標題の変遷
交響曲第3番において、マーラーが最終的に標題をすべて外してしまった理由としては、当時、標題音楽が「低級なもの」とされる風潮があり、この交響曲も同様に受け取られることを恐れたからだとされている。マーラーは、交響曲第1番や第2番でも標題を部分的に、ときには全体的に用いたことがあるが、この場合、標題に基づいて作曲したというより、聴衆の曲への理解を助ける意図が大きかったと見られる。しかし、第3番では、標題の構想と作曲は平行してすすんでおり、聴衆の理解を助ける意図も含まれていたにせよ、曲の内容がこれらの標題と密接に関わっていることを示している。
この曲がマーラーの「田園交響曲」だとする見解については、マーラーは1896年11月に、友人の音楽評論家リヒャルト・パトカに宛てて、次のように書いている。
「私にはいつも奇妙なことと思われるのだが、多くの人たちは自然について語るとき、ただ花とか小鳥とか松林の風景だけを思い浮かべている。ディオニュソスの神とか偉大な牧神のことを誰も知らない。そこなのだ。標題がある。つまり、どのように私が音楽をつくるかの範例だ。どこでも、そしていつでも、それはただ自然の声なのだ。」
全体の標題
マーラーは当初、交響曲全体に「幸福な生活-夏の夜の夢」という標題を与え、その後「悦ばしき知識」、「悦ばしき知識(楽しい学問)-夏の朝の夢」、「夏の真昼の夢」などと変遷している。このなかの「悦ばしき知識」とは、ニーチェの著作にならった標題である。
マーラーの手紙による解題
マーラーが友人レールに宛てた手紙では
「これ(交響曲第3番)はおそらく、これまで僕が作曲したもののうち、最も成熟した、最も独創的なものだ」
とし
「この交響曲は、世界がいまだかつて耳にしたことのないようなものだ。そこでは自然界全体が一つの声を得て、人が夢の中で予感することしかできないほどの奥深い秘密を物語るのだ」
と述べている。
また、1896年7月にアンナ・フォン・ミルデンブルクに宛てた手紙でも、交響曲第3番の第6楽章について触れ
「私はだいたいのところ、この楽章を『愛が私に語ること』と名づけることができると思います。これは、神がただ愛としてのみ把握されうるものなのだという意味からです」。
「このようにして、私の作品は階段的な上昇で発展していく、あらゆる段階を含む音楽的な詩となっているのです。それは生命のない自然ではじまり、神の愛まで高められていきます」
と述べている。
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