2021/07/25

開幕(2020東京オリンピックpart1)

東京オリンピックが、どうにか開幕した。

 

このコロナ禍中での開催には賛否両論(反対が大多数)あるものの、すでに始まった以上、ここではあくまで競技の話題に絞っていく。

 

前回まで「オリンピック個人総合2連覇」であり、日本選手団を牽引するような存在だった男子体操の内村が種目別の鉄棒で落下し、まさかの予選敗退で幕を開けた。

 

内村の予選落ちは、確かにショッキングな出来事に違いない。が、男子体操は他に何人かの有力な選手が出場して、ほとんどが決勝に進んだはずなのに、ニュースでは「内村まさかの予選敗退」しかいわないのは、いかなる料簡か。負けた人間は、そっとしておいてやればいいものを。

 

そんな、いつもながらのマスゴミの嫌がらせによる、嫌なムードを払しょくしてくれたのが「お家芸」柔道だ。

 

女子48キロ級の渡名喜に続いて、男子60キロ級の高藤がそろって決勝まで進んだ。

 

ここまで、一本勝ちなど技が冴えていた女子の渡名喜だったが、決勝は敗れて「銀」に終わる。これが「今大会初のメダル」となったのは皮肉か。

 

この結果を受けて、2人そろって決勝で敗れては目も当てられないから、高藤にかかる期待は否が応にも高まる。

 

とはいえ、高藤も決して絶好調というわけではなさそうだった。決勝まで勝ち上がってきたとはいえ、それまでの試合は時間内に延長含めて10分近くを要するなどの苦しい戦いが続き、決勝もそれまで同様、決め手がないまま延長にもつれ込んだ。

 

最軽量の男子60キロ級といえば、かつて「オリンピック三連覇」という大偉業を成し遂げた野村忠宏選手を筆頭に「山椒は小粒でも・・・」を絵に描いたようなキレッキレッの選手が頭に浮かぶが、この日の高藤はもどかしいくらいに技が出ない。

 

日本の「一本柔道」と、武道とはかけ離れた海外の「スポーツJUDO」が次元を異にした競技であることは、過去のオリンピックでも散々触れてきたからあえて繰り返さないが、かつて「異様なまでに」背負い投げの一本柔道にこだわった古賀稔彦こそは、まさに伝統的な「日本柔道」を体現していた。

 

これに対し、反則だろうがインチキだろうが、とにかく「勝った者が偉い」と信じて疑わないのが海外の選手たちだ。自分たちが勝つために精進するよりは、有利になるようにルールを捻じ曲げるのが彼らの常とう手段である。これは決して、彼らにとってはなんら「恥ずべき不正行為」などではなく「勝つための正しい戦略」なのらしい。

 

このような発想の外国勢に伍して、あくまで「勝ち方」や「美学」にこだわって勝ちあがっていく難しさは、これまで数多の日本選手が嫌というほど味わってきたことだろう。

 

この日の高藤選手の戦いぶりも、おそらくはまさにこの典型であって、日本の「一本柔道」に期待するファンの目には、いかにも「物足りない内容」に映ってしまうが、なんとしても「金」を捥ぎ取らなければならない本人としては、やはりこのような窮屈な戦いになってしまうのかもしれない。

0 件のコメント:

コメントを投稿