2021/07/13

ユダヤ人(ヘブライ神話17)

民族性

歴史上、ヨーロッパのキリスト教社会で多くの中傷や迫害を受けたが、現在でもユダヤ人は民族(コミュニティ・ユダヤ教徒)として存続している。

 

ユダヤ教徒は、教義上イエス・キリストをメシアと認めなかった。また、イエスはユダヤ人によって十字架にかけられたという俗説が古代から中世にかけて流布し、ユダヤ人は「神殺し」(イエス殺し)の汚名を着せられていた。こうした宗教的な理由や、ユダヤ人はキリスト教社会で疎まれていた金貸しが多かったという経済的理由が、歴史的な反ユダヤ感情の要因としてしばしば挙げられる。

 

18世紀頃から宗教的迫害が薄れていったことで、ユダヤ人は自由な信仰、活動が可能になり、さまざまな商工業分野でユダヤ人が活躍するようになった。近現代には、企業の創業者や科学者を多数輩出している。

 

ユダヤ人はタルムードに従って行動すると思われているが、それはラビ的ユダヤ教徒の場合に限られる。ただし、一般的なユダヤ人の宗教はラビ的ユダヤ教である。

 

ユダヤ人は、何よりも学問を重視すると言われる。紀元70年にローマ軍によりイスラエルが一度滅びた時も、ラビ・ヨハナンが10人が入れる学校を残すことを交渉し、ローマ皇帝ティトゥスがこれを許したため、ユダヤ人は絶滅を免れた。

 

今では最も知的な民族集団の一つと考えられており、民族別知能指数では世界で最も高く、一例としてノーベル賞の22%、フィールズ賞の30%、チェスの世界チャンピオンの54%がユダヤ人であるとも言われる。カール・マルクス、ジークムント・フロイト、クロード・レヴィ=ストロースなど、近現代の哲学・思想方面のキーパーソンを輩出しているほか、音楽業界にもユダヤ人が多いことが知られている。

 

ドイツを中心とした地域に住みつき、中欧・東欧へ拡散したユダヤ人は、アシュケナージ(アシュケナジム)と呼ばれ、ドイツ語の方言であるイディッシュ語を話していた。近代のドイツ語圏では、彼らはある程度ドイツ文化に同化してドイツ語を使用するようになった。

 

中世前期のヨーロッパでは、ユダヤ人は農業、商業、職人などさまざまな職業に従事することができた。カロリング朝では、ユダヤ人は聖書の民として保護され、11世紀頃までは国際的な交易の担い手でもあった。イタリア商人に東方貿易のお株を奪われると、ユダヤ人は消費貸借専門の貸金業に活路を見出した。

 

中世後半期には、土地所有の禁止、ギルドからの締め出し、公職追放等により次第にユダヤ人の活動は制限されるようになり、農業や手工業に従事することが困難になったユダヤ人は、質屋、両替商、黄金の管理人、古物商、行商や市場での無店舗販売、芸能などで生計を立てていた。

 

また、世界的に散らばり、独自の情報ネットワークを持っていた。アルトゥル・ショーペンハウアーは「フランクフルトでユダヤ人の足を踏んだら、モスクワからサンフランシスコまで情報が行き渡る」と指摘していた。こうしたことから、現在でもユダヤ人にはメディア関係が多いとされる。

 

またロスチャイルド家は、銀行業で成功したユダヤ系財閥として知られる。19世紀末のアメリカ合衆国のユダヤ系移民もまた、金融やメディア、流通業等の間隙的な業種以外の業界への参入が難しかった。ハリウッドの映画産業には、ユダヤ人が創業したものが多い。

 

スファラディ(セファルディム)系ユダヤ人は、オスマン帝国圏やスペイン・フランス・オランダ・イギリスなどに多く、かつてはラディーノ語を話していた。キリスト教に改宗した人々は、マラーノと呼ばれた。

 

アシュケナージや、スファラディといったヨーロッパに移り住んだユダヤ人に対して、中東地域、アジア地域に移り住んだユダヤ人はミズラヒム(ミズラヒ)と呼ばれていた。

 

ほかにもイラン、インド(主に3集団)・中央アジア・グルジア・イエメン・モロッコなどを含んだ大きな観念であるミズラヒム、カライ派・カライム人、中国、ジンバブエなどのユダヤ人のほか、インド(ミゾ族(英語版))・ウガンダ(アバユダヤ)・アメリカ黒人(ブラック・ジュー)などの新たな改宗者、イスラエル建国はメシア到来まで待つべきだとするサトマール派・ネトゥレイ・カルタ、キリスト教関連のメシアニック・ジュダイズム、ネオ・ジュダイズムなど、多くの分派もある。エチオピア・ベルベルのユダヤ人は孤立して発展し、タルムードを持たない。

 

現在、世界に散らばるユダヤ人は、全てがユダヤ教徒というわけではないが、ユダヤ人にとってユダヤ教は切り離せない宗教である。

出典 Wikipedia

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