2006/06/06

ラヴェル ピアノ三重奏曲(第1楽章)


本格的に作曲が開始されたのは1914年の3月だが、ラヴェルは少なくともその半年前からピアノ三重奏曲の作曲を計画していた。作曲の序盤において、ラヴェルは弟子のモーリス・ドラージュに

「三重奏曲は、もう書けているのです。今、必要なのは、ただ主題だけです」

と述べている。

 

1914年の夏にラヴェルは、フランス領バスクのコミューンであるサン=ジャン=ド=リュズに滞在して作曲を行っていた。ラヴェルの母親はバスク人であり、ラヴェル自身もバスク地方の街シブールで生まれたため、バスクの伝統に強く自分のルーツを見ていた。そして三重奏曲の作曲中ラヴェルは、バスクの主題に基づくピアノ協奏曲『サスピアク=バット』の作曲も並行して進めていた。こちらは、後に破棄されることになる(一部が、ピアノ協奏曲ト長調に転用される)が、三重奏曲にもその痕跡は残っており、特に第1楽章についてラヴェル自身が「バスク風の色彩を持つ」と述べている。

 

1楽章 Modéré

ラヴェルによると、この楽章はバスクの舞曲であるソルツィーコの描写だという。8/8拍子で記譜され、それぞれの小節は(3+2+3)/8拍子のリズムパターンに分割されている。冒頭主題は『サスピアク=バット』の影響が顕著であり、音価は半分になっているがリズムが『サスピアク=バット』の主要主題と共通している。

 

もう一つ重要なのは順次進行に4度の跳躍が続く旋律構成で、他の3つの楽章の冒頭主題も同様に書かれている(第2楽章と第4楽章においては跳躍が五度となっている)。この楽章ではソナタ形式が採用されているが、ラヴェルは自身の個性を忘れてはいない。

 

第二主題は主調のイ短調で提示され、再現部においても同じ調で現れるが、その際には和声が変化させられている。主調の濫用を避けるために、楽章の終わりは平行調のハ長調で締めくくられている。また再現部において、第一主題は弦楽器の奏する第二主題の変形に伴奏されてピアノに現れる。主題を同時に対置することはラヴェルの好んだ手法であり、他の作品においても用いられている(『古風なメヌエット』、『クープランの墓』のメヌエットなどに見られる)

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