところが途中で大雨が降って、川が氾濫して先に進めなくなった。秦の命令は期限が切ってあって、決められた日までに漁陽の町に着かなければ処刑されることになっている。だから、急いで現地まで行かなくてはならない。

何日待っても水は引かない。待っているうちに日数は経って、漁陽にいく期限が近づいてくるわけです。洪水が引いて出発しても、とうてい期限に間に合わなくなる。かといって故郷に帰っても、秦の役人にとがめられて処刑される。逃亡しても、野垂れ死にするのがおちです。だから、徴発された農民たちはただただ、洪水の引くのを待っているしかないわけだ。

陳勝は、どうせ期限に遅れて処刑されるくらいなら、いっそ秦の政府に反乱してやろうと考えたんだね。同じく徴発されてきていた呉広も、陳勝に賛成した。しかし、他の農民たちは秦に盾突くなんていうことは思いもよらない。始皇帝は死んだとはいえ、秦は恐ろしいのです。

そこで呉広はいろいろ細工をして、農民の気分を反乱に持っていくんです。大きな魚をつかまえて、その腹の中に布きれを突っ込んでおく。布には「陳勝が王になる」と書いておくのです。そして炊事当番の者に、その魚を渡す。炊事当番が魚をさばけば「陳勝が王になる」という布がでてくる仕掛け。

それから呉広は、毎晩キャンプ地の裏山に登る。山には狐か何かを祀る祠があった。その祠の裏から狐の声を真似て「大楚興、陳勝王」と叫ぶんです。「秦に滅ぼされた楚が復興し、陳勝が王になる」という意味です。夜な夜な変な鳴き声がするなと、農民たちが耳を澄まして聞いていると、狐の声が神のお告げに聞こえてくるという寸法です。

 子供だましみたいなものですが、純朴な農民たちには効果があった。こんなことが続いて陳勝に対してみんなが不思議な気持ちを抱き始めたところで、彼は農民たちに対して反乱を呼びかけるんです。

洪水が引いてこのまま進んでも死、帰っても死。どうせ死ぬなら一旗揚げてやろう! 臆病な農民たちを立ち上がらせるために、自分たちを引率している秦の役人を殺して、さらにいった言葉が有名。

「王侯将相いずくんぞ種あらんや」

王、貴族、将軍、大臣であろうと、われわれ農民とどこに違いがあるっていうんだ。」という意味です。強烈な平等感というか、反骨精神ですね。こんな言葉が2000年以上前に言われている。中国というのは、凄いところだと思いますよ。身分も何もない貧しい農民が、歴史の舞台に躍り出てくる。日本なら、豊臣秀吉くらいのものかな。陳勝の1700年もあとの話だ。

陳勝・呉広は、各地に檄文を飛ばす。旧六国の有力者に、反乱を呼びかける文書を送ったんです。これに応えて各地で様々なグループが反乱に立ち上がりました。秦を恐れて、それまでは誰も反乱をしなかったけれど、誰かが始めてしまえばもう怖くないからね。そういう意味では、最初に反乱を起こした陳勝たちは勇気があったと思う。

陳勝・呉広の反乱軍は秦の地方駐屯軍を打ち破って、瞬く間に数万の軍勢に膨れあがります。しかし、所詮は農民中心の烏合の衆です。戦争のプロではない。やがて、咸陽から秦の精鋭部隊がやってくると、簡単に鎮圧されてしまった。陳勝も呉広も死んでしまいました。彼らが反乱軍を率いて頑張ったのは、半年間だけでした。しかし、彼らは中国最初の農民反乱の指導者として、歴史に名前を刻みました。

そして、陳勝・呉広の反乱は鎮圧されましたが、彼らの呼びかけに応えた反乱軍が全国に広がっていたんです。

楚漢の興亡
全国に広がった反乱軍のリーダーになったのが、項羽(前232~202)です。
項羽は、戦国楚国の名門将軍家の出身です。血筋がいいの。幼い時に父親が死んで、おじさんに育てられるのですが、このおじさんも相当の軍略家です。幼い項羽に英才教育をする。始めは項羽に剣術を教えるのですが、項羽はすぐに飽きてしまって熱心に剣を習おうとしない。おじさんが咎めると、項羽は「剣の練習をしても、倒せる相手はしょせんひとりだけだ。そんなつまらないものやる気がしない。」といった。そこで、おじさん今度は兵法を習わせたんですが、今度は面白がって熱心に学んだという。要するに戦争エリートだ。この辺が陳勝とは違うところです。

そして項羽は大男だった。身長は2メートル近くあった。これは、武人としては最高ですね。当時の戦争がどんなものだったか、想像してみてください。今のように、鉄砲や大砲やミサイルやそんなものはない。刀を持った生身の肉体がぶつかり合うんです。でかい奴は絶対強い。私とプロレスラーが喧嘩するようなものです。

 前田日明(知ってる?)みたいな大男が、1メートルもあるような剣をブーンと振り回して襲ってきたら逃げるしかないね。項羽が馬に跨って敵に向かっていったら、それだけで敵兵は腰が引けるでしょう。そういう強い大将の後にくっついていけば、まず負けることはないわけで、こういう大将としての条件を全て兼ね備えている項羽が、反乱軍のリーダーになっていったのも納得できるわけです。

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