モーツァルトしか書けない美しいメロディ (*゚ー゚*)ポッ
この前作である第19番と比べると、この両者の間には「断層」とよぶしかないほどの距離を感じます。ところがこの両者は、創作時期においてわずか2ヶ月ほどしか隔たっていません。
モーツァルトにとって、ピアノ協奏曲は貴重な商売道具でした。特にザルツブルグの大司教との確執からウィーンに飛び出してからは、お金持ちを相手にした「予約演奏会」は貴重な財源でした。当時の音楽会は何よりも個人の名人芸を楽しむものでしたから、オペラのアリアやピアノコンチェルトこそが花形であり、かつての神童モーツァルトのピアノ演奏は最大の売り物でした。
1781年、ザルツブルグを飛び出したモーツァルトはピアノ教師として生計を維持しながら、続く82年から演奏家として活発な演奏会をこなしていきます。そして演奏会の度に、目玉となる新曲のコンチェルトを作曲しました。それがケッヘル番号で言うと、k413~k459に至る9曲のコンチェルトです。それらは当時の聴衆の好みを反映したもので、明るく口当たりのよい作品ですが、今日では「深みに欠ける」と評されるものです。
ところが、このk466のニ短調のコンチェルトは、そういう一連の作品とは全く様相を異にしています。弦のシンコペーションにのって低声部が重々しく歌い出すオープニングは、まさにあの暗鬱なオペラ「ドン・ジョヴァンニ」の世界を連想させます。そこには愛想の良い微笑みも、口当たりのよいメロディもありません。それは、ピアノ協奏曲というジャンルが、ピアノニストの名人芸を披露するだけの「なぐさみ」ものから、作曲家の全人格を表現する「芸術作品」へと飛躍した瞬間でした。
それ以後、モーツァルトが生み出さしたコンチェルトは、どれもが素晴らしい第1楽章と、歌心に満ちあふれた第2楽章を持つ作品ばかりであり、その流れはベートーベンへと受け継がれ、それ以後のコンサートプログラムの中核をなすジャンルとして確立されていきます。
しかし、モーツァルトはあまりにも時代を飛び越え過ぎたようで、その様な作品を当時の聴衆は受け入れることができなかったようです。このような「重すぎる」ピアノコンチェルトは「奇異な音楽」としかうつらず、予約演奏会の聴衆は激減し、1788年には、ヴァン・シュヴィーテン男爵ただ一人が予約に応じてくれるという凋落ぶりでした。
早く生まれ過ぎたものの悲劇が、ここにも顔を覗かせています。
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