1870年、パリのオペラ座でバレエ「コッペリア」が初演された。
人形作りの老人コッペリウスと、彼が作った自動人形のコッペリア、そして人形とは知らずコッペリアに思いを寄せる青年フランツと、フランツの目を自分に向けさせたいヒロインのスワニルダが繰り広げる騒動を描いた、楽しい名作バレエである。
今日では有名なこのバレエが上演されるまでには、紆余曲折があった。
元来、フランスはバレエ大国で、近代バレエの原典と言われるアダンの「ジゼル」も1841年にオペラ座で初演されている。
しかし1860年代のフランス・バレエ界は、低調を極めていた。
そこでオペラ座の経営者は、バレエ界に活を入れようと意気込み、1867年に新進作曲家レオ・ドリーブ(1836~1891)に、新作バレエ「コッペリア」の作曲を依頼する。
曲は1867年秋には完成したが、オペラ座は稽古と上演準備に3年もかけ、そのため当初予定していた主役のバレリーナとの契約が切れてしまった。
そこでスワニルダ役には、わずか15歳のイタリア出身の天才少女バレリーナ、ジュゼッピーナ・ボツァッキが抜擢される。
こうして、オペラ座の総力を結集したバレエ「コッペリア」は、ようやく初演の運びとなった。
皇帝ナポレオン3世を含む観客は、ボツァッキの素晴らしい踊りとドリーブの優美な音楽に魅了され、初演は大成功。
ところがこの成功は、フランスとドイツの戦争という思わぬ出来事で中断されてしまう。
オペラ座は8月31日に閉鎖され、皇帝ナポレオン3世は捕虜となって降伏してしまった。
同じ日、振付師サン・レオンが心臓発作で死に、パリ包囲最中の11月23日には天然痘の流行と栄養失調が蔓延し、哀れ主演の少女バレリーナ、ボツァッキの若い命まで奪ってしまった。
それは、彼女の16歳の誕生日のことだった。
戦争が終わった時、「コッペリア」再演の話が出またものの、振付師と主演バレリーナを失ったため皆は途方に暮れた。
しかし、関係者の執念が1871年10月16日に再演を実現させ、観客の熱狂的な喝采を誘ったのである。
フランスでは、その後バレエの衰退に歯止めをかけることは出来なかったが、ドリーブの「コッペリア」が示したロマンティック・バレエ音楽の理念は、ロシアのチャイコフスキーへと受け継がれ発展していった。
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