2007/10/28

モーツァルト ピアノ協奏曲第20番(第1楽章)

 


 1781年、モーツァルトは生まれ故郷ザルツブルクを追い出され、ウィーンでフリーの音楽家として生活することになった。彼にとってここでの生活の糧は、裕福な貴族や社交界を対象にしたコンサートであった。

 

 彼はピアノの名手ということもあり、18年の間に21曲のピアノ協奏曲を書き上げた。特に、この曲が作曲された1784年から1786年までは、音楽家として作曲・演奏ともに円熟味が増し、またそれらを発表する良い機会も得て順風満帆の時期となった。

 

 モーツァルトは、短調のピアノ協奏曲を2曲(もう1曲は第24番 ハ短調)作曲している。

 華やかさが求められた当時の協奏曲とはうってかわって、それまでの彼の協奏曲には見られない、激しいパッションの表出的な性格を帯びている。暗く不安げな旋律、劇的な展開、厳しさと激しさの入り混じった感情など、とても強い表現性を持った作品といえる。

 

 次の日に初演を迎えていた前日、まだパート譜の写譜が間に合ってはいなかった。

 土壇場で完成した曲にもかかわらず、ちょうど演奏会当日にウィーンに訪れた父レオポルト・モーツァルトは

 

 「この協奏曲は堂々としていて、オーケストラも立派に演奏してのけた」

 

 と、モーツァルトの姉ナンネルに報告している。

 この曲を境として、モーツァルトらしさが出てきた作品が多くなったと言われている。

 この作品は、モーツァルトの死後も演奏された数少ない協奏曲の1つである。

 

 第1楽章の365小節目と第3楽章の345小節目にはカデンツァの指定がある。作曲者自身によるカデンツァは残されていないが、若きベートーヴェンやブラームスはこの曲に心酔し、自作のカデンツァを作曲している。とりわけベートーヴェンによるカデンツァは有名で、演奏会や録音で最もよく演奏されている。演奏者自身が作曲したカデンツァを弾くこともある。

 

 シャルル=ヴァランタン・アルカンは全楽章をピアノ独奏用に編曲しており、第1楽章のカデンツァでは本曲と交響曲第41番第1楽章のモティーフが、第3楽章のカデンツァでは本曲の第12楽章のモティーフが展開される。

 

 モーツァルトの弟子のヨハン・ネポムク・フンメルは、カデンツァを作曲すると共に、ピアノ・フルート・ヴァイオリン・チェロ用の編曲を残しており、白神典子らが録音している。

 また、スターリンが最も好んだ曲でもある。

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