2021/07/15

日本の宗教文化(1)

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このページは「日本の神々と仏様たち」をテーマにしていますが、これは要するに「日本の宗教」を見るということになりますが、同時に「日本人」というものを考えてみようということになります。というのも、「日本的な精神」というものが「日本人の宗教観」のところにもっとも良く見えてくるからです。そういうわけで、このページはいわゆる「宗教学」的な解説というより、むしろ日本的精神に迫る「思想文化論」となってきます。

 

日本的精神の変遷・変容

現在の日本は、すっかり「欧米化」してしまっていますが、日本の文化の歴史を振り返ると、農耕民族としての日本人の持っていた「自然崇拝」、つまり自然そのものを「」として繁栄を祈願し、収穫に当たって感謝し、あるいは災厄の除去を祈るといったタイプの「祭儀・儀礼」を中心として「社会習慣、生活習慣」を形成していました。

 

というより、むしろ逆に農耕を生活習慣として、それが「家」から「氏族」に広がり社会化されて社会習慣となって、その習慣が人間の力ではどうにもならない「自然の力」に対しての「祈り、感謝、願い」といったものを中心としていたため、今日の文化分類では「宗教」とされる概念で説明されることになった、と言うべきでしょう。これが、後世「神道」などとして意識化されたのですが、この神道は複雑な展開となったため、本来の姿が見えにくくなっています。

 

 日本では、こうした「自然崇拝」の段階から、のちに「神道」とよばれる宗教形態へと進んだのですが、他方で先行文明である中国から「文字」を始めとして高度な中国文化を学んで、それを模範として文化を形成していくこととなりました。これが日本の世界の文化との接触の始めです。

 

 当時、その中国文化はインド由来の「仏教」を大きな文化としていたため、日本もこれを学ぶことになります。仏教の伝来は朝鮮経由ですが、これは多くの大陸文化の経緯もそうなります。朝鮮が「窓口」だったのです。

 

 こうして、日本もその文化が「仏教」化しました。初めは、奈良のいわゆる「南都六宗」が文化を代表して天皇・貴族すら凌駕する勢いに、天皇は京都に都を移してしまい奈良への対抗として「最澄の天台宗」「空海の真言宗」の勢力を大きくさせていきました。こうして、その後の日本の仏教文化はこの二つの宗派が源流となります。最澄と空海の二人とも中国に留学して、中国の仏教を学んで日本で広めたものです。


 こうして仏教が大きな勢力となったところで、在来の神道との関係が問題になりました。やはり神道は日本人の生活習慣そのものでしたから、これを廃棄することなどは決してできなかったからです。そこで仏教はこの神道を取り入れて、日本の神というものの本体は「仏」なのだという形で、二つを融合させていったのです。これを「神仏習合」と呼んでおり、日本の神というのは仏が日本の地に「仮に神の姿をとって現れたもの(これを「垂迹(すいじゃく)」説といい、こうした神の在り方を「権現」とよびます)としたのでした。こうして神道の方も仏教の影響を受けるわけで、日本的な自然崇拝の典型であった「山岳信仰」なども、仏教的な色彩を帯びて「修験道」が発達していきました。

 

 一方、先に受容していた中国の思想面での影響としては「儒教」の教えが中心となった思想が輸入され、日本的に展開しました。「朱子学」や「陽明学」などが、その代表的なものです。また一方で「道教」や「易」や「陰陽道」などの中国伝来の思想、あるいは「呪術」が発達していきました。

 

 こうして、幕末に至ったところで「西洋文化」が流入してきます。その西洋文化は、古代ギリシャ文化の再生という性格を持っており「哲学から人文系の学問」「民主主義を始めとした社会科学」も大きな成果だったのですが、むしろ近代科学の特色としての「自然を支配し利用する」という形で発展した「自然科学」の成果が目に見え、それは人間の欲望の充足として羨望の的となり、日本はこの追求に躍起となっていきます。いわゆる「西洋に追いつき追い越せ」という標語が、それになります。

 

 こうして「西洋文化の輸入」に邁進する日本ができあがり、政府は多くの留学生を欧米に派遣したり外国人教師を雇っていきました。これが現在にまで続いている日本社会の動向といえます。

 

しかし「科学だけ」というのは文化的に無理ですから、西洋文化の基盤となる「人文科学」「芸術」などの精神文化も学ばれていき、「学問」「芸術」などが西洋化していきます。医学なども「漢方」から「西洋医学」となり、芸術も「西洋絵画・彫刻」となっていきました。音楽も演劇も同様です。現在「琴・三味線」などやる人は特殊な人たちであり「ギターやピアノ」が音楽の主流です。演劇も「能・狂言」「歌舞伎」は文化的には認められていますが、一般的な鑑賞の対象にはならず「西洋的ドラマ」が主流となっています。

 

その近代西洋の精神は哲学的には「人間主義」であり、芸術の理念は「リアリズム(写実主義)」であり、これらは古代ギリシャ精神の受容から結果してきたものです。また近代特有の「功利主義」は近代西欧の特徴となります。日本は、これらを受け入れていったのです。

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